まぶたをひらく

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まぶたをひらく

二度とかえらぬ  三枝(さえぐさ)が生まれたのは町からずいぶん離れた田舎の村だった。春には桜が咲き、冬には雪に埋もれるその平凡な寒村で、三枝は兄弟たちとともに育った。  夏には澄んだ小川に潜り秋には黄金色の田んぼの中を分け入り、兄弟らと小さな村の中を縦横無尽に走り回った。  その平凡だが季節の移り変りの美しい村を見るのも、今日が最後。 「いいかい、この人の言うことをよく聞くんだよ」  ボロ布を着たような父母とは違い、洒落た仕立ての良い服を着た隣の大人を見上げる。男は下からの視線に気付くと笑った。それから、と母が話し始めてまた正面に向き直る。 「風邪を引かないように暖かくして寝るんだよ。あんたはお腹が、弱い、んだから……」  そのあとはもう言葉にはなっていなかった。あまりに悲しそうだから、母の温かい手を掴んで大丈夫だと言ってやりたいけれど、すでに右手を隣の男が掴んでいたからそれも叶わなかった。 「この子を、どうぞ、よろしくお願いします」  父が深く、まるで罪人が懺悔するように頭を下げた。それとはまるで正反対に、隣にいた人買いの男は快活に笑った。 「なあに、そんなに心配はいらんさ。こいつはなかなかの器量よしだから、ややもすればあっという間に売れっ子になるよ」  それに、と男は続けてどこか遠くの方を見た。 「行く先はあの桜坂だからな。食うに困るこたあないさ」  さあ行こうかと男が言って、掴まれていた右手を引かれる。見上げると父は泣いていた。父の泣き顔を初めて見た。母は涙ぐんで、声を出さない口がしきりに「ごめんね」と形作っていた。まだ小さな妹が首を傾げている。まだ何も分からず無邪気に笑っている末の弟を抱いた姉が顔を伏せた。兄はもう大人に近い大きな拳を握り締めていた。  少年は、口の端をぎゅっと結んでこぼれ出そうないろんなものを堪えた。二度と帰らぬであろう場所を、ただ睨むような顔で見ていた。
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