ピアス  28歳

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ピアス  28歳

「結婚するよ」  床に寝転ぶ俺の腹の上に頭を乗せて雑誌を読んでいた初瀬が、なんの気なしに呟いた。俺は疲労からくる睡魔に襲われて半ば眠るように閉じていた目蓋を開ける。 「いつ」  上半身を起こすと、腹の上からずり落ちた初瀬が迷惑そうに俺を見上げる。俺はその顔を見下ろした。 「来年の5月」 「の?」 「11日」  自然、眉間に皺が寄る。 「何で」 「カレンダー見てたら目についたんだよ」  普段は仮面を被っている初瀬が何の衒いもなく笑う。目を細めて眉が少し下がる、その顔は卑怯だ。 「お前の誕生日だから」  下から俺の頬にそっと触れる。そのまま首の後ろに手を回しぐっと引かれて俺は初瀬に沈み込んだ。 *** 「初瀬」  何とはなしにテレビを見ながら俺の作った夕御飯を食べていた伍島が、不意に俺を呼んだ。鯖の味噌煮と茄子の味噌汁。こいつのために晩ご飯を作って婚約者の待つ家にさっさと帰らない俺は、我ながら酷い恋人だと思う。彼女にとっては。 「なんだよ」  適当に返す俺を、うざったい前髪の向こうから切れ長の目が見ている。  伍島は普段の人を寄せ付けない雰囲気とこの目付きの悪さが相まって、初めて会った頃はクラスで浮いていた。いつも同じ友人らとつるんでいて、広く浅くしか人と付き合わない俺とは反対に伍島の人間関係は狭く、けれど深かった。それは大人になった今でも変わっていない。仕事先ではなかなかかわいがられているようだ。  一度慣れた相手にはとことん懐を開く。 「前髪が長いな。切ってやろうか」 「お前が結婚しても俺たちの関係は変わらないのか」  俺の軽口を遮った伍島の瞳は揺れている。ビー玉みたいで取り出せそうだと思う。 「不安?」  手を伸ばして髪を梳き、耳に掛ける。そのまま痛々しいほど並ぶピアスのついた耳に指先だけで触れた。 「ああ」  キッチンとリビングダイニングを挟んで二つ部屋がある風呂つきのこのアパートを見付けたのは、仕事場に近い部屋を探していた伍島に付き合って不動産屋巡りをしていた俺だった。伍島は二つある部屋の片方を寝室として使い、もう片方を俺の部屋にした。俺の私物が置かれている部屋はしかし、俺が実際に住んでいたことはない。 「ちょっと待ってろ」  言い置いて立ち上がると、俺のものとして使われている部屋に入り、脱ぎ散らかしたスーツから社員証を取る。それから冷蔵庫に向かい、目当ての物を探しだして戻ると伍島が捨てられた犬みたいな顔で待っていた。 「なんて顔してんだ」 「耳、なにを」  耳に当てていた氷を口に入れて社員証のパスケースから取った安全ピンを伍島に差し出す。痛いほどに冷えた耳に感覚はない。 「首輪の代わりを付けさせてやる。耳に穴を開けろ。それでお前がいつもつけてるピアスをよこせ」  伍島がいつも必ず付けているピアスは二つ。俺がやったプラチナの台座にダイヤのシンプルなものと、ガラス製のピアス。 「会社はいいのか」 「別にいいだろ中学生じゃあるまいし」  伍島が自分の左耳を触る。色のついていない透明なピアス。それは中学生のときに初めて開けたのだと言っていた。 「この辺に付けたら見えにくいだろ」 「まあ、そんなに目立たないとは思うが……痛いぞそこは」 「お前に証明してやるよ」  伍島が怪訝そうな顔で俺を見る。 「家が、法律がどれだけ縛ろうとも俺はお前のものだ」  俺にとって結婚はいくつかある出世するためのノルマの一つだ。部長の娘との結婚に、それ以上の深い意味はない。だから伍島が不安になる必要は微塵もないのだ。  それでもお前が不安になるというのなら、俺がその不安を取り除こう。それができるならこのくらいの痛みなど大したことはない。 「彼女とセックスをして子供が生まれて、夫となり父親となっても俺が愛してるのはお前だけだ。だから、」  だから誰にも悟られないように、けれど誰もが見える場所に。 「お前を埋め込んで」  泣きそうな顔の伍島が倒れこんできて、貧弱な俺の肩に顔を埋める。直に触れる髪がくすぐったくて俺は笑ってしまう。 「ライターはあるから、とりあえず消毒液を持ってこい。話はそれからだ」  俺だけを案じる野良犬は、くぐもった声で低く唸った。
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