3話

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3話

鳥の透き通るようなさえずりの中ガヤガヤ、ガチャガチャと外が騒がしい。 「ん、うるさ…」 目を開けると、見たことのない部屋の真ん中で私は横になっていた。高そうな真っ白の枕と布団。すごく広い部屋。木製の机にクローゼット。端には黒い生地に桃色の桜に銀のラメが散りばめられ、大きな蝶が印象的な浴衣。シンプルなデザインの部屋と家具。それを見て、あぁついに本拠地へ来たのだと実感が湧いた。外からは知らない男の声がする。 「急げ、準備が遅れてる。」 「待て、静かにしろ。ボスが起きちまう。」 …もう起きてる。何の準備をしているのか分からないが、ここにいる人全員が慌ただしくしているのだけは分かった。ヤクザの一家はどこも朝はこんなに忙しいのだろうか、と寝起きの脳でのんびり考えていると、 「おはようございますっス。サクラさん、お目覚めになられたっスか?」 ドアの向こう側からへらへら男の声がした。 「え、えぇ。」 寝起きであまり声のでない私だが、男は気にする様子はなくドアを開けずに話を続ける。 「昨日はお疲れだったのか寝てしまわれたので俺たちの方で運ばせてもらったっス。色々決まりごとやこの一家のルールを説明できなかったスけど、それはまた後日として。あなたには先代ボスの手紙を読んでもらいたく持ってきたっス。」 襖の間から茶色い封筒が顔を覗かせる。布団から出て受け取って見ると、確かに先代である私の叔父の名前が書いてあった。 「それは次期ボスしか見せてはならないと先代からお預かりしたものっス。」 「先代から…。」 「そっス。あとそれから、今朝食の支度をしてるっスので、ご自分の準備が終わり次第お部屋を後にしてくださいっス。桜蝶一家みな、ボスがどんな方なのか気にしてるっスから。」 「分かったわ。」 「それでは…ってあ、自己紹介してなかったっス。俺はケイ、あなたの身の回りの、まぁお世話係みたいな感じっス。」 「私はサクラ。これからよろしく。」 「こちらこそっスよ。では。」 足音が遠ざかっていく。朝食の支度をしているということは、さっき男達が急げと言っていたのはそのことだったのだろうか。 ノロノロと立ち上がり洗面台へと向かう。1部屋1部屋に洗面台とトイレがついているのか、本当に広くて驚く。しかしやはりお風呂は別か。流石に1部屋ずつ作るとなると、水道代などが目を見張るほどになるのだろう。冷たい水を顔に浴び、目が覚めすっきりした。鏡に写る水滴が滴った自分の顔を見る。ヤクザなんて到底思えない、大人しいとよく見られてしまうこの顔。こんな私がこれからこの一家のボスとなるのだ。認めない人も多いであろうこの家を、私が守るのだ。 冷たい家で育ち、冷たい態度を受け、冷たいご飯を食べ、冷たい心で生きてきた私が、次は危険と隣り合わせの世界で生きていく。そう思うと暗い気持ちになる。普通の家庭を私は一生体験などできないのだと。道行く家族を見て、あんな風になりたいと願うことさえもできないのだと。普通とは掛け離れた場所にいて、そしてこれからも掛け離れていくのだと、思いしらされる。 一通り準備が終わり、私は先代からの手紙を読んだ。 涙ぐんだ顔で掛けてある浴衣を着て部屋を出ると、ケイが襖の近くに片膝をついていた。私が出てくると立ち上がって背筋を伸ばす。 「準備終わったっスね。では行きましょう。」 陽の射す明るい廊下を、浴衣を擦る音と共に進む。たくさんの部屋があるなか進んでいくと目の前には一回りも大きな襖が。ここが一家皆が揃う場所なのだとすぐに分かった。中はザワザワとしており、何十人、何百人いるのか分からないが果てしなく多いことは分かる。思わず息を飲むと、 「緊張してるんっスか?」 ケイがこちらを覗き込んでいた。 「えぇ、そうかもしれない。」 「そりゃそうっスよね。でもウチの連中は良い奴っスよ。安心してくださいっス。」 この時私は初めてへらへら顔ではない、彼の笑顔を見た気がした。その笑顔に少しホッとし、私はついに襖を開けた。 一瞬で静かになった部屋に、目付きの悪い人や少し老いている人、若い人に小太りしている人など、様々な人達がこちらを凝視している。私はそのまま進み、皆が囲っている机の前に立った。 「…この度、桜蝶一家の長となったサクラと申します。この世界に不慣れなため、皆さんにはご迷惑を掛けることが多々あることでしょう。しかし私はこの一家を支える者として善処いたしますので、どうか私に付いてきてもらいたい。」 すると後ろからパチパチと手を叩く音が聞こえた。そちらを見てみると、手を叩いていたのはケイだった。それに合わせて1人、また1人と拍手をする人が増え、大きな合唱のようになり、しまいには口笛を吹く人達もいた。 「新しいボスだー!」 「よろしくお願いしやーっす!」 「ミスしても俺がカバーしまーっす。」 「いや、お前はミス増やすだけだろ。」 予想外の明るさに、思わず目を丸くする。ヤクザって、怖くて無口ですぐキレるような人と思っていたため、あまり普通の人と変わらない性格で驚いた。 「さ、皆腹減ってるっスよね。冷めないうちに早く食べるっスよ。」 心の底から安心して(ビックリもして)、ただ挨拶しただけで疲れて何も言えない私に代わり、ケイが場を進めてくれた。 「はいっス。サクラさん…じゃなかった新ボス。ここでは、ボスが最初にご飯に口付けてから俺らが食べ始めるんっス。」 炊飯器から一番最初に盛られたご飯をケイが私に渡す。久しぶりに、暖かい茶碗を持った。 「ありがとう…。」 白く輝いているご飯からは湯気が出ていて、暖かいというよりは熱いに近い。箸を持ち、少しだけすくいとって口に運ぶ。私はこの時初めてご飯を食べた気がした。もちもちで甘くて…何よりも温かい。 「サクラさん?どうしたんスかって…え!?」
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