第一章

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信子は今、パートに出かける準備をしている。数年ほど働くことを休んでいたが、婚活や美容などに出費がかさみ、貯金が急激に減り始めた。 蓄えはまだあるが、収入があるに越した事はない。 朝の9時から3時まで、短時間ではあるが雑貨の梱包などの作業をしている。 体育館のような広い作業場の中で、紙コップや割り箸、プラスチックのトレーなどを箱詰めする。箱に詰められた生活雑貨は、大きなトラックに乗せられスーパーなどに出荷されていく。 10人ほどいるパートが、揃って臙脂色のエプロンと、白い三角巾をつけて働いているのだが、信子には滑稽に思えて仕方がない。 52歳という年齢で、独身でパートで生計を立てているなど、若い頃には想像できなかっただろう。 だが、第一線でバリバリと働いていた頃のように、またフルタイムで働く気にはどうしてもなれなかった。 だからパートで働くという選択をした。周りは主婦ばかりで、漏れなく噂好きでうるさい。信子は友達を作りに来ている訳ではないので、彼女たちの群れには入らない。働き始めてから半年ほど経つが、弁当も一人離れて食べている。最初の頃はお節介な女が何とか輪の中に入れようとしていたが、頑なに信子が拒否していると、やがて諦めた。 そして、信子のことを噂話のターゲットにした。 自分の事など全然喋っていないのに、なぜ自分が噂話のネタになるのか分からない。 でも、それで腹が膨れるなら好きにすればいい。 自分はここに収入を得に来ているのだ。そしてその収入を使って、今日もエステに行く。仕事が終わったら、エプロンと三角巾を外して美しくしてもらいに行くのだ。 本当は占いにも行きたいのだが、何度か通った占い師が突如姿を消してしまった。メールアドレスも電話番号も伝えてあったのだから、引っ越すなり店を畳むなりするなら連絡の一つだってくれても良かったではないか。 信子が行くと、必ず紅茶を入れ、丁寧に占いをしてくれた。若い彼女の事を気に入っていたので、いなくなってしまった事にショックを受けていた。 表札のなくなってしまった山吹色のドアの前で、数分ほど信子は立ち尽くしていた。 どうせエステでメイクを落としてもらうので、ベースベイクだけを施し、髪を整えれば準備は終わる。 しばらく使っていなかった愛車に乗り、信子は颯爽と会社へ向かう。
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