社会人編 1話 OL生活

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 昼休憩を終え、午後も鬼神のごとくひたすらキーボードと対峙していると、外出先から社長が戻ってきた。50代の人の良さそうな柔和顔の社長は、その穏やかな顔とは逆に、いつもパワフルにあちこち営業やら現場監督やらと忙しく動き回っている人だ。  そんな社長に「お疲れ様でーす」と挨拶すると、片手を上げて「おう、はづきちゃん」と返事が返ってきた。 「15時にお客さんが来るからよろしくねー。(たける)にも言っておいて」 「はい、わかりました」  入社した時は、お茶の入れ方も知らなかったひよっこは、3年目ともなると立派に育ちましたよ。お茶っぱをダイレクトに湯呑みに放り込むこともなくなったし、給湯室から応接コーナーに辿り着くまでの間にお盆が水浸しになることもないのだよ、ははは。  事務所の奥の設計課をノックして入室すれば、一番手前のデスクに社長の息子である尊さんが、難しい顔してパソコンと向き合っている。 「尊さん、15時に来客だそうです」  そう伝えると、社長に良く似た柔和な顔をニッコリさせた。 「わかった、ありがと」  まだ20代前半だけど、この永塩工務店の跡取りとして、只今勉強と実績をつんでいる最中である。いやぁ、立派な若者だ。わたしが言うなってやつだけど。  自分の席に戻り、来客の時間までにキリの良いところまで入力しておこうと両手首そして指をストレッチさせてからキーボードに対峙した。  よっぽど集中してたのか、ザワザワとした事務所の気配でパッと時計を見ると、来客を迎える時間だった。入り口を見ると、すでに社長は2階から降りてきていてそのままお客さん2人を応接コーナーへ案内しているし、尊さんもいた。そして岡本さんがそこからこっちに向かってニコニコ戻ってきていたところだった。 「あっ、すみませんっ! お茶出ししますっ」 「ふふふ、あまりにも集中してるから声かけられなかったわ」  岡本さんは笑いながら「じゃあ、あとお願いね」と席に着きかけて、コソッと耳打ちするように言った。 「なんちゃって。本当は、ものすごいイケメンだったから、近くで見たかっただけ」 「ええっ?」  さすがミーハー岡本さん。娘さんの影響で若い俳優さんやアイドルにわたしよりも詳しいのだけど、多分根本的に好きなんだろな。  思わず噴き出しつつも、「じゃあ、わたしもしっかり目の保養してきまーす」と、乗ってみせた。  わたしも彼氏が不要とは言ったが、男に興味がなくなった訳ではない。岡本さんが進めてくるドラマの俳優さんを見れば「かっこいい!」って思えるし、職場でこっそり「ふたりで飲みに行かない?」と囁かれれば、ちゃんとキュンとする。  だけどそこまでだ。それ以上進めない。のめり込むことを、わざとしそうな自分が怖い。けどそれだけじゃない、知りたくない感情を認めてしまうのを恐れている。  もう、どうしようもないのに……。  4人分の湯呑みをトレイに乗せて、応接コーナーに向かう。  間仕切りの手前で「失礼します」と断りを入れてからお客の2人にそれぞれ置いていく。軽くお辞儀をされたが、雰囲気的にとても若い感じがする。岡本さんが言ってたから若いだけでなくイケメンなのだろう。  対面に座る社長と尊さんの横にも湯呑みを置いて、さりげなく視線を上げた。これぞチラ見逃げ戦法だ。  だけど、わたしは正気を保てなかった。  茫然自失になるほどのイケメンを拝んだわけではない。  あんなに無理矢理記憶の片隅に封じ込めようとしている、如月浩太郎が、そこにいたからだ。
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