アルフォンスの憂鬱な日々⑥

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 噎せかえるような強い香水ではないが、いつ訪れても母親の好む異国から取り寄せているというエキゾチックな香りは好きになれない。  何時もならば母親、王太后からの呼び出しは政務が終わらないと断っていたのだが、今回ばかりは断ることは出来なかった。 「久しぶりねアルフォンス」  慈愛に満ちた笑みを浮かべた王太后に出迎えられ、アルフォンスは母親の胡散臭さに歪めそうになる表情を余所行きの仮面で隠した。 「母上もお元気そうで何よりです」  胸に手を当てアルフォンスは王太后へ一礼する。 「王宮に居るのになかなか顔を見せてくれないのは寂しいわよ」 「申し訳ありません。火急の用件とは何でしょうか?」  近況報告もせずに、何処までも他人行儀な息子の姿に王太后は肩を竦める。  傍に控えていた侍従へ人払いするように告げ、王太后は侍女達を退室させた。 「昨日、ヘンリーがシュラインとの婚約解消を申し出てきたわ。学園で知り合った男爵令嬢を妃に据えると言い出していて、宰相が卒倒して運ばれたそうよ。シュラインとカストロ公爵、ヘリオットも婚約解消を了承したと、今朝になりわたくしは報告を受けたのよ」  眉間に皺を寄せた王太后は、事前相談無しに婚約解消を許した息子とヘンリーへの苛立ちが見え隠れしていた。 「では、シュライン嬢の今後について良き縁談を結べるよう、エレノアに連絡を取ります。代わりの縁談が王族に並ぶ者ならば、カストロ公爵を抑えられましょう。男爵令嬢を不敬罪で処罰し、ヘンリーを次期国王として私自ら再教育しましょうか」 「ヘリオットの婚約破棄を思い返すと、貴方が教育してもヘンリーが更正するとは思えないわ。……いえ、そうだわ、エレノアへ連絡するのはまだ待ちなさい。エレノアに頼らずとも、シュラインの婚約者として適任な者がいるではないですか」  俯いていた顔を上げた王太后は、意味深な視線をアルフォンスへ向けた。 「アルフォンス、貴方がシュラインを妻に娶りなさい」  壁際に控えていた侍従がギョッと眼を見開いた。 (……そうきたか)  王太后宮へ招かれた理由の一つは婚約者のことかと想定していたアルフォンスでも、シュラインとの婚姻は想定外だった。  内心では動揺していても鍛え上げた仮面は揺るがず、アルフォンスの表情筋はピクリとも動かない。 「此方からの誠意としてヘンリーと同等、元老院が密かに次期国王と推すアルフォンスがシュラインと婚姻を結べば、カストロ公爵の反意は最小限に抑えられるでしょう? それに、昔からリリアはアルフォンスに異常なほど執着している。ヘンリーの婚約者としても気に入らなかったシュラインが、貴方と新たに婚約したら……フフフ、必ず動くでしょう」  唇は笑みを形作っていても、王太后の目元は全く笑ってはいない。 (相変わらず冷酷だな。躊躇せず王妃は勿論、息子と孫を切り捨てる気か)  自分は母親から、王弟という使える駒だと判断されているのかと、アルフォンスは自嘲する。 「母上は社交界での噂をご存知でしょう。私の妻になるなど、シュライン嬢は望まないでしょう」 「シュラインは賢い子ですよ。望まぬ婚姻でも国のためだと割り切ってくれるでしょう。気になるのならば婚姻証明書は直ぐに提出せず、わたくしが預かります。アルフォンスがシュラインを妃にと、本心から望むようになったら教会へ提出します」 「母上、それではあまりにもシュライン嬢とカストロ公爵を軽んじているのでは無いでしょうか」  すうーっと、張り付けていた笑みを消した王太后は真顔となる。 「エレノアが懐妊したそうです。エレノアは王位継承権を保持したままクレセント国へ嫁いだ。ここまで言えばアルフォンスには分かるでしょう?」 「成る程。母上は、我が国をクレセント国の属国にしてもよいと?」  仮面を脱ぎ捨て、殺意すら感じさせる冷徹な素顔をさらけ出したアルフォンスの周囲の空気が、比喩ではなく重くなっていく。  室温すら下がっていくように感じ、壁際に立つ侍従の顔から血の気が失せていった。
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