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01.ミルクティー
左手の薬指から指輪を外した。
衝動だった。
天羽妃美香は寝室のドレッサーに置いてあるアクセサリー入れにシルバーの指輪を仕舞った。これで何度目だろう。あのプロポーズは嘘だったのだろうか。
妃美香は朝から憂鬱な気分のまま、ミルクティーだけ飲んで家を出た。
「おはようございます」
「天羽さんおはよー」
書店の朝は忙しい。まずは掃除だ。棚と平積みのほこりを掃除し、ずれているものはきれいに並べ直す。入荷した本を店頭に並べる前に予約や取り寄せのあった本を分ける。そこから該当の本にはシュリンクをほどこし、ようやく品出しだ。複数あると重量のある本は33歳という体力が落ちてきた妃美香には少々つらい。
駅から十分ほどの通りにある小さな書店は、店長と妃美香、それからバイトが二人しかいないので妃美香はほぼ毎日出勤している。店長の祖父の代から続いている書店で、駅前に大型書店ができたため最近の売上はあまり良いものではなく、人を増やせないらしい。
品出しやレジ回りの準備が終わってようやく落ち着くことができる。とはいえ開店してからも忙しく、レジはもちろん新刊の棚づくりや、昼の入荷、ポップの作成など、閉店の19時まで、やることはたくさんある。
「すみません」
「はい!」
「あの、この本ってどこにありますか」
お客様の問合わせも多いので、一日があっという間なくらいに忙しい。
男性客にメモを差し出され受け取ると、ビジネス書のタイトルが書かれていた。確か、最近発売されたはずなので在庫を確認しなくても残っているだろう。妃美香がビジネス書の棚を探すと、すぐに見つかった。
「こちらにございます」
本を取り男性客に手渡した。見上げると背の高い男性と目が合う。
「あ……」
彼は驚いたように目を丸めていた。初めて顔を見たが、若いサラリーマンだった。本を受け取ることなく妃美香の顔をじっと見ているので時間でも止まったのかと思った。
「あの……こちらの本ではないですか?」
「あ、い、いえこれで大丈夫です。ありがとうございました」
男性客は慌てながらレジへ向かった。
こういった問合せは日常茶飯事だ。
変わりのない日々。でも妃美香は満足していた。本とふれ合える仕事は続けていたい。それを反対されたから、彼とは結婚前に仲が悪くなる一方だ。
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