辰子姫の憂鬱

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辰子姫の憂鬱

あれからどれくらい経ったのだろう。 昼も夜もわからぬ、深い深い、水の底にただ一人。 話し相手は誰もおらず…… 姫は心を病んでいた。 今までの長い長い時間、誰にも救ってもらえなかった。 その孤独といったらなかった。 外に出ることが無性に怖い。 みんなどんな目で私を見るのだろう。 ああ 人間に戻りたい…… 龍になってしまった自分が嫌で嫌で仕方なかった。 しいんとした無音無味無臭のこの世界で、姫は自分自身をふらふらと漂わせていた。 たまに魚が目の前を通る。 魚のほうがまだいい。 自分の意思で自由に生き生きと泳いでいる。 私はどうだろう??? 見た目に振り回されていい気になって罰があたった 大馬鹿者ではないか。 そしてその容姿というつまらない呪縛からまだ解放されない自分がいる。 やっぱり歳はとりたくないし、でも元の姿に戻りたい。 初めてこの湖に入った瞬間、人形(ひとがた)に戻ることができた。だから喜んでそのまま外に出ようとした。だがこの湖を離れると、どうしても恐ろしい龍に戻ってしまう。 私に帰るなということなのか。 ずっと許さないということなのか。 永遠にここで一人反省していなさいということなのか。 あんまりです、観音様…… 思い浮かぶのは人間だった頃の短い過去のことばかり。 姫の時間はあそこから止まっていた。 途方もない昔から今まで、何もせずに過ごしてきた。これからもそうだろう…… ある日のことだった。そのお決まりの日常が初めて変化した。 湖面の方から突然爆音が聞こえた。 その時の姫の恐怖といったらなかった。 経験値の浅い姫にとって、未知の出来事というのはあまりにも恐ろしく、世界がひっくり返ったように叫び慌てふためいた。 耳を塞ぎながらしゃがんで目を閉じていると、背中をトンと叩かれた。 「ぎゃーーー!!!」 姫は飛び上がった。 恐る恐る後ろを見てみると…… 背が高く、たくましい体つきの野性味溢れる若者が目の前に立っていた。 姫のあまりの驚きように若干退()いている様子だった。 先程背中に触れた手を宙に固め、下ろすことも忘れていた。 「人間?!」 思わず口を開くと、 「いや、俺は龍だ!まあ、初めは人間だったが……訳あって龍になっちまった」 と彼は答えた。 私と同じだ!!! 姫はとたんに食い付いた。 恐怖を忘れ、まじまじと彼を見た。 まるで虫でも観察するかのように色んな角度から見て回った。 若者は彼女の奇妙な行動に戸惑い、どうすれば良いかわからずにただそこに立って、好きにさせていた。 彼の周りを一周した後、その顔を正面から見直した。 あら、イケメン! と口を両手でおさえ、顔を赤らめた。そして気を取り直して続けた。 「おめえは誰だ?おらに何の用だ?」 「俺は八郎。あんたに会いに来た」 姫は驚いてまた尋ねた。 「何でだ?」 「仲間になりたくてさ。 色んなとこから噂を聞きつけてな。ここに湖があって、(ぬし)がいるって。どんなヤツか会ってみたくて……上から呼んでみたけど、何も反応がないから本当にいるかどうか確かめたくて、ここまで来ちまった。驚かせて悪いな。……しかし……」 湖面を見上げる八郎。 姫もつられて上を見た。 「こんだけ深いと、やっぱり上から音がしても聞こえねえな、こりゃ。こんなとこ初めてだぜ!!あんた、いいとこに住んでるな」 そう言って彼は、にっと笑った。 姫はその無邪気な顔に一瞬ドキッとした。 そして何か返そうと思った。 「本当に失礼なやつだな。勝手に入ってくんな」 ありゃ? 姫は困惑した。 本当はそんなこと思ってないのに……何でわざわざ相手を傷つけるようなことを言ってしまうんだ? まさか、おら…… 水中に長く居すぎたせいで、性格をこじらせちまったか? 言ってしまってから後悔して、でも謝ることも出来ずに八郎の様子を伺った。 「いやー、わりい、わりい!! はははは!!」 全く気にしてない様子だ。馬鹿そうで良かった。 姫はほっとした。 「おらなんて、こんな感じだぞ。陰気くせえし、ひねくれてるし、関わんないほうが身のためだぞ。他にもどっかに同じようなやつ、いねえのか?そこを当たってくれ」 違う違う違う!!本当は嬉しいんだよ、友達、欲しいんだよ…… どうやら他人と話すとき、自分は天の邪鬼モードになってしまうらしい。姫は葛藤した。 「諏訪の主の話も聞いてるが、あいつは体が桁違いにばかデカすぎて、つるむのが大変そうだし……一人だけ知っているやつはいるが……そいつだけは嫌だ。もう二度と関わりたくねぇ。やっぱりあんたと友達になりてえ」 八郎はそう言って、じっと真剣な目で姫を見た。 その目で見られると、姫は動けなかった。 「あんた……綺麗な顔してんなー……」 八郎は感心して言った。 姫は嬉しさと恥ずかしさでパニックになった。 顔を真っ赤にしながら、言った。 「はあっー?どこ見てんだ、このスケベ!!友達になりたいとか言って、下心ありありだぞ!他のやつらもそうやって口説いてんのか?おらはそんな手にはのらねえぞ」 姫は自分で自分をビンタしたかった。あまりの自分のこじらせっぷりに心の中では泣いていた。 八郎はキョトンとして、言った。 「そんなこと言ったってしょうがねえよ。綺麗なもんは綺麗だからよ。 俺は本当のことしか言わねえ。 それに下心なんてねえよ。別にあんたのこと見たって、そんなガキの体じゃ特に発情しそうにもないし」 八郎は笑顔でそう言った。 「なっ……」 こいつ……へらへらした顔でグサッとくる一言を…… でもこっちの言ったことも全く気にしてなさそうだ。馬鹿で良かった…… 「気分ワル!!もう帰れ、帰れ!!」 姫はしっしっと、手をふって八郎を促した。 この短時間で色んな感情が溢れすぎて、本当にちょっと一人になりたかったのだ。 「あんたおもしれえな。また来てもいいか?」 八郎はキラキラした目で見てきた。 この目で見られると……胸が締まる…… 姫はわざと目をそらした。 「勝手にせい!!」 八郎はにっと笑って、 「じゃ、またな!!」 そう言って龍の姿になり、帰っていった。 姫はそれを見送った。 あれほどトラウマだった龍の姿だったが、いつまでも見ていれた。 湖面を仰ぐ姫の口角は、無意識のうちに上がっていた。 それまで薄暗かった水の底に、一斉に光がさしこんだような気分だった。
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