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それは忘れん坊の泥棒の温もりにも思えた。
《だがこれだけは覚えておきなさい。お前は、泥棒を、忘れられない。泥棒の呪いに頼った奴は、自分も呪いにかかって泥棒になってしまうんだよ》
ふわりと、視界に長い黒髪が揺れた気がした。それはただの幻影だったのかもしれない。
こんな泥棒と起こした、こんな不思議な出来事なんて、フィクション以外の何物でもないのだから。
《じゃあ、餞別に金メダルをやろう。泥棒のとっておき。世界で最も偉大な武器商人の賞さ》
首筋に、そっと触れた掌の感触。
小さく布が擦れる音がして、薄い帯が首に掛けられた気がした。
《お手製の模造品だが、泥棒にはお似合いさね》
泥棒の声が、満足げに頷く。
けれどその声は、優しさよりも悲しみの方が色濃く滲んで、小さな胸を優しく締め付ける。
閉塞感と、泥棒から伝播する悲しみ。視界は段々と暗く狭くなって、けれど首にかかったメダルの煌めきが、最後まで僕を惑わし続けた。
《──ね》
別れ際の言葉に、彼女が何か言っていたような気がした。
目が覚めてしまった今となっては、それももうわからない。
メダルも、もう見えなくなってしまった。
あの夏。あのソーダみたいな空が弾けた夏。
僕は泥棒から逃げ出して、そしてきっと、泥棒の呪いに囚われた。
少女は盗まれたまま行方知れず、僕も半分の泥棒になって、忘れる世界に取り残された。
この呪いを解くにはきっと、もう一度忘れん坊の泥棒に会うしかないのだろう。
『──私と一緒に、短冊を飾りませんか?』
彼女の言葉を思い出す。
来年の話をすると鬼が笑うと言うけれど、彼女とまたいられるのなら、それもいいと思った。
《息子よ、飯だ》
父からのメールが、僕を追想から呼び起こした。
十年経ったあの日のかくれんぼは、未だに僕を罪悪感で押し潰す。
その日の夕飯は、不思議と味がしなかった。
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