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ブランケットの中
ふわっと立ち昇る白い息は、滲むように霧散した。風がないからか、12月後半だというのにそれほど寒さは感じない。さっきもらったばかりの大きなブランケットのおかげも多分にあるだろう。アインストのはにかんだ顔を思い出してにやける。
背後からは室内の賑やかな声が聞こえていた。薄いカーテンを透かして俺の視線に気がついたように立ち上がる姿が見えて、視線を外に戻した。
「寒くないのか」
言いながらアインストがベランダに出てきて隣に並んだ。頬が少し火照っているのは室内がバカみたいに暖まっているのと、アルコールのせいだろう。凪いだ海のような少し潤んだ目で俺を見上げている。
「そんなに寒くはないな。これのおかげで」
「それはよかった」
嬉しそうに微笑ったアインストの隣で、俺は持っていたワインを飲み干した。
今日はクリスマスだ。
この国におけるクリスマスは頼んでもいない世間のお膳立ての元、恋人たちのイベント色が強い。当然、俺としてもこの可愛くて格好いい恋人と二人で過ごしたかったがそうは問屋が卸さないのである。
「あいつらまだジェンガやってんの」
「ああ。楽しいみたいだな」
「飽きないかねえ」
「クラインは負けず嫌いだからな」
「その割に弱いけどな」
俺の言葉にアインストがくすくすとおかしそうに笑う。
アインストは異世界の王子である。この全く承服できない事実がまぎれもない事実であり、そして異世界の王子たる彼には従者が二人いた。それがグレースとクラインである。紆余曲折の末この世界にとどまった王子の忠実なる臣下が主人に付き従うのは当然のこと。結果としてこの狭い学生向けマンションには俺とアインスト、そして大小の従者が狭苦しく住んでいた。
そんなわけで過保護な家臣たちと、同じマンションに住む那美まで現れて、なんとも色気のない賑やかなクリスマスとなった。
「隣がいないからって騒ぎすぎだ」
「今村は帰らなくていいのか。大学は休みなんだろう?」
「いいよめんどくさい」
「ご両親に会わなくていいのか?留守なら任せてもらって構わない」
「帰るのにも金がかかるんだ」
アインストがこの世界に現れたのは昨年の大晦日のこと。出会ってこの一年の間に色々あったが、アインストがアルバイトを始めたのもその一つだ。マンションの近くにある花屋で、色とりどりの花に囲まれた姿はあまりに似合っていて週に一度は覗きに行って花を買っている。生花というのは高い。
真面目で優しい性質の彼は少しでも足しになるようにと稼いだバイト代をくれようとするけれど、基本的には生活費はもらっていない。押し問答はあったけれど、自分のために使うように言ってある。
「……アルバイトを増やそうか」
「そんなことしなくていいって。夜までバイトしたら一緒の時間が減るだろ。それはダメ」
「でも」
「俺がやだ」
アインストの火照った頬にさらに赤みが射す。こういうところがかわいい。しかし、この国のクリスマスというイベントがどういうものか知り(それを那美に聞いたというのが不愉快だが)こっそり恋人へのプレゼントを用意しているところがかっこいい。さらには当然のように従者と、必要ないのに那美にまで準備しているあたり男前過ぎて惚れ直すしかない。
俺はそのアインストにもらったばかりのブランケットを広げると寒そうに細い肩をそのまま抱き込んだ。
「急に、なにを」
「あったかいだろ?」
「今村は寒がりだ」
「温暖な土地出身なもので。アインストは寒いの平気だよな。細っこいくせに」
「ちゃんと鍛えている」
「それはよく存じております」
俺がにやにや笑いながら言うと、赤くなった顔をふいと反らした。それでも肩を抱いた俺の腕からは逃げていかない。二人で入ってもなおゆったりとしたブランケットはこの冬に大活躍しそうだ。
「……みんないるのにいいのか」
「こっちなんて全然見てないからいいだろ。カーテンも引いてあるし」
薄いレースのカーテン越しにはしゃいでいる三人が見える。デリバリーのピザや、ファストフードのフライドチキンと一緒に空になったビールの缶と酒瓶が散乱している。そのまま酔って眠ってくれないかなというのは俺のささやかな願いだ。
「それに頑張ったご褒美はあってもいいだろ少しは」
「頑張ったのか?」
「めちゃくちゃ頑張ったっての。何社落ちたと思ってんだよ」
言い訳をするならば、就職活動でさすがの俺もメンタルをやられるほど面接を落とされたのは大企業狙いだったからだ。元々、就職活動にそれほど気合の入っていなかった俺が俄然やる気をだしたのは当然、アインストのためだ。稼ぐ男になるのだ俺は。
「うん、すごく頑張ってたな」
「そうだろ?だからご褒美」
「サンタクロースに頼めばいいんじゃないのか」
「知らないのか。この国には『恋人がサンタクロース』っていう名言があるんだ」
首を傾げて見せると、わざと呆れたようにため息をついた後、堪えきれなかったように笑い出す。その表情の一つ一つが愛おしかった。こんな俺を去年の俺はきっと嘲笑うだろうけど、そんな今の自分も嫌いではない。
「何が欲しいんだ?」
アインストの問いに、無言で唇を叩いて見せる。ちらりと部屋の方を見たのにつられて目をやれば、三人はまだゲームに夢中だ。視線を戻すと月明かりの下、俺を見つめる美しい青い目の中に自分が映っているのが見える。それが近づいてきて、冷えた唇が触れて離れていった。
「こんなのでいいのか」
「来年も死ぬほど頑張れる」
「もっと欲張っていいのに」
「そこまで言うなら」
肩に回していた手にぐっと力を入れて抱き寄せると噛み付くようにキスを返す。部屋の中からクラインの怒鳴る声と那美の叫ぶ声が聞こえてきたけど無視だ無視。なんとしてでも今夜は三人を追い出してやると思いながら、俺は細い体をぎゅっと抱き締めた。
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