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「ハッピーニューイヤー!」
フロアが爆発するように歓声が上がりました。見知っている者も見知らぬ者も、誰かれ構わずおめでとうと喜び合っています。まるで百年ぶりに呪いが解かれた誰かを祝福するかのように……。
無意識に、突然湧き上がる群衆から守るように男に覆い被さった今村は、間近に見たブルーの瞳にこんなに綺麗なものは知らないと思いました。
「誰だ」
しかしその感動はすぐに、目を覚ました男の不機嫌な声に打ち消されたのでした。
「いやお前が誰だよ。つーかこんなとこで寝るなっつーの。お前財布盗られたんじゃねえの」
「サイフ?」
男はまだ眠いのかぼんやりとした顔をしています。このままここにいると今度はヤバい奴らに連れて行かれるかもしれません。この街の夜は楽しくもあり、恐ろしくもあるのです。
「お前みたいな奴はすぐにカモられるからさっさと帰れよ。危ないぞ」
すると、男はようやく目の前の人間を認識したように焦点を結びました。そして何故か目を見開いたのでした。
ああやっぱり宝石みたいに綺麗な青色の瞳だと、見惚れました。
「……帰る場所がないんだ」
「帰る場所がない?」
「多分ここは私の国ではない。帰り方が、分からない」
そう言って、男は哀しげに目を伏せます。すると今村は胸が絞られるように苦しくなるのです。慌てていやいやなんだその少女漫画みたいな表現は、と首を振りました。
「交番に行けばなんとかしてくれんだろ。ここを出て大通りまで行けばあるから。……じゃあな」
深入りする前に離れようと背を向けますが、哀しそうな表情が頭にこびりついて離れません。そんなもの5秒で忘れてやる、と半ばムキになって歩き出そうとしたのですが。
「ねえねえお兄さん一人?うちらと遊び行かない?」
「お兄さん超似合ってるねその格好。王子様みたい」
早速かよと振り向くと、派手な格好をした女が三人、あの男の周りに集まっています。よく見ると少し離れたところにいかにもガラの悪い男らが女たちを見張っているではありませんか。
ああ、だから言わんこっちゃない!
「あーお姉さんたち、すんませんそれ俺のツレなんで連れてくね」
「えぇ、お兄さんも一緒くればいいじゃん。こっちだって女三人だしぃ」
「また今度ね。ほら行くぞ」
まだ座り込んだままだった男の脇に肩を入れると、無理やり引き上げました。あの離れた所にいた奴らに目を付けられると絶対に面倒な事になるのは火を見るより明らかです。
「いいからお前、ちゃんと歩けよバカ」
肩に担いだ男はふにゃりとしていて力が入っていません。思ったより軽いなとかいい匂いがするとか、なんだか心臓がやたらバクバクするとか、余計なことを考えながら急ぎます。ちらりと後ろに目をやると先ほどの奴らがこちらに向かい歩き始めていました。
「マジでヤバいって。おい」
「胸が苦しい……」
知らねえよ、こっちのセリフだっての!と男は胸のうちに叫びました。
人波に辟易しながらなんとか出入り口まで来ると、もう一度振り返りました。どうも男らは追いかけてきていることを隠す気もなさそうです。
「行くぞ」
ドアを開け長い階段を駆け上がります。今夜の相手を探しにきたはずなのに、知らない男の手を引き、その上面倒に巻き込まれているのです。なのにこの手を離す気は全く起きません。
「あーもうなんだよこれ」
階段を上がりきると、下から怒声が響いてきます。
「よし、とりあえず自分で立て。そして走るぞ」
「どこに、」
離れないようにしっかり手を掴み直すと、今村は走り出しました。日付が変わったばかりの、いや年が変わったばかりの真夜中の街を沢山の人達の間を縫って走る、走る、走る。ビルの隙間に入って大通りに出ると、すぐ近くに止まっていたタクシーに飛び乗りました。
「K町まで」
運転手に行き先を告げて振り返ると、タクシーが発車したのと角から奴らが飛び出してくるのが殆ど同時でした。助かった、と今村はようやく息を吐きました。さすがに車までは追ってこないでしょう。
シートに凭れると、隣に座った男が驚いたように大きな目をさらに大きくしています。
「なんだこの乗り物は」
「は?」
「馬がいない」
本気で驚いている風の男に顔がひきつってしまいます。本当にヤバいのはこの男の方だったのかもしれない。後悔先に立たず、という言葉が今村の頭の中に浮かびましたが、二人の手はまだ固く繋がれたままでした。
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