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 八月一日は約束がある。カフェは定休日だが八郎は約束の品を作るために朝から厨房だ。私も手伝いをしていると、昼前にスクーターに乗りたま子が現れた。  八郎はたま子を迎え入れ、完成したちらし寿司をお披露目した。ふっくらとした酢飯に、錦糸卵の絨毯が広がる。エビや椎茸、絹さやなどの様々な具材が艶めき、ほっぺたが落ちるのは間違いなしの一品だ。 「さすが八郎さん、とっても美味しそうね。今年もお願いして良かったわ」 「こちらこそ、今年も作らせていただきありがとうございます。ではさっそく向かいましょうか」  八郎は桶の蓋を閉じ風呂敷で包むと車のエンジンをかけた。たま子は後部座席に乗り込み、私も誘われるまま隣に腰掛ける。  車は山間の道を進む。ちらし寿司を弁当にして夏山をドライブするのだろうか。楽しそうだが、外で食べるならサンドイッチかおにぎりが良いと思う。  行く先を想像するのは自由だが、本当にどこへ向かっているのだろう。私は車窓を眺めるたま子の肩を叩いた。 「すいません、どこに行くんですか?」 「あら、八郎さんから聞いていないの?」 「おや、たま子さんがお伝えしたのだと思っていたのですが」  八郎とたま子は「これはうっかり」とひとしきり笑い合う。 「不快にさせたらごめんなさいね。お墓参りに行くのよ」  たま子はゆっくりと昔話を始めた。彼女が麓の町に来たのは何十年も前のことだ。駆け落ち同然に夫と一緒になり、暮らしは順風満帆で幸せに溢れていた。だが、一人息子が三歳になる頃に夫は病死。悲しむ間もなく、たま子は必死に息子を育てた。  勤め先や隣近所に助けられ、息子はすくすくと成長した。目に入れても痛くない可愛さだったが、小学三年生の時に交通事故で亡くなったそうだ。  たま子は当時の心境を語る。大切なものを失くし、全てが空虚だった。仲睦まじい親子連れ、亡くなった息子と同じ背丈の子どもを目にするたびに、涙が出た。  夫や息子の後を追い死にたい。毎日のように、そう思っていたと明かす。  たま子を支えたのは麓の町の縁だった。友達は毎日自宅へ顔を出してくれ、職場の人々も気にかけてくれる。死にたいが周りが死なせてくれず、時は過ぎ、老いてようやく冷静に考えられるようになった。  たま子は家族を失った苦しみから救われることはないと話す。傷が癒えるわけではない。それでも今、何となく生きようと思えるのは、昔と変わらず友達が笑いかけてくれるからだと穏やかだ。 「ちらし寿司は私の夫、正行さんと息子の海斗の好物なの。八月一日は海斗の、三日は正行さんの命日だから、毎年お供えしているのよ」  八郎は数年前にたま子にちらし寿司を振る舞ったらしい。たま子はその美味しさに感動し、それから毎年八郎の手料理を持ち、墓参りに行くのが恒例になっていると聞く。 「事情を知らずにすみません。私にもぜひお参りをさせてください」 「ありがとう。正行さんと海斗に、ぜひ香菜ちゃんの紹介をさせてね。それに、今年は家族に謝らないといけないこともあるし……」  亡き家族への謝罪とは何だろう。気にはなるが、車は目的に到着した。墓地は麓の町を見下ろせる場所にある。町の住人はここに墓を持ち、盆が来ると広々とした駐車場は車でいっぱいになるそうだ。今日は私達以外誰もおらず、アブラゼミの鳴き声がやけに大きく響いている。
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