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社会人編 3話 あくまで取引先の人
浩太郎が友達と立ち上げた会社『+Y』は、主に空間デザインに関わりたい若者達を繋げるハブのような役割を目指しているらしい。
インテリアデザイン、と言えばだいぶザックリしすぎになるけど。例えば家具のソファだけを追及して作っている学生とか、趣味で形の独特さにこだわりすぎたカーテンを作るデザイナーとか、そんな人達の活躍の場をもっと増やし広めたいし、組み合わせたらおもしろくなるんではないか、ということらしい。
そこに加え、近年流行りの古民家リノベーションへと派生していく需要も出てきて施工や設計を、となり永塩工務店と提携させてもらいたい、とやってきたのだと。
「あ、はづきちゃん、これお願い」
事務所に出てきた尊さんに、何枚かの図面と見積計算書などの書類が渡されて意識が戻った。
いかんいかん。仕事に集中だ集中。久々に拝んでしまった浩太郎のビジュアルの破壊力が健在すぎて、油断すると思考がもってかれてしまう。
「了解です」
図面上の建具などが漏れなく計算書に載っているかチェックしたのち、清書して金額を入力したものを社長に渡すのも、わたしの仕事のひとつだ。
考える隙を自分に与えてはならんとばかりに、手元の資料に集中する。今回は、とある店舗の駐輪場設置のみの内容だったので、30分弱で計算書の清書が出来上がった。それを渡された資料とまとめて、社長室に持って上がる。
「失礼しまーす」
扉をノックして入室すると、「はいごくろーさん」と社長がデスクから顔を上げた。
いつものように、資料を指定のカゴに入れて退出しようとしたところで呼び止められる。
「はづきちゃん、ちょっといいかい?」
「はい?」
くるりと再び社長に向き直ると、社長に封筒を渡された。
「これ、プラスユーの如月君に渡してくれるかな。うちの今まで手掛けたサンプルだ」
「はい。簡易書留で送ればいいですかね」
「いや、はづきちゃんが事務所に持っていってね」
「……事務所……? 郵送でなくて、わたしが……?」
「持っていって手渡してくれるかな」
しばし社長と見つめあった。甘いやつではない。こっちは問い合わせの視線を向けていて、あちらは「何か?」的なやつだ。
「プラスユーの仕事は尊に任せるんだけどね、その補佐をはづきちゃんにお願いしたいと思って。これから長い付き合いになりそうだし、顔見知りだし」
「わ、わたし、必要ですかね? 自分で言うのもなんですけど、ぺーぺーですよぺーぺー」
「ぺーぺーを育てるのが会社や私の役目だからね。はづきちゃんも今の仕事に慣れてきた頃だし、そろそろ色々見聞きするチャンスを広げて新しいことやっていきたいだろ」
「い、いゃぁー……どーでしょぉー……」
慣れてはきたけど、特に新しいことには貪欲ではない。何より、不必要に、浩太郎と接触をしたくないのだけども。
だけど、仕事なら避けようがないではないか。わざとか、わざとなのか社長。運命のイタズラの原因は社長ですかっ。
「尊が午後から行くから、一緒についていっておいで。ついでにどんなところで、他にどんな仕事をしてるのかも見てきてね」
「は、はぁ……」
ひとりじゃないことにはホッとしたものの、行くことは決定のようで反応が鈍ってしまう。
「はづきちゃん……まさか……」
社長がジーッと見つめてきている。
「な、なんでしょう?」
「如月君と過去に、何か、あったのかいっ?」
「えっ」
勘ぐられたというよりかは、期待に瞳を輝かせている。何を期待していらっしゃるのかっ、社長っ。
「何もありませんっ! 行ってきますっ!」
グリンッと背後の扉に向き直り、ササッと社長室を飛び出すことにした。
午後一で尊さんと最寄り駅まで出ると、目的地は3つ目の駅だった。そこからバスに乗ること15分という、永塩工務店からとても近いことがわかった。
そして降りたった場所は、団地。どうやらプラスユーという会社はこの古い何棟も連なる団地の中にあるようだ。
ひとつの棟の1階。向き合う鉄扉の左側には『+Y』という表札と、その下に『如月』と一回り小さい表札があった。
なんだか、その名前を見ただけで心臓が落ち着かなくなってきたけど、わたしひとりではないので、残念ながらなんの躊躇いもない尊さんの人差し指が間髪入れずピンポンとチャイムボタンを押した。
「はーい」
すぐにガチャリと扉は開かれて、中から現れたのは女性だった。
予想外で、無性に落ち着かない。意味もなくあちこちチクチクする。……意味がないことはないくせに。でも知りたくない感情がそこにはある。
「永塩工務店です」
尊さんのその台詞にハッとなる。ダメだ。油断すると無駄な思考に占拠されてしまう。
「あ、はい。どうぞっ」
明らかに若い、同年代の彼女は部屋の奥に向かって「コウ君、永塩工務店さん!」と呼びかけた。
続けて「どうぞ」と中へ案内される。入ってすぐ右手側がキッチンとリビングのある広い空間でベランダに面していて明るい。長いダイニングテーブルがドーンと真ん中に置かれていてパソコンや資料のようなものが散らばっていた。
そこに座って仕事していたのか、浩太郎と難波さんが立ち上がってお辞儀する。
「今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます」
浩太郎が尊さんに頭を下げると、尊さんも同じく下げた。
「とんでもないです。お仕事いただくのですから、それこそこちらから伺うべきですので」
なんとなく、わたしもふたりにならって頭を下げてみた。
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