ある男とそれに関わる三人の男にまつわる話

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雪つばき  月の下、外はほんのりと明るかった。光が雪の粒のひとつひとつに反射して静かな庭を浮かび上がらせている。とさ、と幽けき音がして松の枝から雪が落ちた。 「どうしたんだい、窓を開けたりして」  文机についていた肘を下ろし、窓の外から部屋へと目をうつす。さっきまで眠っていた与市殿が布団の上に体を起こしていた。 「寒かったでしょうか」 「いや」  障子を閉めようとした手を、止められる。すぐそばに与市殿が座った。 「寝てしまったようだ」 「お疲れですか」 「そうみたいだな」  いつものとおりに酒を酌み、布団の上で話をしているうちに与市殿は眠ってしまっていた。 「おや」  ふと、与市殿がこちらに手を伸ばす。長い指が触れるか触れないかで髪から離れていった。 「雪が」  返した手のひらにはもう何も残ってはいなかった。 「どこかへ行きたいな、ふたりで」 「どこへ」 「どこへでも」 「わたしは」  雪を溶かす温かな手が背中に触れる。首筋に額を寄せた。 「どこへも行かなくていい」 「どこへもかい」 「ふたりだけで、誰にも入れない檻に閉じ込められていたい」  引き寄せられてまぶたを下ろす。 「そうだな」  窓からまた一片の雪が迷い込んで、文机の上に落ちて、溶けた。 「それがいいかもしれない」  外では雪の下に柔らかな椿の花が沈んでいく。
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