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第一章
9月最後の週の気持ち良く晴れたある平日、信子は自分で焼いたクッキーをかじりながら自宅の二階の部屋から外を眺めている。
そこは信子が5歳の時に子供部屋として与えられて以来、45年間自室として使ってきた部屋で、彼女の好み通りの家具や小物で整えられている。
西日が差してきた部屋の中で、時計見ると4時半を回ったところだ。
近所の子供達が遊んでいる。
小学校指定の体操服を着た子供や、スポーツウェアを着た子供。
各々の親から買い与えられる服をそれぞれ身につけ、奇声をあげたり、額を寄せ合って、小さな女の子達が話をしたりしている。
彼らはみんな守られている。両親や、学校や、地域に。子供だというだけで。
先月、信子の母親が死んだ。
病気を悪化させて死んだのだ。83歳だから、御の字と言っていい年齢だろう。
信子が高校生の時に父親が病気で死んで以来、ずっと二人で生きてきた。
何十年も大人をやっているが、母親が生きていてくれるだけで、自分は守られているような感じがしていた。彼女は絶対的に信子の味方だったし、それなりに仲良くやってきたのだ。
若い頃は、嫁に行けだの孫の顔を見せてやれだのと親戚にもずいぶん言われたが、母親は何も言わなかった。
最近ワイドショーなどで、母親と娘の共依存などというテーマに何分も割かれているのをよく見ていたが、何が悪いのか未だに理解できない。
5年前まで信子は銀行員として働いていた。20歳で短大を卒業して新卒として入行して以来、会社に尽くしてきたのだ。
入社したての頃は、仕事を覚えるのと上司に気に入られる事に集中し、家に帰ってもメモを見ながら復習した。
同期の子達は、同期会などと言って飲み会やボーリング大会を開いていたが、それにも参加せず、進んで残業をして、セクハラやパワハラにも耐えた。
あの頃はまだ、女性が働くためにはある程度のことに耐えなければなかった。
結果、誰よりも早く主任の座につき、35歳の時に当時としては異例の速さで店長代理という役席を得た。
母を養うため、自分が惨めな思いをしなくて済む為に努力をした賜物だった。
その代わり、ふと周りを見てみると、いつの間にか自分は一人ぼっちになっていた。あんなに大きな組織の中で。
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