Prologue

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Prologue

放課後、自分たち以外に人のいない教室で、あまり親しくない女子に恋バナを持ちかけられた場合。少しの期待が頭をもたげるのは、仕方のないことではないだろうか。 じっと見つめてくる視線に、佐藤は頭をフル回転させながら言葉を探していた。 「好きな人とかいるの?」と聞かれたのが、ほんの十数秒前。それを聞いてきた張本人──金原琴音は、クラスメイトだった。 金原は大人しめの印象で、言葉を交わしたことも数える程度しかない。今だって、たまたま忘れ物を取りに来た教室に、金原が一人で暇そうに携帯をいじっていたので、「誰か待ってんの?」と声をかけただけなのだ。佐藤の言葉に、金原は少し驚いたように顔を上げて、小さく頷いた。そのまま会話が終了したと思った矢先の、突然の質問である。 「……なんで急に?」 ようやく絞り出したのがこの回答である。もっと他に言い方あっただろう、と後悔しても後の祭り。佐藤は、自分の頬がひくりと痙攣したのがわかった。 金原はふい、と目を逸らし、考えるように少し間を取ってから口を開いた。 「……気になったから?」 その言葉に佐藤は硬直した。内心の動揺はピークである。何とも思ってない人間の、好きな人の有無が気になるだろうか?佐藤は、ごくり、と唾を飲み、最大限に平然を装って答えた。 「い、ない……よ?」 多少まごついたが、声が裏返らなかっただけでも大健闘である。金原は、ふうん、と相槌を打つと、視線をこちらに戻した。 次にその口から放たれる言葉に、佐藤は内心で身構える。心臓の高鳴りを抑えるために手に持っていたノートを強く握りしめた。金原は、佐藤の顔をまっすぐに見てこう言った。 「ありがと」 金原はそのまま視線をスマホへ戻す。何事もなかったように画面を操作し始めるその様子に、佐藤は一瞬脳の処理が追い付かずにその場で立ち尽くした。 ありがと、とは、一体何に対する礼なのだろうか。まさか今自分は遠回しな告白をされたのだろうか?いやそれはない、と冷静な自分がツッコミをいれる。本当にただ単純に気になったから聞いただけなのだろうか?金原は意外とコイバナに貪欲なタイプだったのだろうか。 金原にはもう会話を続ける気はないらしく、スマホに集中したままこちらの様子を気にするそぶりもない。勝手に盛り上がってしまった気持ちが肩透かしをくらい、佐藤は脱力しながら忘れ物を鞄に突っ込んだ。ノートには綺麗に折り目がついていた。 鞄のチャックを閉めたところで、ガラ、と教室のドアが開く。入ってきたのは、同じクラスの久住蓮だった。 久住は、佐藤の顔を見ると少し驚いたように目を見開いた。二人はそれほど仲が良い訳ではなく、そこまで話したこともない。久住は、女子から人気が高く、よく告白されるが相手を作らないことで有名だ、と噂好きの友人が言っていた。佐藤からすれば、男子にも女子にも愛想がよくちやほやされているが、特別誰と仲が良いのかわからない、いけすかない奴だという印象だった。 「蓮」 金原に声を掛けられ、久住ははっとしたように顔をそちらに向ける。 「ごめん琴音、お待たせ」 その声が妙に優しげに聞こえ、佐藤は思わず久住の顔を見る。金原はスマホをしまい、帰り支度を始めていた。どうやら彼女の待ち人というのは久住だったらしい。 ちらり、と久住の視線が向けられ、目が合ってしまう。佐藤が見つめてしまっていた言い訳をする前に、久住は金原に向かって言った。 「……何か話してたの?」 「別に……大したことは話してないけど」 そっか、と言う久住の声が少し低く、佐藤は猛烈に嫌な予感に襲われた。久住の視線が再びこちらを向き、慌てて口を開く。 「俺、忘れ物取りに来たとこで!今日の宿題!」 ほら、と見せつけるように折れたノートを掲げると、久住はそう、と小さく頷く。僅かに沈黙が流れ、心なしか空気が重くなっていく。誰か助けてくれ、という願いが届いたのか、金原が静寂を破るように声を出した。 「蓮、帰ろ」 「あ、うん……じゃあ、佐藤、また明日」 「あ、あぁ、また明日…………」 金原に腕を引かれて教室を出ていく間際、久住がもう一度だけこちらを見る。その意味深な視線に、佐藤は違うんだよ!と意味もなく言い訳をしたくなった。 誰もいなくなった教室で、佐藤は思わずため息をついた。ピコン、と通知が鳴り、スマホを見ると、友人から『遅い』とメッセージが一通。そこでようやく校門のところで友人を待たせていたことを思い出し、佐藤は急ぎ足で教室を出た。 * 教室での一部始終を話して聞かせると、友人は信じられない、というような顔をした。 「なんだよ?」 「何って、お前、まさか知らねぇの?久住と金原、こないだから付き合い始めたって学校中の噂だぜ」 「えっマジ?」 もしかしたら見てはいけないものを見てしまったのかもしれない、と思っていたのに、まさか公然の事実だったとは。驚く佐藤に、友人は呆れを隠さずに言った。 「たぶんこの学校で知らないのお前だけだぜ。皆すげー騒いでたのに。特に女子たちなんて、『あの久住くんが付き合うなんて!』って阿鼻驚嘆だったんだからな」 「はぁー……」 そんなに話題になっていたとは。というか、久住はそれほど人気があるのか。半ば感心しながら、佐藤はどうしても消えない疑問を友人にぶつけた。 「でもさ、ならなんで俺の好きな人なんて聞いたんだと思う?」 「さぁな〜。友達がお前のこと好きとか?それで聞いてきてくれって頼まれでもしたんじゃねぇの」 「えっ」 動揺した佐藤の顔を見て、友人はニヤニヤと笑った。 「よかったなぁ〜、モテ期到来かもしんねーぜ?」 金原の交友関係を思い起こしつつ、あの子かもしれない、いやあの子かも、と友人と騒ぎながら帰路に着く。家に帰った頃には、久住に意味深な視線を投げられたことなど、すっかり忘れていた。 * 校門をくぐり、周囲に同じ学校の生徒が見えなくなった辺りで、久住は金原に切り出した。 「……あ、のさ、琴音……」 そう言ったきり、もじもじと視線を泳がし続きを言わない久住に、金原はさらりと言った。 「聞いたよ」 「えっ」 「好きな人はいないって。よかったね」 久住は驚いたように目をぱちぱちと瞬き、それからぱっと顔を明るくした。 「琴音、聞いてくれたの!?」 その嬉しそうな顔に、曖昧に頷くと、久住は目をキラキラさせて琴音の手を握った。 「本当に聞いてくれると思わなかった!ありがとう〜琴音〜!」 ぶんぶん、と握った手を揺らされ、金原は困ったように眉を下げながらも、僅かに口もとを緩めた。そんなに喜ぶのなら、あの微妙な空気を耐え抜いたかいがあった、とひっそり思う。しかし、久住がこのまま浮かれついでに追加で面倒な頼み事をしてきてはたまらないので、金原は釘を刺すように言った。 「でも、こういうのはもうナシね。友達ならともかく……すごい変な空気流れたから」 「うん、それはもう……というかそんな思いしてまで聞いてくれたんだ。ほんと、ありがとうね」 「いや、たまたま佐藤が来たから……」 現在気になっている、という相手に、想い人がいるかどうか、という点は恋する上で重要なことらしい。まぁ、それはそうだろうな、とは思うものの、この男ときたら、そんなに仲良くないし、本人に直接聞くなんてできない、とぐだぐだと手をこまねいていたのである。 あまりに情けないその様子を見かねて、もしタイミングがあったら聞いてきてあげる、と言ってしまったのが数日前のこと。教室で二人きりになれたのは運が良かった、と金原は思った。佐藤は随分戸惑っていたが、まぁ、何か言われたら友達に頼まれて聞いたとでも言えばいいだろう、と思っていた。事実その通りなので、何の問題もない。 「まぁでも、よかったね。これで心置きなくアプローチできるでしょ」 「うん!……まぁでもその前に、まず、仲良くなるところから始めなくちゃいけないけど……」 さっきだって、顔見ただけでまともに話せなかったし……と項垂れる。数秒前まで浮かれ切って人の手を振り回していたのに、忙しいな、と金原は他人事のように考えた。久住がうじうじし始めると話が長くなるのは、短い付き合いでも嫌と言うほど知っていた。 やっぱり一回遊びに行ってみたいよね、と話し始める久住に、そもそも二人きりになったとき自然に話せる練習が必要だろうな、と思いながら、金原は適当に相槌を打った。
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