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 落ち着こう。そう自分に言い聞かせたリュリュナは、空になった茶碗を集めて立ち上がった。 「そろそろお母さん、畑仕事に行く時間でしょ。お茶碗はあたしが洗っとくよ」 「あら、どうしたの」  気を利かせたつもりのリュリュナの発言に、母親が目を丸くした。   「いつもはお願いしてもいやだ、めんどくさいなんて言って、遊んでばかりなのに」 「う……それは、その、だってあたしもいつまでも子どもじゃないし。お手伝いくらい、するよ」  確かに、リュリュナの記憶が正しければ昨日までの自分はお手伝いよりも遊びたいと、言いつけられた仕事を放り出していたはずだ。  けれど、高校生としての記憶がよみがえったいま、振り返れば自分のあまりにも子どもっぽい行動が恥ずかしくなって、リュリュナはくちを尖らせた。  それなのに、母親はおかしそうに笑う。 「何言ってるの、あなた、まだ子どもでしょう」  言われて、いまの自分が五歳児であることを思い出したリュリュナであったが、いまさら子どもらしくふるまうのも気恥しい。 「子どもだけど……でも、もうお姉ちゃんだもの! いつまでも遊んでばっかりじゃないの」 「あらあら、そうなの。それはありがとう。助かるわ」  母親はそう言って、そばの実を顔いっぱいにつけたルトゥを抱えてあやす。  話しながら茶碗を部屋のすみの木桶に張った水にひたしたリュリュナは、桶にかかっていた布を濡らして絞り、食卓にとって返した。 「あら、ほんとうに気が利くこと。子どもの成長は早いわねえ」  のほほんと笑う母親の声を聞きながら、リュリュナは食卓のうえを濡れ布巾で拭いていく。  ちいさな、ちいさな座卓だ。ここにいる三人と、すでに仕事に行っている父親の茶碗を置けば、もういっぱいになってしまうような座卓。  ―――前のあたしが部屋に置いてたローテーブルよりちいさいし、狭い……。  以前の記憶を持つリュリュナからしてみれば、ずいぶんと粗末な踏み台のような卓だけれど、いまの一家にとっては数少ない大切な家財だ。  家族四人が雑魚寝をすればいっぱいになってしまう家のなかにあるのは、このちいさな食卓と部屋のすみで丸まった擦り切れた寝ござ、かけ布団がわりの季節外れの服と、土間にあるかまどと水瓶、それからちいさな木桶くらいだ。  これまではふつうだと思って暮らしていた我が家は、記憶がよみがえってみればとんでもなく貧しい。  一間しかない部屋は軋まない箇所がないほど傷んだ板間であるし、土壁は欠けて出入口の引き戸は傾き、木の皮で葺かれた屋根は草や苔が生えている。  これはリュリュナの家だけではない。この村のどの家も、似たようなものだ。  村人総出でわずかな畑を守り山の恵みを手に入れて、半年に一度ほどやってくる行商人の老人と物々交換で物を手に入れることでどうにかこうに暮らしているありさまだ。  ―――こんなのじゃ、いまに村がなくなっちゃう。    リュリュナは危機感を抱くと同時に、自分の記憶がよみがえった意味を思った。  ―――あたしが前世を思い出したのは、きっとこの村を豊かにするため! そうとなったら……。 「お母さん、ルトゥあずかるよ」 「そう、お願いね」  受け取った弟は、記憶にある一歳児よりもいくぶんふっくら感が足りないようだった。それでも五歳児のリュリュナにとっては、じゅうぶんに重たかった。  よろけそうになるのをこらえて、身支度を整えた母親と家を出る。  閉めた扉には当然、鍵などない。村人はみな家族のようなものであるし、盗るほどの物もないからだ。 「それじゃあ、あたしたち村長さんの家に行くね」  不用心だ、と気になってしまう前世の記憶にふたをしながら母親に声をかけたとき。 「おおい、リュリュ。あそぼーぜぇ」 「あそぼー」  ふたつの幼い声がして、軽い足音が近づいてきた。  すぐにリュリュナの家の角からひょこり、ひょこりと顔を出したのは、リュリュナの幼なじみの男の子であるチギと、その妹のカモイだった。ふたりの背中では、長い尻尾がゆれている。  深緑色の髪に埋もれた猫耳をぷるぷるとふるわせて、兄妹が駆け寄ってくる。   「チギ、カモイ。今日からあたし、いっしょに遊べないの」  愛らしい兄妹に告げれば、ふたりはそろって耳と尻尾をぴんと伸ばしてショックを受けたように固まった。その姿に申し訳ないな、と思いながらもリュリュナは伝える。 「ごめんね。あたし、お姉ちゃんだからルトゥの面倒見なきゃ。村長の家に集まるほかのちいさい子たちのお世話もあるし」  村人総出で農作業にあたるため、仕事を任せられない幼い子どもたちは村長の家に集まるのだ。けれど託児所ではなく、ほんとうにただ集まり、親の帰りを待つだけの場所だ。  昨日までのリュリュナはちいさい弟を村長の家に放り込むと、退屈な家を抜け出して野山を駆けて遊んでいた。けれど、高校生まで生きた記憶を思い出したいまは、そうはいかない。  自由すぎる幼児たちに手を焼く村長の手伝いをするほかにも、いろいろとやりたいことを考えていたリュリュナには、遊ぶ時間などなかった。  そう思って告げたのだけれど。 「……だったら、おれもお兄ちゃんになる! かっこいいお兄ちゃんになるんだからな!」  幼なじみのチギは、負けん気の強さを発揮したのか、そう宣言した。  横にいたひとつ違いの妹の手を握って、精いっぱい背伸びをする彼は、ぴこぴこ動く猫耳も相まってかわいいばかりだ。 「それじゃあ、いっしょにがんばろ」 「お、おう!」  かわいい弟ができたつもりでほほえむリュリュナに、チギは顔を赤くしてうなずいた。  はりきっちゃってかわいい、などと思いながら村長の家に向かうリュリュナたちを見送りながら、リュリュナの母親はふふふ、と笑う。 「チギくんってば、前途多難そうね~」  ちいさなつぶやきは、はりきって歩くちいさな集団に届かず、リュリュナの母親の胸にしまわれた。
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