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「彼氏さんですけど!?」
そう言い放った後、先輩が小さな声でぁ、と声をあげたのは、多分俺にしか聞こえてなかった。心理的とかでなく、距離的な問題で。
というかこの人なんなんだろう。先輩が知らない人って言うならキャッチとかナンパかな。それなら俺のこと彼氏ってことにしたほうが都合がいいのか。
今日は何だか衝撃的なことが多すぎてやけに脳みそが冷えていた。こんな状況でなかったら最高だけどな、このセリフ。
「………」
だがしかし、衝撃に耐えきれなかった口は動こうとしなかった。牽制する様に睨みつけた表情だけはそのままだが、先輩の衝撃カミングアウト(おそらく虚偽)からまだ何も言えていない。
二人の会話はじりじりと続いた。
「……そう。いつから?断る前から?」
「…最近だけど」
「なんで、何で俺はダメでそいつはいいんだよ」
「強いていうなら教養かな」
男はじわじわと距離を詰めてくる。握り返す手の強さが縋るように強くなる。ふと先輩の顔を見ると、目には涙の膜がうっすら貼っていた。
…ああ、怖いんだ。怖いよな。
それを見て黒い何かが胃の底から湧いてきた。こいつが誰かとか先輩の何だったとか知る由もないけど、それでも言わなきゃいけないことはある。
俺は先輩を隠すようにして男の前に立つ。
「は?」
「あのな、お前」
「いや、どけよ。いま如月さんと話してんだけど」
「そうなの?じゃあお話おしまい。次俺の番ね。なあ、柚李さんの顔見ただろ」
じ、と少し低い位置にある顔を見下ろすとぎくりと身をこわばらせた。怯えるくらいなら挑発しなきゃいいのに。
「本当に好きなら、あんな顔させちゃダメなんだよ。ずっと笑顔でいさせてあげたいと思わねえの」
少なくとも、今みたいな顔はダメだろ。
そう言うと男は何も言わずに顔を下げて、そして逃げた。
「あ」
なにか心当たりがあったのか、自分のしでかしたことに気づいたのか。
動機が何だったのかは知らないが、男は人混みに紛れてどこかに行ってしまった。
残されたのは俺たちだけだ。
「逃げちゃった」
「……」
「すいません、謝らせるつもりでいたんですけど」
「………」
「先輩、大丈夫そうですか」
黙りこくって動かなくなった先輩の様子を見ようと向き合うと、柔らかい衝撃がそのままからだの前面を覆う。背中に腕が回されている。顔が腹に埋められている。これより導き出される解は、つまりあの、ハg
「!!?!」
「…ありがとう」
泣かないで欲しいとさげた目線の先。ぐず、と鼻を啜る音すら可愛くて、顔を合わせたら安心した様に笑う先輩の姿があって。
もうなんか色々とキャパオーバーで、
体はそのまま後ろに自由落下した。
「常陸くん!!!!!」
「…あっ」
不意に感じたデジャブと強かに打ちつけた背中の痛みとともに、俺はこの間のことを全部思い出した。
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