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高校生編 20話 どうしようもない
美羽とぶつかり合った昨夜も、それ以降の日も、毎日のように浩太郎からメールや電話があった。確かすでに塾の合宿へと旅立っているはずだけど、毎日だ。
『いつ会おうか? バイト休みの日は?』から始まって、今は『なにかあったの? 声聞かせて』に変わった。
わたしだって声が聞きたい。会いたい。悩みを聞いてあげたいし、わたしの欲もぶちまけたい。
だけど、決めたんだ。浩太郎の為になること、自分の為になるだろうこと。それはつまり関係のリセットだ。幼なじみだったね、ぐらいの軽い思い出の欠片。それがお互いにとってちょうどいい距離なんだ。
**
「ヅッキーどした。意識が朦朧系か?」
ふいっと視界にモエチンの派手な顔が飛び込んできた。
遊びにバイトに駆け回った夏休みも、明日で最後。打ち上げとばかりに本日も通常通りカラオケ店にやってきている。
目の端で、妙にポージングを決めまくるどこぞの男がマイクに何かをシャウトしている。
「んー、もう夏休み終わるのかと思ってさ」
ソファーに全体重を預けっぱなしだった上体を起こして、目の前の干からびたポテトを口に放り込んだ。
「弾け足りないんじゃない? なんか後半、元気なかったじゃん」
「そうかな」
「そうだよ、コータロー君と会えなくなってからじゃない?」
ドキッとしてモエチンに向く。そのまま見つめあって、フフッとモエチンが笑う。
やっぱモエチンの野生の勘には勝てない。すべてお見通しだったということなんだろか。
「ん、そうかも」
「あら、素直じゃーん」
モエチンはポンポンと、わたしの頭を軽く撫でる。
「あなた様には敵いませんなあ」
「ヅッキーがわかりやすいんだよ。そんなショゲちゃってさ、欲求不満な顔して」
「え、欲求不満っ?! そんなのわかんのっ?!」
「だから、隆弘君を紹介してあげたのにー」
「ちょっとまて、彼氏としての紹介で合ってる? 欲求不満解消の相手として、とかじゃないんだよね?」
「どっちも同じことでしょ?」
「違うわっ」
ダメだ、モエチンの世界とわたしの住む世界はきっと1パーセントほどしか交わってない。
なんかわたしもシャウト系の選曲しようと、タブレットに手を伸ばす。モエチンも飲みさしのドリンクを口に持っていく。
「ヅッキーこの間、ID変えたのは、コータロー君と縁切る為?」
タブレットの画面をタッチする手が止まってしまった。
それもバレバレか。
「うん、まあね」
「そっか」
それ以上は追及してこなかった。だから助かった。タブレット画面をタッチしようとする指先が震えているのを、ギリギリ誤魔化せた。
着信も、積み重なっていく浩太郎の言葉も、受け取れないことが辛くなってきて、変えてしまった。着信拒否だ。メッセージなんて、届かなければ意味はなくなる。こうやって、自然消滅して跡形もなくなって何もなかったことに、なればいい。
夏休みが終わるせいなのか、さっきまでの騒がしい世界から一気に静まり返った住宅街にあるからなのか、ものすごく気持ちが沈んだままで足取りも重くアパートへ帰る。
フラフラと、急ぐでもなくただ歩みを進めていただけの足が止まってしまった。
アパート前に、街灯で浮かび上がるシルエットに、凍りついた。
「葉月ちゃん」
その声音は、やめてほしい。呪文にでもかけられたかのように、息が詰まるから。
「どうして、僕を避けるの?」
シャリリと自転車が微かに音を立てて、浩太郎がゆっくりと押しながら目の前まで来てしまった。
「こっち向いて、葉月ちゃん」
何も言えなくて、どうしていいかわからなくて、ただ首を振った。そこまで思いもしていなかった。合宿が終わって、その足でわざわざこんなところまで来るなんて。
「僕、葉月ちゃんに、嫌われた、のかな? 何がいけなかったのか、教えて……」
掠れたその声の悲痛さに、胸がひたすら抉られる。浩太郎を助けたかっただけなのに、浩太郎が好きなだけなのに、なんでわたしは、こんなに嫌な女なんだろうか。
「あ、あんたって、ほんと空気読めない男だよね……」
「……空気……」
「わかるでしょ? 拒否られてんだから、そのまま音信不通になるのが暗黙の了解ってやつじゃんっ」
「……やっぱり拒否か……。僕のこと、嫌い?」
「……嫌い、じゃない……」
好きだよ。
「だけど、迷惑してるっ」
「ごめん」
目の端で、浩太郎の髪の毛がカクッと項垂れたように下に落ちる。
「そうだよね、僕、葉月ちゃんの優しさに、つけ込んじゃったよね」
違うんだ。浩太郎じゃない、わたしがつけ込んだ、調子に乗った。だから苦しめてしまった。
これ以上はもう無理なんだ。ただの友達でいれるのならいい。だけどその先は、やっぱり浩太郎を独り占めしたくなるだろうし、抱き締めたいしキスもしたい。恋人同士になりたいって、思っちゃうんだよ。
だけど、そんなの、浩太郎のバランスを崩したり、浩太郎パパに煙たがられるのなら、図々しく望めることじゃない。
だから、すべてなかったことにしよう。
浩太郎には浩太郎に相応しいひとが現れるんだろうし、わたしにはわたしにお似合いのひとが見つかるはず。それがきっと、一番いい。
「ヒロ君……彼氏を不安にさせたくないしさぁ、もう、わたしに絡まないでくれるかなぁ」
「……なんで」
「え?」
サラサラとした、街灯に照らされ茶色に艶めいた前髪の奥から、強い視線が飛んできた。
「僕とは付き合わないって言ったのに、なんで彼氏作ってんの」
「……それは……」
思わぬ反撃に、すぐに返せず狼狽えた。浩太郎らしからぬ語気の強さに、その視線の強さに、見知らぬものを見いだしたようで、少し怖じけついてしまった。
わたしの固まった視線の先で、浩太郎の自転車のハンドルを持つ手が、ゆっくりと離れ、スローモーションのように倒れた自転車は、激しく音を立て倒れた。
その音に息を呑んだのと、浩太郎に手首を掴まれたのは同時だった。
「!!」
「教えて」
どこまでも澄んでいた浩太郎の瞳が、どうしてだろう、すごく濃い。暗がりのせいなのか、街灯で影が生まれているからなのか、どこまでも深く吸い込まれそうになる。
「本田さんとは付き合えて、僕とは嫌だという、訳はなに?」
グッと握られた手首に痛みが走る。
嫌じゃない、嫌なわけない。わたしは浩太郎を壊したくないだけだ。
「嫌じゃないって。そんなこと言ってない」
「じゃあ、どうして?」
そんなの、ひとつじゃん。
「浩太郎を汚したくないからだよ」
「……なに、それ……」
絶望的な声音を発する浩太郎を、聞いてられなくて見てられなくて。だってそんなの、またわたしの都合のいい考えで、囚われてしまう。だから突き放す。浩太郎の声が、心の中に潜り込んでしまう前に。
「だからぁ、まじめーな浩太郎さんにちょっかい出して、あちこちに恨まれたくないからだよ。勉強できなくなったのわたしのせいにされちゃ、たまったもんじゃないよ」
「それはっ」
「賢くて清らかな浩太郎さんに手出してヒヤヒヤするより、居心地のいい人と付き合いたい」
「……」
「ヒロ君はその点、とっても居心地いいし、話が通じ合うし、不安になることもないし、最高なの」
あんなに強かった手首を握る浩太郎の力が、緩まった。
「じゃあねっ、受験、がんばれよっ」
バッと手首を浩太郎の手の中から引き抜く。
固まったままの浩太郎の横をすり抜ける。身体が強張って、思うように動かない。それでも、いつもの軽いノリのわたしを演じきれたと、思う。
こんな女なんだよ。薄情でしょ、ウソつきでしょ。脳ミソもカラッポなら尻軽だし大雑把で能天気だし。まったく浩太郎に相応しくない。
浩太郎とは、0パーセントしか交わらない。
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