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そこには何も無かった。
風に乗ってさらりさらさらと崩れ落ちていく目の粗い砂と地上を血の色に染め上げるバカでかい太陽だけが、俺の視界にある全てだった。
ついさっきまで激しく降り注いでいた銃弾の雨と怒号は、今はピタリと鳴りを潜め、忌まわしい静謐が辺りを取り巻いている。
不吉な光を放って上空を横切っていった金属の塊が何処へ向かっていったのか俺は知らない。
「何をしている、ラウル。撤退するぞ」
埃にまみれた迷彩が俺の肩を叩いた。
「ユージーン.....」
振り返った俺の眼に深い菫色の眸が静かに微笑む。
「ダリルは無事だ。マシューが早く気づいたからな.....」
俺は差し出された煙草を受け取った。微かに指先が震えているのを気取られただろうか。
「あの子供は....?」
ユージーンは眉をひそめて首を振った。燻らせる紫煙に遮られて、微妙な表情は読めない。が、胸内に苦いものを噛みしめているのは、おそらくは間違いは無かった。
「爆薬を腹に抱えていた。それを自分で破裂させたんだ。解るだろう.....」
俺には返す言葉が無かった。十歳になるかならないかの少年。絶望的な眼差しをした褐色の肌の少年は、俺達に助けを求める素振りで、だがシャツの内側で秘かに手榴弾のピンを抜いた。
駆け寄り抱きつこうとする少年。表情の不審さに気づいたマシューが彼を突飛ばし、両手を伸ばそうとしたダリルを引き戻した。その瞬間に爆発が起きた。ダリルの脚に破片が突き刺さり、転倒した。
天を仰いで倒れた少年はそれきり動かなくなった。腹部に黒い染みがゆっくりと拡がっていくのを俺は呆然と見ていた。ユージーンに叱咤され、我れに還って......マシューと俺とで、ダリルに肩を貸して、なんとかキャンプに戻った。
「あんな子供に自爆なんて....」
吐き捨てるように呟く俺の肩をユージーンが軽く掴んだ。
「それが、この戦争なんだ。ラウル」
溜め息混じりのハスキーボイスが告げる。
「狂ってしまった世界を正気に戻さなきゃならない」
「あんな子供まで殺して......か」
「他に方法は無い。歯車の狂いが、歪みがIS というモンスターを生み出してしまった。奴らを止めなきゃならない。でなければもっと多くの生命が犠牲になる」
足許で煙草を踏み消しながら、ユージーンが言う。
「時を戻すことは出来ないんだ、ラウル。もし時を戻して百年前に戻したとしても.....最適な決定が何なのか、俺にはわからない」
「最適解か......」
俺は、あいつの顔を思い浮かべた。蜂蜜色の金の髪、穏やかで、だが奥底に寂しげな気配を湛えたプルーグレーの瞳。あいつの口癖だった。
『ラウル、よく観察して、慎重に考えるんだ。「最適解」に辿り着くまで、焦ってはいけない』
俺はオヤジの言葉に従って、あいつを残してサンクトペテルブルクを去り、オヤジの片腕になることを選んだ。あいつを忘れて、裏社会を生き抜くために、漢らしい男になる道を望んだ。それが本当に『最適解』だったかどうか俺にはわからない。だが....
ーミーシャ、俺は人殺しになっちまった.....ー
最初に生きた人間に向かって銃爪を引いた時には指が震えた。手が銃に張り付いて離れなかった。
だが、殺らなければ、殺られていた。
『戦場というのはそういうところだ』
自分の生命を守るために人を殺す。その繰り返しの中で、徐々に人は狂っていく。生命のやり取りの中で削られていく正気の代わりに狂気をまとっていくのだ。やがて、目の前に血に染まって倒れているのが、自分と同じ人間なのか、識別がつかなくなっていく。
ーそれでも......ー
「年端もいかないガキにライフル握らせるなんざ、マトモな人間のすることじゃない。ましてや、腹に爆薬巻いて死んでこいなんて.....」
「勿論だ。俺達はそれを止めさせるために此処にいるんだ」
奴らを追い詰めることが、果たして状況を変えることになるのか......いわゆる少年兵が日増しに増えていく事態に暗澹たる気持ちはなお暗く深くなっていく。
ーミーシャ、教えてくれよ......ー
俺はそっと胸のポケットに手を触れた。ユージーンと並んで俯いて兵舎に戻る道を無言で歩いた。俺達の背後で空も大地もいっそう禍々しい赤に染まり、そして凍てつくように冷えきった夜を迎える。
それは、この砂漠で不毛とも思える戦いを続ける俺達そのものだった。
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