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◆プロローグ◆
あの月はペテン師。
半分欠けている姿を隠すように、ゆっくりと流れる雲を被っている。
あんな見栄っ張りな月、快晴の空に浮かぶ太陽の隣に並べてやりたい。
夜空を見上げ心の中で毒づいてしまうくらいには、私は退屈している。待ち合わせ場所に早く着き過ぎた。
風が吹くたび、無防備な顔が少し痛い。
スズラン畑の中央にある屋外ピアノで、クリスマスっぽさを演出するのにも飽きてしまった。
冷たい鍵盤から手を離す。ひとりぼっちの演奏会を中断しても誰も困らない。
やたらと広い庭園には、自分以外に人の姿は見当たらない。ついでに、十二月の夜風を遮ってくれそうな建物もない。
人工的に作られた森、湖、街灯に照らされた花々。
品種改良を重ねた花が冬でも咲き誇っているさまは逞しく、なんだか健気にも見える。ほとんど年中が見頃だ。なのに、ここはあまりにも閑散としている。
イブの夜だというのに、煌びやかな飾りつけもライトアップもないのだから無理もない。
ロマンチックなひと時を求めるカップルたちは、他の庭園に集まっているのだろう。
……だからこそ、この場所を選んだ。念の為に遅い時間を指定した。
数えるほどしか見えない星を孤独に眺めていると、忍び寄るような気配を感じた。振り向くと、ピアノを囲むスズラン畑の向こう側に男が立っている。
ベージュのダウンジャケットを着た男は、つば付き帽子の上からフードを被り、大きなマスクをしていて顔がほとんど見えない。だけど、私には誰だかすぐにわかった。
隠された顔面に、黒くて大きな、牛のようなまだら模様があることも。
……この時を、心待ちにしていた。ほの暗い庭園で、寒さと退屈に耐えた甲斐があった。
「どうして君が……」
動揺が滲んだ声。あり得ないものを見たような顔をして、右手に持つ赤い紙をくしゃりと握り締めた。あれは私が贈った手紙だろう。招待状だ。
だから当然、私はここにいる。だけど正直、相手が来るかどうかは賭けだった。
男の恐怖心に気づかないふりをして、私は優しく微笑みかける。
こんな高揚感はいつぶりだろう。
神様の許可が下りた。そう思うことにした。
いや、サンタさんかな。寝ない子にもプレゼントを用意してくれた。
「来てくれて本当によかった」
椅子から立ち上がり、立ち尽くす男のもとへと、フットライトが並ぶ小道を歩く。
相手が警戒して逃げ出してしまわないように、冷たい視線を気取られまいと暖かな笑顔を貼りつけたまま、ゆっくりと確実に近づいていく。
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