生贄旅館

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生贄旅館

 そこは旅館の一室のようだった。外は暗く、月明かりが室内を照らしている。室内を見渡すと、旅館にはおよそ似つかわしくないものが置いてあった。  祭壇だ。何故こんなところにあるのか疑問に思い、一歩前に足を踏み出す。すると前方から何かが這う音が聞こえてくる。音の幅は意外にも広い。その何かはとても大きいものらしい。  辺りを見渡して音の主を探すも何もいない。だが、音は確実に近づいてくる。緊張感が体全体を支配する。  やがて音は俺の目の前まで来た。見えない何かの息遣いを間近で感じる。音は、俺の周囲を一周すると、ぴたりとやむ。まるで、蛇に追われ逃げ場を失った蛙の気分だ。  ふと、目の前が闇に包まれる。見えるのは視界の両端に映る二本の先の尖った白い柱だけ。 ―柱?  気づいた時にはもう遅かった。それは柱などではなく、牙。闇は音の主の口の中だったのだ。  最後、意識が遠のいていく瞬間〝ダラク〟という言葉が耳に届いた。  顔に何か、柔らかいものが触れている。優しく頬を撫でられ、少しくすぐったい。  ゆっくり瞼を開けると、朱殷(しゅあん)色の二つの硝子玉が目に入る。寝ぼけた頭がゆっくり覚醒していくと、それは瞳だとわかった。やがて意識がはっきりすると、万人が整っていると言うだろう顔に、貼り付けたような笑みを浮かべた男が、鼻先が触れそうな距離で俺を見下ろしていることに気づく。どうやら頬に触れていたのは男の髪だったようだ。艶のある漆黒の髪が、男が動くたびに視界にちらつく。 「おはよう、澄久(すみひさ)」 「唯人(ゆいと)……」  唯人は、俺が起きたのを確認すると、身体を起こし寝台から離れ、近くの黒い椅子に腰を掛ける。ほぼ真っ黒な中華服に似たものを着ているせいで、椅子と同化しているように見える。彼と同居して一ヵ月経つが未だにこの起こされ方には違和感を持つ。世の低血圧な人間は皆こんな起こされ方をするのだろうか。  ゆっくりと寝台から起き上がり、床に足を下すも身体が重く感じ、直ぐに立ち上がることができない。 「顔色が悪いね。何か見た? 可愛い顔が台無しだよ」 「……そうだが、一言余計だ」  ようやく立ち上がれるようになると、洗面所に行き顔を洗う。鏡を見ると、明らかに顔色が死んでいる、純白の髪に若草色の瞳をした男が立っている。タオルで顔を拭いてから箪笥から衣服を取り出し寝間着から着替える。白のスタンドカラーシャツの上に光悦茶(こうえつちゃ)色の袷と深藍(ふかきあい)色の袴。そして青柳(あおやぎ)色でぼかし染めした羽織に袖を通す。所詮、書生服と呼ばれる服装だ。 「狙われやすい体質は大変だね」  その言葉に心の中で頷く。  小さい頃から様々な怪異に狙われてきた。それは別に俺が悪いというわけではない。俺の家、賢木家は元々怪異に狙われやすい家系だ。古くから退治屋として暮らしてきて、時には警察では解決できない事件を解決したりもしている。その為人脈が木の根のように様々な方向に広がっている。おかげで、目の前の男、歔欷 唯人(きょき ゆいと)に出会えたのだが。 「お前とは真逆だな」  人ならざる怪異に狙われやすい俺と違い、唯人は狙われない。正しく言うなら、狙われても気づかない。鈍感なのか、無関心なのか、はたまた両方か。  以前こいつについている澱みを祓ったが、今まで見たことがないほど穢れていた。澱みとは死者からの憎しみや呪いの塊のようなもの。あいつが今までやってきたことを考えれば何も不思議なものではないが、よくあれで生きていたものだ。常人なら無残な姿になっていただろう。 「で、今回はどんなのだった?」 「どこかの旅館の一室で何かに一飲みにされた」  端的に答えると、唯人は興味深そうに言葉を咀嚼する。 「へぇ、一飲みか。今回の相手は大きそうだね」  大きいなんてものではないだろう。俺の身長は日本の平均男性より二センチほど高い。それを一飲みにできるということはそれよりも遥かに大きいということだ。もし、姿が見えていたならあの部屋を埋め尽くしていたことだろう。  俺は楽しそうに思考を飛ばしている唯人をしり目に、部屋に設置してある机に向かうと備え付けのパソコンを立ち上げ、インターネットを開く。調べたい単語を入れ、検索をかけると意外にも直ぐに網に引っかかった。  サイトを開き、内容を確認していると、斜め後ろから唯人が画面を覗き込んできた。見やすいように少し横にずれる。 「蛇絡(だらく)、旅館?」  サイトの中身はとある田舎の旅館だ。ページを下に移動させていくと、旅館の詳細や旅館のある山村の風景が写っていた。見るからに田舎だがとても穏やかそうな場所だ。 「へぇ、割と綺麗なところだね」 「あぁ」  祭壇やそれに準ずるものは旅館の詳細にも村の方にも見当たらないが、部屋の内装は夢の中で見たものと同じだ。おそらくここに今回夢を見せ来た怪異がいるのだろう。 「支度をしろ、直ぐに出るぞ」 「はーい。って言ってもコレのおかげで支度するものなんて特にないんだけどね」  そう言って、組んでいる両手を動かす唯人。その腕には服の上から拘束するためのベルトを巻いている。言ってしまえば黒色の簡易拘束衣を着ているようなものだ。最初に着けたときはかなり不服そうにしていた。かなり頑丈な作りのため自分で解くことは不可能。唯人にとっても俺にとっても必要な処置なのだが、いかんせん不便だ。 「刀は持って来いよ」 「あ、そうだった」  忘れ物を取りに行くように駆け足で吹き抜けの隣の部屋に行くと、直ぐに刀を腕と胸の間に挟んで戻ってくる。俺は刀を受け取ると竹刀袋の中に入れ、袋についている紐を唯人の肩に下げた。 「出来たぞ」 「ふふふ」  唯人は口元に腕を持ってきて上品に笑う。 「どうした?」  少し高い位置にある顔を覗き込むと、環に物を通す時の感覚で、俺を腕の中に閉じ込める。 「こんなに近くにいるのに、触れなくてもどかしいなって思ってさ」  腕が小刻みに動いているのが分かる。無意識に拘束を取ろうとしているのだろう。 「お前に触られたら怪我どころじゃないからな」 「澄久にそんなことしないよ」 ——嘘だ。  その言葉は音にはしない。言っても意味がないと知っているから。唯人自身、そう思われることを理解しながら言っている。なんとも厄介な男だ。  俺は唯人の腕の中から抜け出す。大げさに残念そうに振る舞う唯人をそのままにしておいて自分の支度をする。ちらりと、作業をしながら唯人の様子を見る。椅子に座って仮面のような笑顔を貼り付けこちらをじっと見ている。だが、その瞳だけは笑っていない。今まで何度も見てきた。あれは獲物を狙っている目だ。  準備を済ませ荷物を持ち上げると、すっと横に唯人が立っている。 「行くぞ」 「はーい」
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