189人が本棚に入れています
本棚に追加
37話
「ふぅ…喉が渇いたな。」
一通りの見回りが終わった神狼一家の幹部が、食堂でお茶を頼みに行く。
「おい、茶。」
そうして食堂の奥から出てきたのは、こちらもまた神狼一家の幹部の1人である少しぽっちゃりとした男。
「おう、お疲れだな。…そういや客間で何か問題があったのか?」
「あ?何でだよ。」
「そこで『キャー』とか『イヤー』とか、女の高い悲鳴が聞こえたって他の奴が言ってたぞ。」
そう言いながら、そっと冷たい緑茶を差し出す。見回りの男は礼として軽く会釈をしてコップを手に取り、あぁそのことか、と呟いた。
「奥様とレオンさんの婚約者である桜蝶一家の長様がいるんだと。」
「え!?も、もしかして…嫁姑問題勃発か?」
ひぇー恐ろしい、と自分の両腕を掴み震える男に、見回りの男はお茶を飲みながら、ふっと笑った。
「逆だよ、逆。」
「はぁ?逆?……なんだよー、もったいぶらねぇで早く教えろ〜!」
子供っぽい駄々をこねる男に対し、もう片方の男は鼻で笑い、仕方ねぇなと言いながらノリノリで答えた。
「あのお2人方はな…………レオンさんの子供の頃の写真を見て盛り上がっている。」
「見てみてサクラちゃん〜。こっちもすごく可愛いのよ?」
「本当ですね…。あのレオンが涙目になってる!」
「これね、あの子がお気に入りのおもちゃを振り回していたら自分で自分のこと殴っちゃって、すごく痛かったのか泣いちゃったのよー。もう本当にバカみたいに面白くてね〜。」
アハハハと笑い合う私たち。実はあの時、ドキドキで開いた本は普通の本ではなく、アルバムだったのだ。
時間を遡ること約20分。表紙をめくった途端、『R』と文字が書かれた服を身に纏う、生まれたての赤ちゃんの写真があった。
「こ、これは…!もしかして、レオンの小さい頃の写真ですか!?」
「そうなのよ!!」
さっきまで威厳に満ち溢れていたレオンのお母さんの顔が、ほっと柔らかな表情になった。その時話を聞いたところ、早くレオンの写真を見せたいと思い顔がニヤけてしまうのを、変な人に思われないよう必死で引き締めていたそう。また、それについて神狼一家の人達は、奥様がニヤけるのを我慢してあんな風になるのは、もう見慣れっこだとのこと。つまり皆は、レオンのお母さんがまた何かレオンのことでニヤけるのを我慢してるんだなって思っている中、私は心臓バクバクでその後を付いてきていたということだ。なんか…1人だけ勘違いしていたみたいで恥ずかしい…。
「それでね、これは…。」
とても楽しそうにアルバムをめくっていくレオンのお母さん。その様子をが何か良いな、と感じ見つめていると、
「…あら、ごめんなさいね。ずっと喋っていたわ。」
私の視線に気づき、照れたような笑みを浮かべた。
「すごく嬉しかったのよ。レオンがサクラちゃんを連れてきてくれて。」
「え?どうしてですか?」
「だって…ほら。愛のない政略結婚みたいなものだったじゃない?お相手と性格が合わなかったらどうしようって、あの子がやっていけるか心配だったの。…ふふ、でもね」
そう言ってレオンのお母さんは私の手を優しく両手で包み込んだ。
「段々あの子が丸くなっていったの。それと同時にサクラちゃんの話題が絶えなくなってきてね。…なんなら今ではもうあの子、あなたの話しかしないの。」
単純よね〜と笑うお母さんに対し、私は嬉しさと恥ずかしさが込み上げてきて顔が熱くなる。そんなにお母さんに話すなんて、一体どんなことを話してたの、レオン!
「あの子があなたにどんな気持ちを持っているかは、顔を見ればすぐに分かったわ。…まぁだからちょっと今日はいたずらしてやったんだけど。」
いたずら?そう疑問に思い首を傾げて考えていたところ、あっと思い出すことがあった。あの時のレオンのお母さん勘違い事件のことか。レオン結構焦ってたようだったけど、あれわざとだったんだ…。少しレオンが可哀想にも思えてきた。
「だからねほっとしてはいたけど、息子が夢中になった女の子ってどんな子だろうって気になったのよ。ほら、聞いただけじゃ分からないでしょ?『百聞は一見にしかず』ってね。」
「え!?私なんてそんな…。」
「レオンはあなたをすごく大切にしていると思うわ。何があってもサクラちゃんから離れる気はないと思う。」
その言葉にズキンと心に針が刺されたように胸が傷んだ。本当なら嬉しいその言葉が、今の私には心を抉る凶器のように感じる。
「そ、うでしょうか…?でも確かにレオンはすごく優しい人ですもんね。」
「…?どうかしたの?」
「えっと…いえ、別に…。」
打ち明けてしまいたい。今悩んでいること、不安に思っていること。でも…"レオンの"お母さんという名前が私の心に歯止めをかける。するとレオンのお母さんは、私の手を包んでいる両手にぎゅっと力を込めた。
「私、こちら側へ来て女の子と話せる機会なんて全然なかったの。せっかく今女同士で話せているんだから、なんでも言ってちょうだい。」
あぁ…似ている。やっぱり彼のお母さんなんだと、この時の私はふと思った。手から伝わってくる温もり、心に寄り添ってくれる温もり。それらがじんわりと私を包み込んで安心させてくれる。まるでいつも助けてくれるレオンのように。それにいつも安心して、思っていたことがすべて口からこぼれてしまう。
「私は…レオンの正式な婚約者でないのに彼の隣にいていいのでしょうか。その資格があるのでしょうか…?」
「え…。」
レオンのお母さんがそう声を漏らした時、廊下でカタンと小さな音が聞こえた。あれ?と思い、扉をじっと見つめてみるが、シーンと何も聞こえなかった。空耳だと思い、私は彼女に向き直る。
「私は桜蝶一家の長だと言われていますが、まだ正式な長ではありませんでした。親又は親族の承認書…それがなければ私は長ではない。つまりレオンの婚約者ではないんです。」
それが誰からの情報だっていうのは秘密にしておくことにした。だってこの人も優しくても神狼一家。レオンのお父さんのように月森組を憎んで、彼らを信じない可能性が大きかったから。だからただ今自分が不安に思ってることだけをぶつけた。
「きっと私の親の情報など知っていることでしょう。あの人達から承認書をもらうだなんてほぼ無理だと私は思っています。」
「確かに、難しそうね。……それでサクラちゃんはその事が不安に思っていることなの?桜蝶一家の長になれないかもしれないってことが。」
そう見つめられ、私はブンブンと頭を横に振る。違う…違う。そんなの全然大事なことじゃない。不安になんか思っていない。桜蝶一家の皆のこと大好きだし、大切に思ってる。だから長なんていう地位がなくても皆と関わりを持っていられればそれでいい。でも今1番私が不安なのは…!
「レオンが…レオンが私に幻滅して離れていってしまうことが怖い…!」
「…どうしてそう思うの?」
「だって…元々私達は、組のために婚約した仲なんですよ…?」
そう…初めはそうだった。ただ組同士のための婚約。でも今こうやって仲良くなってお互いの気持ちも確かめ合えた。彼を信じていない訳ではない。だけど、どうしても…不安な気持ちが拭いきれないの。
「長でない私を彼は受け入れてくれるでしょうか。神狼一家に必要のなくなった私を…っ!」
「…ふざけんなよ!」
すると部屋の扉が勢いよく開かれ、上半身裸のレオンが息荒く鬼の形相で立っていた。
最初のコメントを投稿しよう!