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1時間程度ですべての後片付けを終える。富貴さんと終礼もどきの今日の報告と明日の予約確認まで終えたら朱音の業務は完了だ。
「お先失礼します」
「お疲れ」
「お、お疲れ様です、鶴見さん!」
二人はまだ残るらしい。大方、桐ヶ谷の指導だろう。アシスタントの世話をするのも先輩スタイリストの務めだが、今現在、朱音はその役目を富貴さんに全て押し付けている。正確には「やって」と言われないからなのと、自分から教わるよりか富貴さんから教わった方がいいと知っているからだ。朱音もここに来た当初は富貴さんに少しだけレクチャーを受けていた。その時の教えは数年経った今でも生きている。やはり真のカリスマは教え方も超一流なのか、と当時は愕然としたものだ。
(一から全部教えてもらえるのはちょっと羨ましいかも……)
ドアを開ける前に振り返ると、桐ヶ谷の完璧丁寧な仕事ぶりを示すかのように、店内は整然として埃一つなかった。暇つぶし用に置いてある漫画もきちんと巻数を揃えて並べられてある周到さに舌を巻く。今日は子どもたちが多く来たから、順番が来てはテキトーに本棚に突っ込んでいるシーンを何度か見た。だが、流石に自分ではそこまで気は回らない。そう言えば、朝、「やっといて」と頼んだ作業も文句なしの出来だったことを思い出す。
これで、朝に強くて、素早く動けて、接客でどもらなければなぁ……。ないものをねだっても仕方ないし、こればっかりは美容師としての技術ではなく、彼の人間性である。うちは小さいし、お客さんも優しいし、全てひっくるめて彼の魅力としてここ1週間で受け入れられつつあるが、一緒に仕事をする身としてはなんとかしてほしいところではある。
「さー帰ろ帰ろ」
自分がどうこうしても、どうしようもないものは考えないに限る。店のドアを引いて外に出た。
家までは12分と30秒。
「あっ……いい匂い」
心地いい春風と、ほのかな桜の香りに包まれながら、朱音は帰途についた。
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