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変態降臨
今日も姫と八郎は一緒にいた。
湖の岸にある、二人で腰掛けるのに丁度いい岩に並んだ。座って足を水につけ、ぱしゃぱしゃとやっていた。
波風が少しあり、湖面がキラキラと無限に反射している。
すっかり打ち解けた二人は、何かを喋って笑い合っている。
その光景を端から見たものは、きっと二人が付き合っているに違いない、と思うことだろう。
湖に続く山を、一人の男が歩いていた。
笠を目深にかぶり、シャランシャランと錫杖をつきながら、軽く息を切らしている。
顎から汗が流れて、首もとを伝う。
暫く歩みを進めると、山が開けて、湖が姿を現した。
「なんとも素晴らしいところだ……」
彼は笠の隙間からその様子を見て、そう呟いた。
湖の周りを歩いていると、人影が見えた。
男は錫杖を鳴らすリズムを早くして足取り軽く、そこまで辿り着いた。
そして人の気配を確認すると、わざとまた笠を目深に被り直して、こう言った。
「麗しき姫……私はあなたのために山をあまたの数越えてきた愚僧にございます。
姫のお噂はかねがね聞いておりました。
日の本一深き湖に、孤高の姫君がいらっしゃると……会いたくて会いたくてどうしようもなく、ここにこうして参上つかまつりました。
どうか私と結婚をしてください。
この湖よりも深き愛で、あなた様を溺れさせて見せまする!!」
そう言って、笠をバッと宙に投げた。
「……キモッ……」
そこで男が目にしたのは姫ではなくて、糸ミミズよりも細い目をしてこちらを見て、そう吐き捨てる八郎の姿であった。
二人の間は暫く時が止まっていた。
突然、
「ぷはぁっ!!」
と、姫が水面から顔を出して、八郎の座っている岩に何かを片手に持ちながらよじ登ってきた。
「ほらっ!ほらっ!!これがハートの模様を持ってるクニマスだ!!言ったべ?!絶対この目で見たって!これで文句ねぇべ!いい加減に信じろ!!
……んっ?……おわっ!!!」
姫は固まっていて微動だにしない、初めて見る男に目をやった。
「なんだこいつ??灰になりかかってるような目をしてるぞ……」
姫は警戒した。
「ああ……どうしようもなく今恥ずかしいんだろうよ……」
八郎は何事も無いように呟いた。
「俺の負けだ。まさか、本当に見つけるとは思わなかったぞ。良くあの中から探し出して捕まえたな。凄い確率だ!!」
「じゃあ、約束の団子な、必ず今度持ってこいよ!!」
姫はキラキラした瞳でそう言った。
「しょーがねぇなぁ……結構大変なんだけど……約束しちまったもんはなぁ……次に来たときに持ってくるよ」
「やったぁ!!」
姫はガッツポーズして、そのはずみでクニマスを放してやった。
ポチャン……
クニマスは湖深くに潜っていった。
「ちょっと待てぇーーーい!!!!!」
坊主は甦った。
「あん?」
姫と八郎はそちらを振り向いた。
「あなた様がこちらの湖の主の、姫君ですか?」
栗毛色でちょっと長めの前髪。目が大きくて、少しあどけなさが残るが整った顔立ち。背は姫と同じくらいだ。そして錫杖を持ち、黒い托鉢用の袈裟を身に纏っている。気を付けをして直立し、少し緊張している様子だった。
そんな彼に姫は怪訝そうに答えた。
「そうだが……何だ、おらに何の用だ……」
「ぶふっーーー!!!」
それを聞いて八郎は思わず吹き出した。
「なんだ、貴様!!姫のなんなのだ。私と姫の初めての出会いを邪魔するな!!」
「わりい、わりい……続けてくれ……」
八郎は笑いを堪えるのに必死でそう言って顔を背けた。
すると、それを見届けた坊主は続けた。
「何と麗しい……噂以上の美しさだ……
その吸い込まれるような瑠璃色の瞳と、つきたての餅のような白い柔らかそうな肌……絹のごとし黒髪がたいそうお似合いになっておられる。
好きです!!姫!!!一目惚れです。結婚しましょう!!!」
姫はぽかんとしていたが、気を取り直して聞いた。
「だからおめえは誰だ?名はなんつーんだ?」
「あっ……申し遅れました!私は南祖坊と申します。ここよりも北にある、十和田湖の主でございます」
八郎はその言葉にぴくりと反応した。
「……おい、お前、今なんつった??」
南祖坊は言った。
「さっきから何なのだ、お前は?姫とはどういう関係だ?!」
八郎はゆっくりと立ち上がり、凄い形相で南祖坊の前に歩いていき、見下ろした。
「久しぶりだなあ……くそ坊主。どっかで見たことある顔だと思ってたらよ……
しかし妙じゃねぇか?俺と戦った時は、もっとえらく歳がいってたような気がするんだが……」
「……」
南祖坊は暫く考えた。
「あっ!!!」
思い出したようだった。
「お前は、前の十和田湖の主か?その威圧的な目、見覚えがある!!お前、あそこの龍だったのか!!!」
だいぶ驚いている様子だった。
「何だ?……何がなんだか、さっぱりわかんね」
姫は二人を何回も見比べてみたが、事態が飲み込めなかった。
「辰子ぉ……こいつはやめときなぁ。何故だか若作りしてるが、こいつの正体はかなりのジジイだぞ」
「失敬な!!あの時は齢76だ!!まだまだ若かった!!」
坊主は反論した。
「何でそんなに若くなっちまったんだ?!」
姫は聞いた。
彼はグリンッと姫の方を向き、答えた。
「あなた様の為です!!!
若き麗しき姫に釣り合うには、同じ年の頃の方がいいかと思い……
若返りの秘技を使い、このようになってみました!!!如何でしょう???」
そう言ってその場で一回転して見せた。
「如何でしょうと言われても……おらあんたのことなんも知らねえから、とりあえず結婚は無理だ」
「ズドーーーン!!!なんという奥ゆかしさ……
良いでしょう!ならば、どうでしょう?お友だちから始めませんか???」
「……八郎……おらはどうしたらいい?」
困った姫にいきなり振られた八郎は、焦った。
「いや……別に……辰子がそうしたいなら、俺は構わんが……」
彼はすこぶるお人好しだった。
相手がいくら自分にとって憎き相手でも、辰子の気持ちを尊重したかったのだ。
「じゃあ……友達にだったらなってもいいべ」
姫の言葉に南祖坊は、目をキラキラと輝かせ、満足そうにしていた。そして、
「ありがたき幸せ!!!」
と言って、いきなりガバッと姫の手を握った。
「近っ!!」
姫はビックリして、その手を払いのけた。そして、いつもの癖が出てしまった。
「調子に乗んな、坊主!!気安くさわるんじゃねぇ!!」
そう言ってしまい、はっとした。
固まって悲しげな目でこちらを見る彼に、謝らなければ……そう思った瞬間……
「はぁぁぁぁーーーん!!!なんという快……感……
姫、もっと捻ってくれてもいいのですぞ!!」
恍惚の表情をして、身悶えていた。
姫は固まった。
八郎も同じく。
「やはり私の目に狂いはなかった。見た目、中身、申し分なし!!!
姫、あなたを必ずや落として見せまする!!!」
坊主は興奮していた。
「気持ちワル!!帰れ帰れ!!」
姫はしっしっと手をふって、南祖坊を促した。
「むむっ……今日中にもっとお近づきになりたかったが……姫の命ではやむを得ん……
では、またここに来てもいいですか???」
彼はキラキラした目で見つめてきた。
良く見たら可愛いくて綺麗な目をしている……
「勝手にせい!!」
人と目を合わせるのがどうしても苦手な姫は、顔を赤らめて、ふいと横を向き、そう言った。
「では、また近いうちに!!」
そう言って南祖坊は湖に飛び込んだ。
暫くすると、おびただしい数の泡と共に、龍となって現れて、そのまま空を飛んでいった。
「……始めから龍でくれば早かったのに……何でわざわざ歩いてきたんだ?あいつ……」
八郎は不思議に思った。
それは南祖坊なりの姫へのアピールだった。龍の姿でならば難なく通える距離だが、わざと途中から歩き出して苦労し、姫ヘの忠誠心を示そうとしたのだった。
だがそれは無念にも、姫には見届けてもらえなかった。彼女が水中でクニマスを探していた時、間違って八郎に言い寄ってしまった。
「……変なのが増えたな……」
「どういう意味だ?」
姫が呟くと、八郎がそう返した。
「あいつ、本当に訳わかんねえやつだったな……でも俺は、前にされたことの恨みを今でも忘れちゃいねぇ。いつかギャフンと言わせてやる。しかし……」
八郎は確信した。
「あいつがキザでドMなド変態野郎だってことはよーーーく、わかった!!」
姫はうんうん、と頷いてそれを聞いていた。
夕暮れ時になり、
「じゃあ、俺もそろそろ帰るわ」
そう言って八郎は龍の姿になった。
「次来るとき、団子忘れんなよ!!」
「あっ、すっかり忘れてた……」
八郎は笑った。
「じゃあな」
「またな」
姫は八郎が雲の向こうに消えるまで、ずっと湖のほとりで見送った。
もう、外に出ることにはなんのためらいも無くなっていた。
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