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鼻息荒く挑んで2時間後。飲み食いしすぎて庭から離脱。みんな庭に出て話に盛り上がっているので、リビングは誰もいなくて間接照明だけで照らされている。
その照明がまたお洒落で、壁や天井に映し出されている影にボンヤリ見入っていると、庭からひとり、フラフラとした足取りでリビングを通り抜けていく姿があった。
トイレかな、となんとなく視線だけで追っていたら、その人影は玄関近くのトイレではなくて、その右手奥の個室のドアを開けて入った。
と、思ったらその部屋からバタリと倒れたような音がして、思わず椅子から飛び上がった。
「えっえっ?」
庭のほうを見ても誰もその音に気付いている様子はなくて、さらにその開け放たれたドアの先から呻き声まで聞こえてきたので、失礼とは思いながらもその部屋に飛び込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ?」
バタリとうつ伏せで倒れている人の肩を叩きながら覗き込むと、それは浩太郎だった。薄暗い中でもわかる血の気のない顔に、ヒヤリとしたものが駆け巡る。
「浩太郎っ?! 大丈夫?! どこか調子悪いのっ?!」
ウウッと呻きながらも、浩太郎は自分自身で腕を床につくようにして上体を起こした。フルフルと頭をゆるく振っている。
「……空きっ腹で、飲み過ぎ、た……」
「な、なんだぁ……もうっ」
こっちまでヘニャヘニャと力をなくしてペタリと座り込んだ。
「……おおむら、さん……」
すごい至近距離で、久々に見た浩太郎の瞳は相変わらず薄茶色で、潤んでいた。だけど、発せられる呼び名は、もう昔とは違う。チクリ、とする。でも、これも罰のひとつである。甘んじて受け止めよう。
「水、持ってくる。他なにかいる?」
ただフルフルと首を振って返してくる。
わたしはすぐキッチンに戻り、冷蔵庫から水のペットボトルを取り、リビングに置いてあったマスカットを皿ごと持って部屋に戻った。
浩太郎は先ほどと変わらずほとんど動いてなくて、ドア横の壁に凭れるようにして座り込んでいた。
「水持ってきたよ、飲める?」
キャップを開けて、ボトルを手のひらで握らせるようにすると、少しボーッと手元を見つめていたが、ゆっくりと口元に寄せていった。コキュコキュと音を鳴らしながら、浩太郎の喉が動く。
なんだかその光景が、目に毒だと思ってしまって視線を伏せる。
きゅるるっと、可愛らしい音がした。浩太郎が水を飲むのをやめて自分のお腹を撫でている。
「お腹、鳴った?」
そう聞くと、恥ずかしそうに顔を下へ向けた。やっぱりお腹の音らしい。
「え、お肉とか取ってこようか?」
「いや、いい」
「お腹すいてるんじゃないの? さっき、食べなかったの?」
ずっと庭にいたはずなのに、美味しかったのに、なんでだ。
「……あんま、食欲わかなくて……」
「え、そうなの?」
そういえば以前、小春さんと難波さんが話してたような。小春さんが料理をちゃんと作ってるぽいのに、あんまり食べてないようなことを。高校時代に比べて、ホッソリしてるのは、それでなのかな。
「ストレスで食欲わかない、とか?」
「どーだろ……」
自分のことなのに、なんだこの投げやりな感じは。ああそうですか、わたしには別に言いたかないってことですね。
「マスカット持ってきたから、これ食べて。これならパクっといけるでしょ?」
「……」
チラリとマスカットを見たけど、またそっぽ向いてしまった。
だからカチンときた。一粒もぎり取って、浩太郎の口元に持っていく。少し驚いたかのように浩太郎がこちらに顔を向けたから、そのタイミングで唇に押し当ててやる。
「食べて」
問答無用とばかりに押し込む。
すると、緑の球体はするりと浩太郎の唇に包まれるように消えた。モグモグと小動物のように頬を動かす浩太郎に、少し不覚にも感動してしまう。
またもう一個、もぎり取って口元へ持っていくと、今度は素直にパクリと食べてくれた。
わたしに対して少し壁を低くしてくれたような気がして、嬉しくなる。
もう一粒、と思ったけど、庭先でドッと笑い声が起きてそちらに視線を向けた。薄暗いリビングの先の庭は、ランプに照らされた人影が楽しそうに揺らめいている。
「あ、じゃあわたし戻るね。ゆっくり休んで」
そう言って立ち上がりかけたところで、バタンと、目の前で部屋のドアが閉まった。座ったままの浩太郎が横から手のひらでドアを押したようだ。
その姿勢のまま見上げてくる顔つきには、さきほどの弱っていた表情などひとつもなく、薄暗がりの、部屋奥から届く間接照明の明かりを拾って、浩太郎の瞳は鈍く光をたたえていた。
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