生贄旅館

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「こちらがお部屋にございます。何か御用がございましたらいつでもお申し付けください」 「ありがとうございます」  宵(よい)の間と書かれた部屋の前に着くと蛇塚さんから小さな鍵を手渡された。鍵には部屋の名前が書かれている。引き戸なのだが、と思っていると、戸が重なり合っている場所にひっそりと鍵穴が付いている。そこに手渡された鍵を差し込み回すと、錠が開く音が聞こえてきた。 「へーなかなか広いね」  室内に入ってみると、唯人の言う通り広い。本間だけで十二畳はあるだろうか。二人で泊まるには些か広すぎる気もするが。荷物を置いて室内を見渡す。  入口から見て本間の最奥にある床の間に『一期一会』と書かれた掛け軸が掛けてある。その右横に棚や押し入れがあり、本間の左横は広縁になっている。その奥には洗面所と厠が隣接していた。作りは普通の旅館と変わりない。夢で見た間取りと違うが、この部屋には祭壇らしきものがない。ということはこの部屋が件の部屋というわけではないのだろう。  本間の中心には座卓を挟んで向かい合うように二つの座椅子が置いてあり、座卓の上には旅館の案内図が書かれた紙がある。本館の西側には食堂として使っている大広間と大浴場などがあるようだ。 「さてと、どこから調べる?」 「まずこの旅館のことを知りたい」  この旅館のことを知ることで、怪異の正体も自ずと導き出せるだろう。 「なら女将さんに聞きに行く? それとも他の従業員?」 「いや、まずはここの旅館に泊まっている客に話を聞きたい」  旅館に足を踏み入れた際、玄関には俺達以外の靴が二足置いてあった。物からして女性だろう。少し失礼かもしれないが、それほど有名でもない片田舎の旅館に何故女性二人で泊まっているのかが気になる。 「了解。じゃぁ、大広間に行こうか」 「大広間? 何故だ」 「部屋にいきなり突撃したって会話してくれるわけないでしょ。こういうのは、ご飯を食べるタイミングとかで仲良くなるのが一番心に隙ができるんだよ」 「そういうものか」 「そういうものだよ」  よくわからないが唯人がそう言うならそうなんだろう。実際にそうやって人の心に入ってきた者の言葉には重みがある。 「いないが」 「あれ、お昼時だしいると思ったんだけどなぁ」  唯人の言う通りに大広間に来てみたが、茜色の着物を着た仲居が数人いるだけだ。この村にはこの旅館以外に店などは見当たらなかったから食事をするならこの場所に来るだろう。 「とりあえず、座ろうか。何食べる?」  自然と俺の横に座ってメニュー表をのぞき込む唯人に、見やすいように向けてやる。 「任せる」 「了解、じゃぁ俺と同じのにするよ」  唯人は適当に見繕うと仲居を呼び注文する。その際仲居が顔を赤くしていたが風邪でもひいているのだろうか。無理していなければいいが。  数分雑談をしながら待っていると、先程とは違う二人の仲居が盆に料理を載せて来た。やはり、先程の仲居は体調が悪かったのだろうか。 「ご、ごゆっくり!」  仲居達はテーブルに料理を置くと急ぎ足で大広間から出て行ってしまった。いったいどうしたというんだろう。唯人の格好のせいで怖がらせてしまったのだろうか。頭を傾げていると横から笑いをこらえるような声が聞こえてきた。 「何か面白いものでもあったのか?」 「ふふふっ、気にしなくて、いいよっ」  そういう割にはかなり笑っているが。 「ふぅ、それより美味しそうだね」  誤魔化したな。  唯人の言葉で改めて料理を見る。イワナの焼き魚や煮物などのちょっとした懐石料理が並び、食欲をそそる匂いが鼻を刺激する。  箸を取り、大根の煮物に伸ばす。落とさないように慎重に口に運んで咀嚼した。しみ込んだ出汁が口いっぱいに広がる。  ゆっくりと味わっていると、笑顔を絶やさないまま無言でこちらを見つめている唯人に気づく。唯人の視線がじっと俺を見つめて離さない。無言の圧力だ。 「……はぁ。ほら、口を開けろ」  唯人の皿から大根の煮物を取ると、嬉々として開けている口の中に入れてやる。 「あーん。……うん、美味しいね」 「そうだな……ほら」  次にイワナの焼き魚の身を解して舌にのせる。 「あーん。うん、これも美味しい。澄久も食べてみなよ」  そう言われたら食べるしかない。自分の皿のイワナの身を解し口に運ぶ。 「あぁ。ん、確かに美味いな」  程よい焼き加減でイワナ本来の味が身から染み出てくる。 「でしょ? 澄久、次はこれ食べたい」 「わかった」  唯人の視線には湯豆腐がある。箸では掬いにくいので盆に備えてあったスプーンに持ち替え唯人の口元に運ぶ。 「あー……ん?」  口を開け、湯豆腐を食べようとしていた唯人の動きが腕以外止まった。腕は良く見ないと分からない程度に震え、肝心の視線は俺の後ろへと注がれている。  視線の先を振り返るとこの旅館の客と思しき女性が二人、頬を僅かに赤く染めながらこちらを凝視している。 「すみません。見苦しいものをお見せして」 「い、いえ! こっちこそ不躾に見てしまって!」  立ち上がって謝罪をすると、髪を一つに縛った女性が慌てて手を動かしながら謝ってくる。 「お兄さん達とっても仲がいいんですね! もしかしてそういう関係⁈」 「ちょっと、佑梨(ゆり)! すみません!」  佑梨と呼ばれた肩にかからないくらいの長さの少し癖毛の女性が、興奮気味にこちらに詰め寄ってくる。何にそんなに興奮しているのかわからず、唯人の方を覗き見る。すると、いつも貼り付けている笑顔が不敵な笑みに変わる。 「俺と澄久はとっても仲良しだよ」  ふいに頬に柔らかなものが触れ、すぐに離れていく。 「え、あっ」 「キャー!」  彼女達は二人して顔を真っ赤にし、身体を震わせている。その様子を見た瞬間、何をされたのか分かった。当の本人はいたずらが成功した子供のような顔をしている。 「おい、誤解を招くようなことをするな」 「この子達がいい反応をしてくれるからつい、ね」 「ついって、じゃぁ今のは……」  先ほどまで顔を赤らめて騒いでいた彼女達が一気に静かになる。 「半分冗談。澄久と仲がいいのは本当だけど、君達が考えているような関係じゃないよ」 「じゃぁ、あーんしてたのは……」 「理由はこれ」  唯人が拘束帯で動かすことのできない両手を彼女達に見やすいように腕を持ち上げる。その腕を見た瞬間、彼女達は目を大きく見開く。 「唯人は手癖が悪くてな。常日頃からこうしていないとなんにでも手を出すんだ」 「君達にも手、出しちゃうかもね」  持ち上げた腕で口元を隠しながら笑う唯人に、先程佑梨と呼ばれた女性が唯人の目の前に意気揚々と座る。 「私、お兄さんになら手出されたいかも!」 「もう、佑梨!」 「なによ、美花(みか)だってそう思うでしょ?」 「わ、私は別に……。それに、私はどっちかというと……」 「あー」 「なるほど」 「ん?」  三人の目が俺に向いているが、俺の顔に何かついているのだろうか。口元を触ってみるが何かがついているような様子はない。改めて三人を見ると、唯人から呆れた目で見られた。 「ごめんね、澄久は鈍いから」 「おい、何の話をしている」  時折知人に言われるが、鈍いとはなんだ。  眉間にしわを寄せながら首を傾げていると、三人は俺の様子から何かを察したようだ。 「ふっ、あはは! 本当だ!」 「佑梨! あ、あの気にしないでください」 「そうそう、澄久はそこがいいんだよ」  よく分からないが、これ以上追及しても欲した答えは返ってこない気がするので目の前に置いてあるさつまいもの天ぷらを口に放り込む。さつまいもの甘みが口に広がる。無言で阿保面を晒す唯人の口に俺が食べたものと同じものを放り込む。 「あのー、折角ですからご一緒してもいいですか?」 「……んっ、もちろん! 多い方が楽しいもんね」  咀嚼を終え、人好きのする笑顔を浮かべる。俺にとっては胡散臭く、気味の悪い笑みだが佑梨さんには魅力的に見えるのかとても嬉しそうにはしゃいで唯人の対面の席に座る。  一方、嬉しそうにはしゃぐ佑梨さんをよそに、美花さんの方はとても申し訳なさそうにこちらを見ていた。どうやら俺のことを気にしているようだ。 「どうぞ」  気にしなくて良いという意味を込めて俺は一度箸を置き、右手で前の席を進める。すると、美花さんはほっとした様子で腰を下ろした。 「すみません、澄久さんに唯人さんでしたよね。私、鵜原 花(うのはら みか)です。こっちが友人の」 「愛川 佑梨(あいかわ ゆり)でーす! よろしくお願いしまーす!」 「よろしくね。俺の名前は歔欷 唯人(きょき ゆいと)。で、こっちの鈍いのが」 「一言余計だ。賢木 澄久(さかき すみひさ)です」  名前を口にすると、今まであまり俺に興味を示さなかった佑梨さんの身体が前のめりになる。 「え、賢木澄久ってあの怪異退治屋の賢木さんですか⁈」 「その認識で間違いないと思います」  俺の答えに佑梨さんは見るからに声を上げてはしゃぎだした。一般人にはしゃがれるとは賢木家も有名になったものだ。 「あの、もしかしてここにも退治屋のお仕事で来られたんですか?」 「何故そう思うんです?」  左手を擦りながら、おずおずといった感じに訪ねてくる美花さんに尋ね返す。どうして怪異関係だと思ったのだろうか。そういった話は一切していない。 「な、なんとなく、こういった田舎はそういう怪異とか多いイメージがあって……」  確かに、美花さんの言う事は一理ある。田舎には昔から伝わる言い伝えや風習などの影響でそういったものが集まりやすい。 「美花さん鋭いね。実は澄久が夢でこの旅館の夢を見て、気になったから来てみたんだ」  思わず口に含んだ汁物を吹きかけたが寸でのところで飲み込む。まさか唯人が夢のことを話すとは思わなかった。 「え、すごーい! どんな夢見たんですか?」 「どんな夢だったんですか?」  二人は興味津々といった様子で俺に詰め寄ってくる。じとりとした視線を唯人に向けるが、唯人は気づいていないふりをして俺の視線から逃げた。 「……知らない方がいいですよ」 「えー気になるー」 「わ、私も気になります!」  俺の夢の話なんて聞いて何が面白いんだ。 「だって、話してあげたら?」  こいつ、内容を知っているくせに。少しムカついたので勢いよく口の中に茸炒めを突っ込む。一瞬驚いた顔をしたが何事もなかったかのようにゆっくりと咀嚼している。 「……端的に言うと、暗い祭壇のある部屋の中で何か巨大なモノに一飲みにされる夢だ」  一向に食い下がる気のない二人に押し負け、渋々話すと空気が一気に冷たくなった。二人の顔は少し引き攣っている。だから知らない方がいいと言ったのに。後悔したくないなら人の忠告はしっかりと聞くべきだ。一方、元凶である唯人は咀嚼を終え、俺の隣で必死に笑い堪えているのか、身体が蛇の舌の様に震えている。 「で、でも自分が死ぬ夢って確かいい夢でしたよね」 「あーそういえば、確か幸運が訪れるんだったっけ?」  二人が言うように、夢占いでは自分が死ぬ夢は吉夢(きちむ)とされ、成功に至るまでの強運を掴みやすい状態だとされている。夢で死んだら良いことが起こるなんてそれこそ夢物語だ。 「へぇ、そうなんだ。二人とも博識だね」 「昔雑誌の占いコーナーで見たの!」  佑梨さんはそのまま唯人と昔見た占いコーナーで得た知識を披露している。楽しそうで何よりだ。美花さんはその輪に入らず、気遣わしげに俺の顔を覗く。 「もしかしたら怪異とは関係ないかもしれないですし、きっと良いことがありますよ」 「……そうだったらいいですね」  なるべく心配をかけないように笑って答える。  本当に怪異と関係がなかったらどれ程楽だっただろう。  あれは夢占いで使うものとは違う。あれは、俺を狙う怪異が意図的に見せてきたものだ。 ―次はお前だ。と。 「そういえば、佑梨さん達は旅行?」 「うん! たまには誰にも邪魔されずに田舎でのんびりしたいよねって美花と話してたら、美花が見つけて来たサイトに此処のことが小さく乗ってて二人で良いかもって!」 「へぇ、なんて書いてあったの?」 「確か旅館のはずれにすっごい癒しスポットがあるんだって! それを見に来るお客さんも時々いるみたい」 「癒しスポット……」 「はい。なんでも村の近くに桜の木に囲まれた大きな滝があるそうです」 「へー、じゃあ二人はそこに癒されに来たってことだね」 「そうなの! 最近色々と忙しくて! ね、美花!」 「……うん」  美花さんの纏う空気が一気に暗くなる。まるで、何か大切なものを失ったような表情だ。また、左手を擦っている。 「大丈夫ですか?」  俺がそう言うと、左手を擦るのをやめ、美花さんは困った顔をして、大丈夫と微笑んだ。どう見ても思い悩んでいるというのに。だが、大丈夫と言われては俺にそれ以上言えることはない。俺は素知らぬ顔をして目の前の料理に箸をつけた。
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