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「いいか、変なやつについて行っちゃだめだぞ。食べ物くれるからって、知らないやつの家にあがるなよ! 村じゃないんだからな。それから、困ってそうなやつがいたからって、ほいほい手を貸すんじゃないぞ」  十五歳になった春。  およそ半年をかけて両親の説得に成功したリュリュナとチギは、ついに村を出た。  見送る村人たちに手を振って、リュリュナとチギは生まれてはじめて村の外に踏み出した。  山道を越えて歩くこと、四日。山を越えた先にあるとなり村で待っていた行商の老人、ルオンと合流した。そこからはルオンの操る馬の引く荷車に乗せてもらい、さらに二日。がたごと揺られていい加減お尻がしびれてきたころ、ついに目指していた街が見えた。  夕暮れのなか、濃い影を浮き立たせて姿を見せたのは、このあたり一帯でいちばん大きなイサシロの街だ。  木立ちの向こうにちらりと街が見えた途端、それまで馬の操縦を覚えようとルオンに付きっ切りだったチギが、リュリュナの横に移動してきて口やかましくしゃべりだした。 「リュリュみたいなちんちくりんがひとりで街に出て、ほんとうにやってけるのかよ……」 「ちんちくりんってなによ! 生まれはチギよりあたしのほうが、すこしだけ早いのよ!」 「早いって言ったって、ほんのひと月くらいだろ。見た目の問題だよ。見た目の」  生意気なくちを叩く幼なじみに、リュリュナはほほをぷっくりと膨らせる。少しくらい背が高いからといって、生意気だと思うリュリュナにとっては、チギは年下の弟のようなものだ。 「読み書きはあたしのほうが得意だもの。チギこそ、あたしがいなくてひとりで髪の毛、結べるの? ルオンさんに結んでもらうの?」 「だれがじいさんなんかに!」  リュリュナが問えば、眉間のしわをいつもより深くしたチギが即座に否定する。かぶせるように荷馬のほうからルオンが「だれが小僧の髪なんぞ結ぶか!」と答えているあたり、このふたりは似ているなあとリュリュナは思う。  チギはぴんと立った猫の耳、ルオンはぺたりと垂れた犬の耳を持っていて見た目は似ていないのが、またおもしろい。 「だったら、覚えなきゃ。今から結び直してあげるから、覚えてね?」 「……おう」  がたがたと揺れる荷車のうえで、リュリュナは今朝結んでやったチギの髪をほどき、さらさらと指を通す。  リュリュナより、すこし濃い緑の髪。ふわふわ踊る自分の髪とはちがうその感触を楽しみながら、リュリュナは覚えやすいようにゆっくりときれいに、髪を結い上げていく。  けれど、それほど時間はかからずに結い終えてしまう。そして、荷馬車もまた目指していた街の前に到着していた。  ひとが行きかう街の入り口からすこし離れたところで、ルオンが馬を停めた。降りるのはリュリュナひとりだ。荷物も古ぼけた手提げかばんひとつきり。  それなのに、チギはリュリュナのかばんを手にしていっしょに荷台を降り、街の入り口までついてくる。 「腹出して寝るなよ。仕送りするからって、自分の食い物減らすんじゃないぞ。服も、季節に合わせたやつ揃えろよ。寒いの我慢したり、暑いのに長袖で過ごすなよ。おれだって稼ぐんだからな。リュリュといっしょにがんばるからな」 「うん、チギもね。ちゃんと食べてね」  荷馬車のうえでさんざん聞かされたことばが、また繰り返される。けれどリュリュナは笑って全部を受け止めた。  姉弟のように過ごした彼とも、しばらくのお別れだ。村を離れるときに見送られたときよりもどうしてか寂しい気がしてして、リュリュナはとがった八重歯を見せてことさら笑ってみせた。 「それから、なんだ」  なおも続けようとするチギに「もう行くぞ! 今生の別れでなし、口やかましい男は嫌われるぞ」とルオンの声が飛んできて、チギはくちをつぐんだ。  一歩、リュリュナから遠ざかったチギは、けれどもう一度くちを開く。 「必ず来るから。ひと月後に来るから、それまで、元気で」  言って、くるりと踵をかえした彼の三つ編みがリュリュナの目の前でひらりと揺れた。  ずいぶん大きくなってしまった彼はほんの数歩で、遠くへ行ってしまう。 「待ってるから!」  だから、リュリュナはその背に向かって声をあげた。 「チギも、元気でね! ルオンさんと仲良くするのよ! 待ってるからね!」 「ああ!」  リュリュナの叫びを聞いたチギはルオンの待つ荷車に飛び乗るとくるりと振り向いて、幼いのころのようににっかりと笑って手を振った。  馬が歩き出して、その笑顔が遠ざかっていく。胸に染みる寂しさを噛みしめるよりも早く、荷馬車はどんどん離れていき、じきに曲がり道の向こうへ見えなくなってしまった。  ひとり残されたリュリュナは、きゅっと唇を引き結んで曲がり道に背を向けた。  山道を抜けた先に広く開けた視界いっぱいに、街がひろがっていた。山を背にして立つリュリュナから見て左側には、天辺が平らになった木のない山が見える。その山裾から色紙をばらまいたかのように、たくさんの建物が建っていた。  目の前にある街の入り口を正面に見て「よし!」とちいさく気合を入れる。  そして出入りするひとの流れに乗って街に足を踏み入れたリュリュナだったが、ずんずんと勢いよく進んでいた足は数歩も行かないうちにゆっくりになり、街のなかにはいって間もなく、立ち止まった。 「……ぅわあああぁぁぁ……」  見上げる位置に建物がある、道に沿って建物があるというよりは、建物の合間に道があるというようにみっしりと店や家が立ち並んでいた。  そして、道のいたるところにひとが居り、あちらこちらで開かれた店がそれぞれに色や匂いや音を持ってどちらを向いてもにぎやかだ。  街だ。と声もなくリュリュナは感動していた。  生まれ変わってはじめてのひとの多さに喜びのような感動を覚えていた。村にあふれていた緑以外の色を持った鮮やかな景色にうれしくなる。  あれは服屋だろうか、店先に飾られた鮮やかな黄色のふんわりしたワンピースは、今生ではお目にかかったことがないすてきな品だ。向こうにあるのは花屋だろう、色とりどりの花が活けられた桶がたくさん並んで、目に楽しい。髪飾りを扱う店は輝いているし、色も形もさまざまなリボンが並ぶ店などいち日中見ていても飽きないだろう。  前世から数えて実に十数年、リュリュナは店で買い物をしたことなどないことに気が付いた。  そう思うと、あれもこれも欲しくなってくる。擦り切れた村人のお古を着ている自分が悲しくなってくる。  けれど。 「だめだめ、お金なんてないんだから。まずは、紹介されたお店に行かなきゃ!」  着替えをいくつかだけ持って村を出てきたリュリュナは、とにかく今日の寝床を確保しなければ、と日が落ち始めた街のなかに進んでいった。
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