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「百瀬さん。そう言う発言はセクハラですよ」
「え!」
百瀬さんは素っ頓狂な声を上げた。
「そうなのか! すまない。忘れてくれ!!」
軽い冗談で言ったのに、強面のエルダーは深々と頭を下げる。
「ちょっ、ちょっと! こんなところで。頭を上げてくださいっ!」
顔の前でアワアワと手を振った。こんな小娘が長身を折り曲げさせてるだなんて外聞が悪い。すぐそこは交通量の多い車道だというのに。
顔を上げた百瀬さんは大きな手で顔を覆い隠すようにして眼鏡を直した。そして「その……」と歯切れの悪い声を出す。
「俺はそういうのが分からないんだ。すまん」
眼鏡の目元を少しだけ赤くして視線を落とした。
「男子校だった所為か女子社員との距離の取り方っていうか、そもそも女が…………いや、これは言い訳だな。忘れてくれ」
――谷っちの前の事務の子なんて、なかなか定着しなかったんだぜ。
――あの人が原因だって、絶対。
田所さんの台詞が蘇る。確かに新人が辞める理由の一つは百瀬さんなのかもしれない。この強面とコミュニケーション下手な性格。
(空回りしそうだもの)
マスクの中で口元を緩めると、百瀬さんが「原は電車か?」と訊いてきた。
「はい。今日は寄り道していくつもりですけれど。百瀬さんは?」
職場から駅までは約二十分の距離だ。
「俺も。JRだ」
「私は京急です。近くまで一緒に行きますか?」
同じ方向に歩くのにここでさようならも変な感じだ。しかし百瀬さんは何か言いかけて、ぎゅっと眉間にシワを寄せる。
「…………」
いつもの無言が返ってきた。
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