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「運命……」
サラッと流してくれればいいのに、浩太郎はテーブルの上で持ったままのグラスに視線を落として言葉を呑み込もうとする。
わたしはなんだか落ち着かなくて、普段絶対率先したことないし向いてもないお酌に精を出すことにした。
「さあさあ、みなさんどんどんグラス空けてくださいよーっ」
ビール瓶持って鼻息荒く、まずは真横の尊さんの、まだ4分の1しか減ってないグラスに注いでやった。わっ、と尊さんが手元濡らして声をもらしていたが、構わず正面の難波さんの横に行ってこれまた2分の1しか減ってないグラスになみなみと注いだ。
「僕……運命はないと思ってるんですよね」
何を思ったか、てか仕事をはじめても空気を読む、ということが出来ないままなのか、浩太郎が場を静めるようなことを言う。
「ほう」
社長は飲みかけたグラスを戻して浩太郎を見つめる。その社長に、浩太郎も視線を上げ、真っ直ぐ見つめ返す。
「偶発的な運命を、作為的に起こすことはあるでしょうけど」
「……」
それぞれの浩太郎に向けられた視線が“点”になっている中、構わずグラスを呷るようにしてビールを喉へ流し込み、浩太郎はクルッとこちらに顔を向けてきた。
「おかわり、ください」
もう酔ったのか、少し赤らむ頬と潤んだ瞳が視界に飛び込む。ゆらゆら揺らめく瞳にくらくらしそうな誘いさえ感じて、頭がぼうっとなりそうだ。
視線を無理矢理引き剥がして、浩太郎のグラスを持つ腕がこちらに伸びているのに気付いた。
「あ、あ、はいっ」
何か深く考えそうでそれを追い出す。何も思わないで。鈍感なままで。
ギュッと瓶を握る力を込め、そのグラスに黄金色を満たしていくことだけに、集中した。
六月独特の蒸し暑さは、夜にもなるとなりをひそめる。
居酒屋の暖簾を出た先は、店内の賑やかさと熱気から隔てられた別空間のように思えた。
チラリと視界に入ったのは、難波さんに少し抱えられるようにくたりとした浩太郎の背中。
「はづきちゃん、彼らのタクシー捕まえてあげて」
「っはい」
トイレから戻ってこない社長を気にして、店内を覗いていた尊さんに頼まれ、わたしは浩太郎達の元へ。
「あの、こ――如月さんは、大丈夫ですか?」
難波さんに声をかけると、申し訳なさそうに目を細めた。
「いやあ、今日はちょっとペースが早かったかもですよ。コウは、あ、如月はアルコールあんま得意じゃないんですけどね……」
「そうなんですね」
恐る恐る、難波さん越しに浩太郎の顔を覗き込む。街灯や通りすぎる車のヘッドライトに照らされる顔は、やはり赤かった。
だけど、意識はハッキリしているのか、瞳はしっかり開いていて、それがこちらに向けられドキッとする。
「お見苦しいところを、見せてしまいました」
ふわっと表情をゆるめたものの、浩太郎の言葉は相変わらず堅苦しい。
「えっ、ああいや、そんなことはっ」
浩太郎は、難波さんの肩から離れると、身体をスッと伸ばして微笑んだ。
「これから、どうぞよろしくお願いします、大村さん」
「は、い……こちらこそ……」
社長と尊さんも戻ってきて、それぞれに挨拶を交わして、浩太郎達とは別れた。呆気ないほど。
久々なせいだろうか、堅苦しいというよりも、隔たりすら感じる。
これが、あんなに、わたしの青春をかき乱した本人との再会とは思えないほど、平穏に1日を終えた。
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