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≫ Pacific Ocean
「……………………。」
明かりの少ない部屋で一人きり、長椅子に座って俯く姿は、酷く寂しく見える。
しかし、それは深い悲しみに暮れている訳でもなければ、深い眠りに就いている訳でもなかった。
目を閉じているのは、世界から自分を切り離す為じゃない。
より深く――世界と繋がる為だ。
かの有名なフランスの画家、ポール・ゴーギャンも言っていたように、自分は見る為に目を閉じる。
目を閉じていても――"世界の色"は感じられる。
ほら、風に乗って流れてくる爽やかな潮の香りや、絶え間なく鳴り響く船のエンジン音、それに混ざる水飛沫の音。
感覚が研ぎ澄まされていることで、どれも鮮明に伝わってくる。これだけでも十分な程に濃い色材だ。
早速、それらを使い、頭の中に描いてみよう。
きっと直接見るよりも、面白い絵が出来上がる。
………………。
薄暗く、少し冷たい色の檻。
アジア、アメリカ、オーストラリアなど、地球に存在する六つの大陸の内、五つに囲まれている広大なる海――太平洋。
その海上を走る一隻の護送船の中に、ネシオはいた。
彼は割り当てられた部屋の中、頭の中で優雅に筆を走らせ、一つの作品を作り上げていく。
………………。
途中で手を休めたりはしない。
………………。
迷いはあってはならない。
………………。
一度作った形はそのままに、一度塗った色はそのままに、思うがままに我儘に、自由に筆を踊らせる。
そして最後に――全てを受け入れるのだ。
………………。
………………。
「…………はぁ……。」
穏やかな旅ではないが、だからこそ感じ取れる色もあった。
キャンバスに完成した絵は、思わず溜息が出るほど、満足のいく出来だ。
ネシオは姿勢を正し、脳内にあるそれをまじまじと見つめた。
青く白い風の海の中、何処までも真っ直ぐ突き進む、不可視の船。
明るいようで何処か暗さのある、とても幻想的な絵だ。
(Beautiful…….(美しい……。))
タイトルはあえて付けない。
これは四角い枠に囚われるべきものではない。
境界線などなく、世界の一部となってほしい……。
そんな願いを静かに抱き、ネシオは一旦その絵を頭の奥にしまい込んだ。
そして目を開け、携帯のホーム画面に表示された時刻を確認する。
陸を離れてから二時間。到着まではまだ少し時間がある。
「ふー……。」
長椅子に深く腰掛けながら、壁紙も棚も絨毯も無い殺風景な部屋を見回す。
この船は自動操縦で、今現在、乗っているのは自分一人だけ。
……話し相手がいないというのは、悲しいことだ。
退屈したネシオは、パチンと指を鳴らす。
すると不思議なことに、目の前の壁にカラーノイズが走り、何かが映り、音が聞こえ出した。
それは――なんとTV番組。
先程まで何の変哲もなかった壁の一部が、突然、テレビ画面へと変化し、リアルタイムな番組を映し出した。少しノイズが入っているが、十分見れる程だ。
勿論、この船にこんな機能は無い。
彼は魔法でも使えるのか――。それはある意味、正解だ。
これは……彼の能力。
異能の力。
そう、この世界には、異能と呼ばれる不思議な力が存在している。
手を触れずに物を動かしたり、人の心を読んだり、炎を自由自在に操るなど、所謂、超能力というやつだ。
しかし、一部の者達だけが特別な訳ではない。
この世界に住む人々は、誰一人として例外なく、全員何かしらの異能を持っている、持つ可能性を秘めている。
この世界は――異能力者で溢れているのだ。
しかし、その原因、原理は一切不明。
最初の内は数が少なかったというが、一人目が確認されてから数週間。隠蔽が間に合わないほどのスピードで全世界へと広がり、各国の政府は対応に困り果てたという。
それまでの常識からすれば、超能力は、アニメや漫画など、架空の世界の出来事に過ぎなかったが、誰もが自分の中に生まれたそれをはっきりと認識し、その存在を気にせず過ごすことができなくなった。
今では《国際異能機関》なんてものが出来上がり、それに所属する人間によって、人々が持つ異能の検査や、危険度の高い異能力者の監視・鎮圧が行われている。
能力者の出現後、世界各地で大規模な混乱や紛争が巻き起こったが、彼らの御蔭で人類滅亡という最悪は免れた。
何もかもが終わってもおかしくなかったが、ギリギリ踏み止まったのだ。
やはり、世界はそう簡単には壊れない。ドストエフスキーも言っていたように、人間は、どんなことにもすぐに慣れる生き物なのだ。
既に異常は日常と化している。
異能は人間社会に溶け込み、当たり前にあるものとして扱われている。
今の時代で生まれた人間にとっては、異能の無い世界など、想像がつかない。
「………………。」
しかし、今のこの世界が好きだと言う人間は、どれくらいいるだろうか。
やはり、神に選ばれなかった人間や、この世を支配した気でいた人間にとっては、昔の世界――異能の無い世界の方がマシだと言うだろうか。
俺みたいな化け物がいる世界では、怖くて眠れないだろうか……?
「……フフフ。」
この護送船は、国際異能機関のもの。
ネシオの乗船は、彼が危険な能力者で、何かしらの罪を犯したことを示していた。
――しかし、手錠など、彼の体を拘束するものはない。
好きな物を持ち込めるし、自由に体を伸ばし、寛ぐことができている。
何故か? その答えは一つ――。意味がないからだ。
彼は能力者の中でも、最も危険な存在とされる……Z級能力者の一人。
それを何処かに無理矢理縛り付けておくことなど、現代の技術では到底できない。
ネシオはあくまで、自分で望んでこの船に乗っている。
直接飛んでいくこともできるが、これに乗っていく者達の気持ちを味わいたかったのだ。
変わり者と思われるかもしれないが、昔からだ。言われ慣れてる。
そんなことより……
(I can't wait……. (楽しみだ……。))
椅子に寝転び、ネシオは期待に胸を膨らませる。
この船の目的地。
それは太平洋に浮かぶ人工の島――オーセステラ。
そこにはハイゼンスという――大罪を犯した異能力者や、Z級能力者を収容する為の施設が存在している。
(Osestella……Hizense……. (オーセステラ……ハイゼンス……。))
孤島の刑務所と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、かつて世界で最も脱獄の難しい刑務所と言われ恐れられた、アルカトラズだろう。
今はもう閉鎖され、ただの観光地となっているが、スカーフェイスの異名を持つ、シカゴマフィアのボス――アル・アポネや、服役中に鳥類とその病気の研究で国際的な権威となったロバート・ストラウドなど、有名な凶悪犯罪者が投獄されていた場所だ。
それはサンフランシスコ市から2.4kmの海に浮かぶ断崖絶壁の島。
周囲の海は冷たく、潮の流れは速く、脱獄に成功し、生き延びた者はいないとされる。聞けば聞くほど、入りたくない場所だ。
……だが、ハイゼンスはそんな地獄のようなアルカトラズ刑務所とは似ても似つかない。
何故なら、犯罪者に罰を与えることを目的とした施設ではないからだ。
よく知る者の間では、地獄ではなく……、楽園。そう呼ばれている。
胡散臭いかもしれないが、実際、ハイゼンスに入って逃げ出そうとした人間は、今まで一人も出ていない。
アルカトラズよりは、ストーストレムが近いだろうか。
ハイゼンスが作られてからは影が薄くなっているが、デンマークの南東部のファルスター島に、再犯率を下げることをコンセプトに設計された刑務所が存在するのだ。
それがストーストレム刑務所。
かつて地球上で最も人道的な刑務所と呼ばれたそれは、外観からして刑務所のイメージとは大きくかけ離れている。
イギリスのあるメディアによれば、それは「シンプルなスカンジナビア風(北欧風)の外観を持つ、大学のキャンパスのようだ」という。
その内部がどうなっているかというと、大きな窓やベッド、テレビなどが備え付けられた広々とした独房に、他の受刑者と料理や世間話を楽しめる共有スペース、プライベートが確保されたバスルームなど、これまた刑務所の堅く冷たいイメージを覆す、快適な空間となっている。
この刑務所の設計を手掛けたデザイナーのマッツ・マンドラップは、「過酷で刺激の少ない環境が、より多くの再犯者を生んでいる」と語っている。これは統計データからも明らかなことだ。
中々驚きだろう。
ストーストレムに収容されるのは、ほとんどが暴行罪で捕まった者達だが、犯罪者に可能な限り自由を認めるという試みは、非常に画期的なものだ。
デンマークは、2016年に国連が行った幸福度調査で一位を獲得した国でもある。
こういったアイデアが生まれ、それが通るのも納得というか、流石というべきだろう。
――ただ、ハイゼンスの事情は少し違う。
Z級能力者は、どうやっても手に負えない。
世界を滅ぼしかねないほどの力を持つ彼らは、本人にその気がなくても、戦術核が歩き回っているようなもの。能力が弱まった例も無いし、共存は不可能と言える。
だが、何をやっても死なない為、処分はできず、何処かに閉じ込め続けておくことは、本人の協力がない限り、困難。
だからハイゼンスでは、ストーストレムのような形が取られている。
要は、衣食住を保証する、望みも可能な限り叶えてやるから、大人しくしていてほしいということだ。笑えるだろう?
表向きには、ハイゼンスにはZ級能力者達の力を抑えることができる設備があると言っているが、実際は、Z級能力者達の機嫌を損ねないよう、看守達が必死に彼らの要望に応え、暴走を防いでいるのだ。
……ただ、全員が全員、傲岸不遜な態度を取っている訳ではないらしい。
彼らの中には僅かだが、有事の際、国際異能機関に協力し、暴走する能力者の鎮圧などに手を貸す者もいる。
Z級能力者は総じて"人格破綻者"だと聞いているが、中には話せる奴もいるということだろうか。
ネシオは自分のことを考える。
「……フフ。」
俺は絶対に手を貸さないな。
それだけは確かだった。
まぁ、Z級能力者の力を抑える方法が本当に無い訳じゃない。
単純な話、Z級能力者でZ級能力者の力を抑えてしまえばいい。
……だが、それはあくまでも最終手段。
大事なことは今も昔も変わらない。
上から押さえ付ける……そんな方法しか取れないのであれば、真の平和など、夢のまた夢だ。
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