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縄張り争い
龍はゆっくりと湖から顔を出した。
「なんということだ!先客がいたのか……」
南祖坊は、あちゃー……という顔をして、頭をポリポリとかいた。
龍は鼻息荒く言った。
「ここが今日から己の家だとぉ?駄目だ。
俺はジジイと寄り添って寝る趣味はねぇんだ」
南祖坊は笑っていった。
「私も貴様みたいな、イカつい顔したやつと寝る趣味はない」
「ならどうする?」
龍は挑発した。
「貴様には悪いが、熊野大権現様が、ここが私の寄り処だとおっしゃったのだ。出ていってもらう」
「ほう……俺を追い出すと?どうやって」
龍は悪びれずに非常識なことを並べ立てる坊主にピキピキと青筋を立てて凄んだ。
「話してわからないのなら力づくで明け渡してもらうのみ」
「ほおおぉぉ?とんでもないヤツが来たもんだ。今日はついてないなぁ……
お前がなぁ!」
龍がそう叫んだとたん、湖一面に突風が吹き荒れた。
南祖坊は身構えたが、あまりの風圧にどんどん後ろに後ずさりした。
旅の途中、妖のような輩と戦ったことは何度かある。
だが、龍と、そしてこんなにも巨大なものと戦うのは初めてだった。
空一面に真っ黒な雲が集まって雷が鳴り響き、雨が激しく体を打った。
湖からは海のような高波が繰り返し襲ってくる。
南祖坊は、岩陰に隠れた。
「第一巻!」
そう呟いたかと思うと、おもむろに法華経を唱え出した。
すると経典のように現れた文字が言葉を発したごとにどんどん彼の周りにまとわりついていく。
そして皆言い終わり口を閉じた瞬間、そのおびただしい数の文字がうねうねと動き始めあまたの大蛇となり、八郎めがけて襲いかかった。
八郎はまとわりついて噛みつこうとしてくる蛇たちにイライラしながら、顔をぶるんとひとふりした。
そしてどでかい雷を一発、自分の周りに落とした。
湖水の大半がそれで吹き飛んだ。蛇たちはそれで焼け焦げてほとんど息も絶え絶えになった。そのまま大量にバラバラと落ちていき、ピクピクと湖面におびただしい数が浮かんでいた。
小さなものたちを相手に大人げない攻撃かもしれないが、今の八郎はそのくらい本気で怒っていた。
俺がせっかく苦労して自分自身の手で作った寝床を、意図も簡単に突然渡せだと?
これほど理不尽な、無礼なことをいうやつは初めてだ。徹底的に痛め付けて二度とそのような口利けないようにねじ伏せてやる。
そんなことを考えたいた。
だがこれほどの力を見せつけられても諦めない男、南祖坊。
「第二巻!」
今度の攻撃は、鳥だった。先程の蛇同様、もの凄い数が八郎を襲ってくる。
煩わしいと、先ほどと同じ攻撃で一層する。
「第三巻!」
今度は八郎と互角の大きさの鳳凰が襲ってきた。
八郎はそれを見るなり自身の首を裂いて頭を2つにし応戦した。鳳凰の鋭いくちばしは目を狙ってくるが、なんとか2つの口で敵の左右の翼をくわえると、身動きが取れないようにした。
そしてそのまま首根っこから更にもうひとつ頭を出し、三ツ又となった。
新たな頭は、鳳凰の本体を噛み砕いた。
流石に疲れてきた八郎だったが南祖坊は容赦しない。
「第四巻!」
………………
こんな具合で気づけば7日7晩経っていた。
「無駄だ無駄だ!諦めろ、このくそ坊主!」
南祖坊を挑発はしたものの、流石に八郎もかなり疲弊していた。
「第八巻!」
マジかよ……
八郎はげんなりとした。実はもうほとんど力が残っていない。立っていることが精一杯だった。
こんなに寝ないで休憩もとらずに戦うのは初めてだった。
意識が朦朧とする。
気が付けば経文の一つ一つは崩れていき、大きめの剣となり八郎に雨のように降り注いだ。
雷も無機質な剣には効かず、八郎はそれを全て受け止めた。
「ぐわぁ!」
身体中に激痛が走った。あまりのことにもがき苦しみ、その時に盛大にふきとんだ血しぶきが周りの岩や土に染み込んだ。
彼は湖をあとにして最後の力を振り絞り、そのまま狂ったように何処かへ飛び去っていった。
雷雨は止み、晴れ間が見えてきた。風もなく辺りは穏やかになった。
湖面が静まりかえると同時に、鳥のさえずりも戻ってきて、まるで何事も無かったようだった。
ただ八郎が岩や土に残した血しぶきが、戦いのすさまじさを物語っていた。
間もなく南祖坊が見上げた空に、法華経の守護神の童子が現れた。
そして戦いに勝った男にこう伝えた。
「そなたを今日からここの主とする。よって、
『十和田山正一位青龍権現』
という名を授けよう。好きに使うが良い」
そう言い残して消えていった。
「ありがたき幸せ!」
彼は早速湖に飛び込んだ。
すると、水のなかで沢山の気泡に包みこまれた。そしてそれが無くなった頃には、立派な青龍に変化しており、そのまま湖の奥深くに進んでいった。
◇◇◇
「なんじゃこりゃあーっ!」
間も無くして水底から、どでかい声がした。
その声の主はもちろん南祖坊。
彼が思わず叫んだその理由は、十和田湖の底がかなり散らかっていたからである。
八郎は日頃からそこで平気で生活をしていたようだが、南祖坊は耐えられずにせっせと掃除を始めた。
彼は極度の潔癖性であった。
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