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43話
「じゃあ、もう帰るね。」
桜蝶一家のこと。空波一家のこと。その場に立ち会った両親に何も話さない訳にはいかず、全てを話した後、発狂する母を置き外に出た。
家に入る前の緊張した気が今では完全に失せ、晴れやかな気持ちで家に背を向ける。
私は何があろうと桜蝶一家にいる。誰になんと言われようが、みんなの傍に…そして彼のそばにいる。
ただそれだけのことを決心するのに、長い時間を過ごしてしまった。こんなにも当たり前なことだったのに。そう思い、私は隣にいるレオンの手を握った。
「うぉっ。」
と小さく声を出したレオンだがすぐにフッと笑い、ぎゅっと握り返してくれた。こんな小さなことでも幸せを感じる…。
「レオン。」
「ん?」
「私これから何があっても頑張る。」
「もちろんだ。俺もお前を支え続けるよ。」
「…うん。」
遠くにある車の前でケイがこちらに手を振る。
「お二人共ー、出発するッスよー!」
「はーい!…レオン行こっ。」
そう言ってレオンの手を引っ張り、向かおうとしたその時、
「サクラ!」
後ろから父が私を呼ぶ声が聞こえた。てっきり母と一緒に家に籠ると考えていたため、外に出て引き止められるなんて思ってもいなかった。
「お父さん…何?」
「これ…大事なものなんだろ?」
そう言って、微笑みながら差し出したその手には承諾書が握られていた。……それも父のサイン入りで。
「え…どうして…。」
驚きで思わず固まっている私に対し、父はいつになく真面目な顔を浮かべた。
「お父さんはねヤクザなんて危険で野蛮なヤツらだって、ずっと思ってた。それは今も変わらない。だから見栄とかそんなんじゃなく、心からサクラが心配だったんだ。」
「…うん。」
父の気持ちは分からなくもない。私だって初めはそう思っていた。そんな危険な場所でも家よりはマシだと思って、私はこちら側へ来たのだから。でも実際は危険なところでもあるけれど、それを簡単に上回る楽しさがあった。…これはこちら側へ来ないと分からないヤクザ界の面白さなのかもしれない。
「でも今日お前が沢山の人をまとめ、動いてるのを見て、今まで家でこんなサクラの活き活きした顔を見た事がないって…心の底から今の場所が好きなんだって分かった。」
そう言い、微笑む父の言葉に私は胸を打たれた。嘘…そんなにも見られていただなんて。私は、父は私に興味が無いとずっと思ってきた。母だけが好きなのだと。だから私が何をしようが、どんな気持ちだろうが、気にせずに母へ向かうと思っていた。そんな父があの状況で母を匿いながらも、きちんと私のことを見ていてくれたと思うと、喉の奥がツン…と痛くなる。
「自分の信じる道を行きなさい。」
「ぁ…あり、ありがとう…。」
震える声を何とか抑え、承諾書を両手で受け取る。真っ白な紙が太陽に反射し、私は目を細めた。その光が眩しかったのか、それとも私の涙が太陽に反射され眩しかったのか、その時の私には全く分からなかった。
そんな私の姿を見て、父はポンと私の頭に掌を乗せる。そしてそのまま優しく頭の上で、まるで小さな子供をあやすように撫でた。
「…ごめんな、今まで気づいてやれなくて。これがお前が決めた道なら、お父さんは全力で応援する。…お母さんについては、明日にでも病院に連れて行ってみようと思う。だから、今じゃなくていい。今じゃなくていいけど、それでもいつか彼女を許してやってくれないか。」
このまま話しては情けない声になると思った私は、コクンと大きく頷いた。それを見て安心した父は私からそっと腕を放し、レオンの方へ向き直った。
「君…いや、レオン君はサクラの婚約者だったかな。」
「はい。」
いつになく真面目に答えるレオンに、こんな時ではあるが静かに笑みが零れた。下を向いているおかげで、その顔は見られていないため安心安心。
「こんな不甲斐ない父親だけど、娘が大事なのは変わらない。…サクラをよろしくお願いします。」
そして直角に頭を下げる父に、レオンは一瞬ドギマギしていたが、すぐに平常心を取り戻した。
「顔を上げてください。…俺はまだ学生という身で、何においても未熟なところがあります。でも何があってもサクラを1番に考えるし、全力で守ります。サクラを絶対に幸せにします!」
出会った頃の彼とは想像できないほど、落ち着いてそう言い放つレオンに、私は涙など振り払って顔を上げた。
「違う。2人で1緒に幸せになるの!私だってレオンのこと考えるし、全力で守る。一方通行なんてさせないから。」
「そうだったな、お前はそういう奴だ。…2人で一緒な。」
「うん!」
そう言い、幸せいっぱいの満面の笑みを浮かべる私達を、父は静かに愛おしく見つめていた。
そして数日後。
「では、ここにおられるサクラ様を桜蝶一家の正式な跡取りとし、正式な長として迎えることに異議のあるものはいるか。」
「「……。」」
「では、桜蝶一家の長と神狼一家の長の婚約にいぎのあるものはいるか。」
「「……。」」
「…それでは今ここに、桜蝶一家と神狼一家の正式な長が誕生し、縁を結んだことを宣言する!」
長い長い宣言式を終え、私は晴れて桜蝶一家の現長となった。いくつも重なり、ずっしりとした重さを感じる袴の裾を地面に擦りながら、皆が宴を行っている場所へと向かう。ここまで来るのに、沢山の思いや経験をしてきたのに対し、案外すんなりと宣言式が終わったことに中々実感がわかない中、廊下をひたすら歩いていると、
「サクラ。」
後ろから、そう愛おしく私の名を呼ぶ人が。
「レオン…!」
振り向くとそこには、重そうにしながらも、カッコよく紋付袴を着こなす彼の姿が。
「ったく、なんでこんな重ぇの羽織んなきゃいけねーんだよ。暑苦しいだけだろ。」
「婚約者が出来た長は、その相手と正装して式に出なければならない。…代々受け継がれてる行事なんだから我慢しないと。」
「…別に嫌とは言ってねぇだろ。」
胸元の裾を握りパタパタと仰ぐ彼を、私はフッと微笑みながら見つめる。
当たり前のように私の隣には彼がいて、ただそれだけで心が休まるだなんて、ヤクザ界に来る前の私は考えもしなかった。まず、ヤクザ界に来ることを選んでいなかったら、彼に会えていなかったし、ずっと孤独に家で過ごすことになっていたのかもしれない。彼の隣を歩く度に、あの時こちら側へ来ることを選択した私は間違っていなかったのだと実感する。
「…ん?なんだよ。」
「ふふっ。…なんでもない。」
それから無言のまま部屋の扉の近くまで来た頃、ようやくレオンが口を開いた。
「……サクラ。」
「ん?」
「お前、変わったな。最初の頃とは全然違ぇ。強くなった、色んな意味で。」
「それはレオンも一緒でしょ。…それに私が変われたのは、レオンや皆のおかげ。だから、すごく感謝してるの。…ありがとう、私を見放さないでずっとそばにいてくれて。」
「……バーカ。これからもお前の隣にいるんだよ。別れの挨拶みたいに言うな。」
「確かにそうだけど…でも、本当にありがとう。」
そう言って、ウルウルしてきだした私にレオンはそっと指を私のおでこに近づけ、間髪を入れずデコピンをお見舞する。
「った!?」
「今から大勢の奴らの前に行くのに、長がそんなんじゃ締まらねぇぞ。礼はいいから、シャキッとしろ。」
「…うん、そうだね!」
「準備はいいか?開けるぞ。」
「うん!」
そうして開かれた扉の先には、桜蝶一家の皆と神狼一家の皆、そしてなぜか宣言式に立ち入った月森組の皆が仲良く飲み会をしていた。入ってきた私たちを見るなり、皆は次々に口を開いた。
「やっと主役の登場っスか。」
「早く来てくださいよ〜、ずっと待ってたんですからぁ。」
「サクラちゃん、とても似合ってるよ。」
「レ、レオンさんも似合ってます!」
「2人の話聞かせてくれよ〜。」
「ちょ、お前酔ってるだろ!近づいてくんな!」
「あー!今俺の足踏んだの誰だ!」
ケイや組の皆。ルイさんや、ルイさんを少し気にしながらオドオドとするシンヤさん。…それに泥酔しきった人達。さっきの静けさとは打って代わり、騒がしい空間に2人とも苦笑いをうかべる。が、これが私の…いや私達の組だ。逆に静かだったら、そっちのほうが心配になる。
私と同じことを思ったのか、レオンもやれやれという顔をして笑っていた。
わちゃわちゃと騒がしく忙しい組。皆それぞれの事情を抱えながらも、笑顔で何も言わず私たちに付いてくると決めてくれた。こんなにも優しい世界。それを長となった私は守っていかなければならない。大事なものが増えるということは、また危険がつきものである。それでも私は、この組を大きくするために、また同じような境遇を持つ者を救うために、大事なものを増やしていきたい。
この事について不安がない訳では無いが、意思を曲げる気も無い。
私は1人じゃないから…。私とレオン2人だけでもないから。こんなにも多くの人が傍についていてくれる。力を貸してくれる。
これからどんなことが起ころうとも、それは変えようのない事実だから、私は何だって頑張れる。
「サクラ、皆待ってるぞ。」
「うん…今から行く!」
私達の物語に終わりなんてない。だって人は誰しも皆変われるから。変わる度に新しい世界が幕を開け、新しい扉が開かれる。全てが始まりなんだ。
(終)
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