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あれから数十分後、食事が終わり解散する流れになった。
「ありがとう。二人と話せて楽しかったよ」
唯人は動物園のパンダが餌欲しさに笑顔を振りまくように、二人に笑顔を向ける。すると、二人とも赤ベコのように顔を赤くしながら頷く。
「私達もとっても楽しかったです! 良ければ今夜私達の部屋に来ませんか? いいよね、美香?」
「えっと、御二人が良ければ、是非」
期待するような瞳を向けられる。
「だって、澄久どうする?」
唯人が甘えるように俺の肩に頭を乗せながら質問してきた。首筋に髪が当たってくすぐったい。
「時間が合えば」
「やったー!」
「待ってますね」
二人は席を立つと、俺達に軽く手を振りながら大広間を後にした。
「ふふふ、澄久も隅に置けないね。駄目だよ、あまり期待をさせる言い方しちゃ」
呆れたような顔をしている唯人に窘められる。
「なら何と言えば良かったんだ?」
「んー、お誘いは嬉しいけど夜は俺と特別な用事があるからごめんね? 的な」
「お前の物言いはいつも変な誤解を生む」
その言い方では俺と唯人との関係があらぬ方向にねじ曲がって解釈されそうだ。現に一度、唯人の紛らわしい発言のせいでいらぬ誤解を生んでいる。
「俺のせいだけじゃないけどねぇ」
唯人が何か言った気がしたが、あまりの小声に鼓膜が音を拾いきれなかった。
「何か言ったか?」
「何でもないよぉ」
おもむろに肩にあった頭が離れていく。重さのなくなった肩を軽く回してから立つと唯人も遅れて立ち上がる。この旅館の客から聞きたい情報は手に入った。ここにはもう用はない。
俺達は食事を運んでくれた仲居にお礼を言うと、大広間から出る。
「とりあえず、先ほど彼女達が言っていた滝に向かってみるぞ」
「了解」
旅館の玄関から出て真っ直ぐ山の方へと向かう。旅館を出る前に蛇塚さんに聞いたら、滝までそれほど遠くないらしい。
緩やかな山道を登っていくと、やがて激しい水音が聞こえてくる。音を頼りに進んでいくと、視界一面に桜色が広がった。
「ここが、件の滝か」
佑梨さんから聞いた通り、滝の周りを数十本の桜が囲っており、花弁が風に舞っては滝口から滝壺へと落ちていき、水面が染まる。
「へぇ、確かに見事なものだね」
「あぁ。綺麗だ。だが……」
美しい景色には全く相応しくないものが見える。
「何か見えるの?」
唯人は俺の視線が向いている方を注意深く見ているが、その瞳に俺と同じものは映っていない事を俺は知っている。
「少し澱みが見える」
黒い靄(もや)のようなものが滝全体を薄く覆う様に漂っている。
「ふーん、自殺の名所だったりするのかな?」
「彼女達は癒しスポットと言っていたが」
「わざわざ自殺の名所だなんて雑誌に書いてないでしょ」
それもそうか。自殺の名所だなんだと噂が流れたりすれば過疎化が進んでいるこの村にますます人が寄り付かなくなるだろう。だがここは唯人が言ったような自殺の名所なんてものではない。もしここが本当に自殺の名所だったのなら、澱みは滝を覆いつくし周りの木々を枯らしている。
別の場所に原因があるはずだ。注意深く澱みがどこから来ているのか見る。唯人が興味津々と言った様子で俺の周りをうろうろしているが、今は構っている暇はない。
やがて、澱みの中心場所を見つけると待ってましたと言わんばかりに、唯人が顔を覗き込んでくる。
「で、どうする?」
「滝の裏側に行く」
そう言うと、唯人はポカンとした表情を浮かべる。あまり見ない顔だ。
「裏側?」
「澱みの元がある」
澱みの中心は滝の中心を位置しており、そこだけ他の場所よりも色が濃い。恐らくは滝の裏側に何かがあるのだろう。
「そっか。鬼が出るか蛇が出るか、はたまた両方か、楽しみだね」
先ほどまで浮かべていた間抜け面を、愉快そうな表情に変える。これから危険が待っているかもしれないというのに。
「行くぞ」
滝の周りを沿う様に足元に注意しながら進む。
「澄久~ここから下りれるみたいだよ」
滝口の真上まで歩いていくと、わかりにくいが下に降りられる階段のようなものがある。階段を一段ずつ注意しながら降りていくと、やがて滝の裏側に到着した。そこには滝と垂直に伸びる穴があり、そこから風に乗って澱みが流れているのが見える。
「ふふふ、澄久が言った通り滝の向こうがあったね」
唯人の言葉に心の中で頷くと、懐から札を出し、人差し指と中指に挟んで呪を唱える。
「闇を抱きしもの、我に道をつけよ。〝光(こう)〟」
呪を唱え終えると、札が宙に浮き強い光を放ち出し数十メートル先まで照らす。
「結構長い洞窟だね。人為的かな?」
「いや、人の手ではない何かだな」
「わかるの?」
「人の手で掘ったというより、何か大きいものが通った跡みたいだ」
壁に手を触れ、感触を確かめる。一見普通の土壁だが、一定の間隔で段差がある。例えば、魚の鱗のような。
「言われてみれば確かに。何かに押し広げられた感じだね。変な模様もあるし。一体何が通ったんだか」
「行ってみるぞ」
「はーい」
札の放つ光に導かれ、真っ直ぐと洞窟を進んでいく。洞窟の中は一本道だというのに、異様にうねうねとしている。
二十分は歩いただろうか。やがて洞窟の奥から光が見えてくる。それと同時に、澱みがより一層濃くなった。
「あれ、何もないまま外に出るけど……」
「唯人、下がっていろ」
どことなく嫌な気配がする。唯人は眉間にしわを寄せたが、大人しく俺の後ろに移動した。
洞窟から抜けると、札が役目を終え灰になって消える。目の前には小さな木造の建物があった。
「祠だね。何かを祀っているのかな?」
「あぁ、だが最近引っ越したようだ」
慎重に近づいて祠の中をのぞくが、肝心のご神体が見当たらない。
「本当だ。一体どこに……」
「十中八九、夢で見たあの部屋だな」
遷宮(せんぐう)中なのかとも思ったがそれにしては、造営や修理している様子はない。だとすれば、夢で見たあの部屋にあるのだろう。
「ということは、旅館の中かな。でも、なんで旅館の中に移動したんだろうね」
「さぁな。なんにせよ良いものを祀っているわけではなさそうだな」
祠の前には人一人が寝転がれるような大きさの石壇がある。
「そんなに澱んでいるの?」
石壇の上には黒い入道雲のようなものが漂っている。それが時折、風に吹かれ洞窟の中へと吸い込まれていく。
「随分と昔のものだがな」
澱みから感じ取れるものはかなり昔の強い怨念だ。憎い、恨めしい、そう言った感情が複数積み重なり、これほどの澱みができてしまった。
俺は懐から先ほどと同じ札を出すと、呪を唱える。
「非なるもの、我願うは安らかなる眠り。〝浄(じょう)〟」
澱みが消えていく。これで滝の方に流れていた澱みも消えるだろう。少しでも原因になった魂が安らかに眠れるよう手を合わせる。
「澄久」
いきなり身体を押され身体が傾く。すると、目の前に何かが通り過ぎていく。唯人はそれを蹴りつけると、足で踏みつける。
「! 蛇か」
「うん。大丈夫? 澄久」
「あぁ、お前も噛まれていないか」
「大丈夫、噛まれる前に殺したから」
唯人の足元には頭が踏みつぶされた蛇の死骸があった。
「……そうか」
俺は蛇の亡骸を軽く弔うと、祠に背を向ける。
「あれ、もういいの?」
「あぁ、ここにはもう用はない。戻るぞ」
「はーい」
来た道を引き返し、滝の状態を確認する。澱みは綺麗になくなり、元の美しい滝の姿を見ることができた。癒しスポットと言われているだけあって、心が少しすっきりした気がする。
それから満足いくまで滝を見ると、村に戻るために山道を下っていく。
「うわっ!」
「! 大丈夫か?」
村の様子を軽く確認しながら旅館までの道を歩いていると、横道から小学生ぐらいの少年が飛び出してきた。
ぶつかって尻もちをついた少年に目線を合わせると、少年はケロリとした表情を浮かべる。
「うん! 平気!」
少年は何ともなさそうに立ち上がる。軽く見た限り怪我もなさそうだ。すると、少年が来た方向から母親らしき人が小走りでこちらにやってくる。
「すみません、うちの子が」
「いえ、こちらこそ」
低姿勢で誤ってくる母親に気にしなくていいように言葉を返していると、少年の目が唯人に釘付けになっていることに気づく。
「お兄ちゃん、なんで手縛ってるの?」
「ん? この手が勝手に悪いことしないようにするためだよ」
「へー変なのー」
純粋な答えに少し吐息が漏れる。ここまで直接的に言ってきたのはこの子が初めてだ。
「こら! 失礼でしょ!」
「気にしないでください。よくあることなので」
「本当にすみません。悪い子は蛇(じゃ)神(しん)様の贄にされちゃうよ!」
「っやだ!」
「ジャシン様?」
いきなり出てきた言葉が耳に引っかかり、俺は母親に蛇神について詳しく話を聞かせてもらうことにした。
「この村に伝わる蛇の神様です。昔この村に蛇神様が来て、この村を裕福にする代わりに生贄を寄越せと言ってきたんです。それで村長は村で一番の厄介者を生贄と差し出したそうです。以来この村には悪いことをしたら蛇神様の贄にされると言われています」
「そうなんですか」
なんとも酷い話だ。厄介者だからと言って贄にしても良いというわけでは決してないのに。
「はい。まぁ迷信なんですけどね。蛇神様も山の中に小さな祭壇と祠があるだけでご神体はないし、時折観光客が来ますが村が潤うほどではありませんからね。栄えていると言ったら、旅館くらいかな」
旅館、か。
「興味深いお話ありがとうございました」
「いえ、大したことを話せなくて申し訳ありません」
「ばいばーい!」
母親はこちらに軽く会釈をして、少年は大きく手を振って俺達とは違う方へ帰っていく。それを見送ってから俺達も旅館へと続く道を進む。
「蛇神が怪異かな?」
唯人がポツリと呟いた。
「おそらく。蛇神の祠とされる場所にあれだけの澱みだ。さっきの話はあながち嘘ではないだろう」
むしろ、事実の可能性のほうが高い。あの澱みは理不尽に贄にされた者達の怨念だ。
「俺には見えないけど、そんなに酷かったんだ。ねぇ、俺の時とどっちが酷かった?」
そう問われ唯人に初めて出会った時のことを思い出す。
真っ白い部屋とは裏腹にこいつの周りはこいつ自身の姿が全く見えないほど黒かった。それはこいつがどれだけの人間に恨まれているのかに比例する。
「……さぁな」
はぐらかして、歩く速さを少しだけ上げる。唯人は少し不満そうにしながらも長い脚で難なく俺についてくる。
言ったところで、唯人は何も感じないのだから。
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