微笑み結び

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私は神に仕える神官です。 といっても、私にできることというのは、さほど多くはありません。 生まれ変わりを待つ魂の浄化をしたり、それらの魂が良い転生先に恵まれるように祈ったり。 まだ幼い天使の子たちに天界、下界、魔界について教えたり、時々不法に紛れ込む魔界の悪魔を撃退したり。 あとは細々とした神のサポートを行います。 できることは多くはありませんが、それでも多忙は多忙です。 それなのに、目を離すと神はいなくなっているのです。 私はその理由を知っています。 神は下界がたいそうお好きで、仕事の合間を見つけては、ご自身の身分もわきまえずに下界へ降り立ってしまうのです。 それだけならまだしも、神は堂々と人々の前に姿を現します。 その日誕生日の人を、お祝いするためです。 しかしそれで喜ばれたことは、一度もないそうです。 皆一様に、やばい奴が出た! と言って全速力で逃げていくそうです。 それはそうだと私には納得のいくことしかないのですが、神は彼らの鬼気迫る ように遠ざかっていく後姿にショックを受けて、しばらく落ち込みます。 そのたびに仕事が停滞するので、下界に降りるのはおやめになったらどうか、と 思いきって口上してみました。 そうすると神は頭を振ってダーツを始めます。次の行き先を決めるためです。 私の仕えている神は、少し、いえ、かなりの変神と言わざるを得ません。 初めの頃は、私にも遠慮する心がありました。 変神とはいえ神は神だ、敬わなければならない、畏れなければならない、と。 しかししだいにそういう気持ちは薄らいでしまい、今でははっきりと意見を申し述べるようになり、それでも下界に降りることをやめない神に、いつしか私は自分でも引くほど悪い言葉遣いで話すようになってしまいました。 他の神官に(たしな)められることもしばしばです。私も直せることなら直したいのです。 ですが、下界に降りた際に購入してきたという、Tシャツとハーフパンツと呼ばれる珍妙な召し物を着て、平然と仕事をする神に対して、私は神は神らしく、神々しくあれと思ってしまいます。 見た目で神を判断してはいけません。 けれど、これではただの凡神と見られてもおかしくはないのです。 そのことについて私があれこれ申し上げると、神は下界の文字の書かれたTシャツを私に差し出してきて、着心地が最高なのだと薦めてくるのです。 私は当然断りましたが、困ったことに、まだ幼い純真無垢な天使の子たちにも同じような召し物をお土産として配っているではありませんか。 いたいけな天使の子たちに、悪影響が及んではいけません。 私は思わず、魔界の悪魔を撃退したときのように、全力の通力を込めた張り手で神を打ちのめしてしまいました。 あの時はさすがに、すぐさま謝罪の言葉を申し上げました。お体は大丈夫かと心配しました。 倒れた神がむくりと起き上がり、かと思うと純真無垢な天使の子たちと同じくらい、澄んだ瞳で私の手を取るので、私は何事かと身構えました。 すると神は見事な張り手だったと私を褒めて、どこで弟子入りをしたのか、師匠を紹介してほしいとまで頼まれました。 私は呆れて物も言えませんでした。先程の謝罪の言葉を返してほしいと思いました。 私の奮戦も虚しく、他の神官や天使の子たちは神の影響を受けて、下界に興味を持つ者が増えていきました。 お土産のTシャツを嬉々として身に着ける者たちもでてきたのです。 このままでは天界は下界にかぶれてしまいます。 しかし、これから先の天界の行く末に不安を抱いているのは、私だけのようでした。 私は孤独を感じるようになりました。 神官の中には、こっそりと下界に観光に行くものまで出てきて、天使の子たちは、神から語られる下界の話を心待ちにしていました。 私だけが天界の行く末を案じているように感じられるようになりました。 私は神や他の神官、天使の子たちと距離を置くようになりました。 下界に心を奪われた彼らのことなど、放っておくことにしようと自分に言い聞かせました。 今日も数多の魂が天界に帰ってきます。 神官は生前の記憶が眠るそれらをまっさらな状態に浄化します。 時々前世の記憶が残ったまま生まれてくる人がいると聞きますが、それはこの浄化が(おろそ)かになったためだと思われます。 ほら、あの神官のように、下界に憑りつかれて集中力が散漫になったまま浄化を 行うと、そうなるのです。 まったく、いたいけな魂をなんだと思っているのでしょう。怠慢であるとしか言いようがありません。 以前の私ならば口に出して注意していたでしょうが、それも私はしなくなりました。 神に対しても放任的となり(本当は神にこのような物言いをするのはいけないことなのですがこの際気にしません)、最近は顔を見れば軽い挨拶を交わす程度で、まともに口を利いていません。 神はあれこれと話題を振ってきますが、私はろくな受け答えをしませんでした。 楽しそうに下界の話に花を咲かせる彼らを遠巻きに見ながら、私は浄化した魂が、良い転生先に恵まれるように、一人で祈りを捧げました。
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