忘れん坊の泥棒

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「僕を覗かないで!」 「キャッ」  引かれた袖を、振り払うことすら忘れて叫ぶ。泥棒の声は僕だけにしか聞こえない、僕だけの友達なのに。  声に驚いた少女が、掴んでいた袖を離す。  鬼が迫ってくる。その目には、幼い子供の無垢な悪意が浮かんでいた。目は、少女を見ている。 《おや、いい拒絶だねぇ。お前さんにはセンスがある。けど鬼に見つかっちまったよ? ああ、なんだい。あの坊っちゃん、自分の妹しか見てないじゃないかい》 「いやだ……」  何もかもが。泥棒が、自分の妹をあんな目で見る少年が、自分とは違う世界に生きさせられている少女の存在が。  嫌で嫌で、堪らなかった。 「お前っ、かくれんぼなのに一緒にいちゃダメだろ!」 「イタ……ッ」  少年の丸い手が、少女を僕から引きはがした。そのままの勢いで、彼女を地面に引き倒す。  開いた少年の瞳孔は、悪魔みたいに黒く煌めいていた。 「オレの友達の邪魔するな!」  違う、そんなひどいことする奴は、僕の友達じゃない。  僕を使って、彼女を責めるな。  張り裂けそうな胸の慟哭。  拳を振りかぶる少年。  諦めたかのように、茫然と少年を見つめる少女。 《嗚呼、まったく酷い。かわいそうだねぇ。お前さんがすぐにでも手を取っていれば、はならなかっただろうねぇ》  少女に同情していた泥棒の声が、いつしか冷めたものに変わっていた。代わりに滲んだ蔑むような声が、僕を非難する。  じゃあ、どうすればよかったというのだろうか。子供の自分にはわからなくて、涙が滲む。 《簡単だよ。嫌だ、やめろ、と言いな。泣いて解決するものは、世界にありはしないんだ》  この世界は、優しくはないのだからね。  少年の拳が、少女の頬に振り下ろされる。  少女は何も叫ばない。  ただ茫然と、迫る拳を見つめている。  その時見えた小さな瞳が、ただ一つ彼女の言葉にならない悲しみを訴えてるみたいで、気付けば僕は叫んでいた。 「ヤメロォォォォ──!」  ザアと風が吹く。  前髪が目に入って、目を瞑る。  頭に、泥棒の声が響く。 《毎度あり。男の子が信じてくれたから、泥棒は女の子を盗んで見せよう》  その声が脳を揺らして、僕は意識を失った。
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