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39話
ピンポーン。震える手でインターホンを鳴らし、その手を握って胸元に置く。準備万端で、レオンとも離れ離れになるという不安もなくなったというのに、今でもまだ怖い…。今まで通り桜蝶一家の皆とこれからも一緒に暮らしていけるのか。もしこの承諾を得られなかったら…。
するとレオンが私の手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「大丈夫だ。俺がついてる。」
「レオン…うん、そうだよね。」
私の隣にはレオンがいる。今の私にとって彼の存在は何より強いお守り…みたいな、ちょっと暴れる心配のある爆弾みたいな。そうこうしているとガチャ…と静かに扉が開いた。
「どちら様…ってサクラ…?」
「お、お父さん…?」
母が出てくると思っていた私は、久しぶりの父の顔を見て一瞬戸惑った。
私が出ていったあの日、父は朝から夜遅くまで仕事だったため家を空けていた。父にとっては娘がいつの間にか急に家を出ていき、そのまま帰ってこないという状況だっただろう。そのことに関しては、桜蝶一家に来てからも申し訳ないと思っていた。父はいつも私のことを気にかけてくれていたし、少し抜けているところもあって、一緒にいて楽しい人だった。…けれど、母の言動を止めることはしてくれなかった。それに私のいない所で母を宥めるために、いつも私への陰口を言っていた。それが母を宥めるだけの言葉なのか、本当に思っていたことなのか分からなかったが、私をこの家で孤独にさせた原因の1つであることに変わりはない。
お父さんは私を見るなり嬉しそうな笑みを浮かべた。
「サクラ…!やっと帰ってきたのか。お前がいなくなってどれほど心配したことか…これでようやくお母さんも落ち着くぞ。お母さんがどれほどお前を心配して…」
「用があってきただけ、終わればすぐ帰る。」
「か、帰るって…ここがお前の家じゃないか。」
『お母さんが私を心配』?『ここが私の家』?笑わせないで。その言葉にイラッときた私は父の声を遮ってそう言った。私が出ていく前と何のかわりもないのか、この人たちは。
「外で話すのもなんだから、中入ってい?」
「あ、あぁ…そうだな。ゆっくりしていきなさい。」
家の中に入り、リビングテーブルの前の椅子に座るまでの間、レオンはずっと私の手を握っていてくれた。父が人数分お茶を出し一息ついたころ、私はようやく口を開いた。
「ここにサインしてほしいの。」
そう言って父に差し出したのはA4サイズの承諾書。ケイが、私がレオンの家から帰ってきたその日にもう準備してあったものだ。
「これは…。」
まじまじと紙を手に取り、見つめる父に私は言葉を続けた。
「桜蝶一家は知ってるよね?そこの長になるためには親又は親族の承諾が必要なの。私は彼らの長になって皆を引っ張っていきたい。あそこは私の大事な居場所なの。だからお願い…サインして。」
父なら何も言わずサインしてくれるだろう。母と違って私を必要となんか…いや、母も私自身を必要なんてしていなかったが、彼女よりは快くサインするはずだ。そう思っている私の前で父は少し苦笑いを浮かべ、呟いた。
「ここに帰って来る気はないのかい?」
「…え?」
「こんな危険な所にいなくたっていいじゃないか。危なくて野蛮な人達といなくても、お前の居場所はここに、」
「ふざけないでよ!私は…なっ!?」
立ち上がり父に反論しようとする私の手を、レオンは軽く引っ張る。そして何も言わずただ見つめてくる彼に、私はある日のことを思い出した。
『冷静になれよ。』
それは以前、私の組の者が月森組にボコボコにされて帰ってきた日、静かに怒り狂いそうになっていた私をレオンが止めてくれた時の言葉だ。
そうだった…怒りに任せると頭が回らなくなる。桜蝶一家の長であることを忘れるな。これは全てレオンが私に教えてくれたこと…。あの頃はお互い名前呼び捨てで呼べなくて、私は敬語が取れなくて色々あったなぁ。そう思い返していると、さっきまでの怒りが嘘みたいに引いていき、冷静さを取り戻した。
そうだ…私は桜蝶一家の長。正式じゃなくても、皆から長と認められ、その仕事を任されている人なんだ。常に冷静で落ち着いた判断をしないと。深く息を吸い、大きく吐き出す。
「お父さん、私ね」
するとガタンと部屋の奥から物音が聞こえ、ドアが開いた。顔を見せると同時にその者の声が。
「サクラが帰ってきたって?」
「……お母さん。」
母は私を見るなりクマができたその顔に嘲笑を浮かべた。
「ほらどうせ私達の助けが必要で帰ってくるのよ。これで分かったでしょ?あんたみたいな子供は親がいないと何もできないの。ほら、さっさと私に謝りなさい。そしたらここに戻ることを許してあげるわ。」
「おいそれはないんじゃ…!」
「レオン!」
母の態度に流石のレオンも頭にきたのか言い返そうとするが、私はそれを制した。これは私が解決しないといけない…。腕を組み私の謝罪を待つ母に向き直り、私は頭を下げた。
「あの時はあんな生意気言ってごめんなさい。」
「おいっ…!」
「ふっ。」
「でも、あの時の言葉が間違いだとは思っていません。」
「はぁ!?」
その言葉に母は怪訝そうに眉を寄せ、レオンは私が何を言いたいか理解したのかニヤリと笑った。
「確かに私はまだ子供です。あなた達親を頼らなければいけません。けど、コレさえサイン頂ければ完全に縁を切れるんです。もう二度とあなた方と関わることはありません。」
「あんたねぇ…!」
私の言葉にカチンときた母は、ズンズンとこちら近づいてきた。
「今までの恩を忘れたと言うの!?」
「暴力で育ててくれたことに感謝しろと?」
「あんたを育てたのは、これから私が楽に生きていくためよ!それが親を裏切って…そんなこと許されるとでも思ってるの!?」
そして母は机の上にあった花瓶を手にする。私はそれを黙って見つめる。
「一時見ないうちに、随分と舐め腐ったようね…あの時のあんたに戻してやるわ!」
そう言ってヒュっと音が聞こえる程の速さで、花瓶を持った腕を持ち上げ、私の頭に勢いよく振り落とそうとする。私はそれをボーッと見つめ、何もすることなく眺めていた。…もしこれで怪我したら傷害事件として訴えられるかな。と、迫り来る花瓶に対して冷静に考えていたその時、
「サクラっ!」
「え、」
パリーンと花瓶のガラスが床に散らばった。と同時に鮮やかな赤色をした血がポタポタと床に色をなす。私自身何の衝撃もなく、一瞬頭が回らなかったが、その血の主を見て声を上げた。
「レ、レオン!」
「くっそ…。」
顔を歪ませながら、左腕を抑えるレオン。彼は私の前に立ち左腕で花瓶を受けたそうだった。とめどなく流れる血に私は動揺を隠せない。
「どうして庇ったの、こんな怪我までして…。」
しかしレオンは傷なんかどうでもいいと、こちらに向き直った。
「お前避ける気なかっただろ。」
「そ、それは、色々考えてて…!」
「お前、俺の婚約者であること自覚してないのか!?お前が怪我してもいいと思ってても、俺は嫌なんだよ。もうお前の身体はお前だけのじゃねぇんだ!大切にしろ!」
真剣な眼差しでそういうレオンに、こんな時であるのにも関わらず胸がキュンと跳ねた。
「ご、ごめんなさい…ありがとう。」
「ん。」
「…レオン、大丈夫?痛くない?」
「痛えに決まってるだろ。」
「そ、そうだよね!ごめんね、すぐ救急箱取ってくる!」
私は元は自分の部屋だった場所に行き、救急箱を取りだした。あの頃は自分で自分の手当をしていたっけ…。桜蝶一家に行ってから、皆が手当してくれることがいつの間にか当たり前になっていた。
「じゃあ腕出して。まずは消毒しないと。」
「あぁ。……っ!……いってぇ!」
「我慢!」
「いやマジで痛えんだって。もうちょっと優しくしろよ、怪我人だぞ。」
「あらあら大丈夫ですか?痛かったら言ってくださいね。気が向いたらやめますので。ところでこの傷口にレモンをかけてもよろしいでしょうか?」
「とんでもねぇ奴だな。」
怪我の手当をしながら笑い合う私たち。そんな中父は母に怪我がないか気にし、母は私達を恨めしそうな顔で睨んでいた。
もう気にするもんか。私にはレオンがいる。大事な大事な人達とこれからも共に歩んでいくために、私は戦う。
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