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小隊、そこに入れば空を飛ばねばならないのでは?小隊という言葉を聞いても極力考えないようにしていた努力が無駄になった。
自分が空にいる感覚。どこまでも曇天に包まれ、まるで地球そのものが雲に覆われたようにも感じた。それは、人生において二度と無いであろう最悪の光景、血塗れになりながら戦う者、有るべきはずの腕が無くなった痛みに泣き叫ぶ声、声を出せないほどの恐怖。それら全て鮮明に蘇ってくる。
それでも絞り出した声は震えてはいなくとも気分が悪いと相手には伝わるだろう。
「今日は、ダメ。時間がない、から…」
「………そうか、ならいい、じゃあ明後日の放課後、校門に」
少しだけ見えた拒絶の色、何か触れられたくないものを微かに感じ取りウォルターすぐに引いた。
失礼します、アンネはその一言を残し去って行った。ややあってカナセは言う。
「あの子は色々抱え込むタイプだから、前の小隊で色々あってね。まぁここから先はあの子が君に心を開いたら聞いてみるといいわね」
長年の付き合いと言うべきか悩む関係だが、カナセは大抵の生徒の問題をウォルターにだけ言う。ある種デリカシーがないのだ。
ただ、そんなカナセも言葉を濁す時がある、それが竜騎士の死。多くの竜騎士にとってそれだけは言葉を濁すのだ。
それは仲間の竜騎士が死んだ、その事実を再び言うことへの忌避。彼女も竜騎士の端くれ、だからこそ、推察できたと言える。
「なんとなく察せられますよ、そのくらい。ですが人として心か荒んでいくを俺はよく実感してました」
「へぇー?君も人の死を悼んでるの?」
「悼んでなかったらこんな生き方はしてないですよ、それに、人の死を悼まない奴なんてそうそういないと思います。少なくとも俺らはそう思ってます」
「俺ら、ね」
訝しげに見つめるカナセを見ることなく、ウォルターは茶色い紙袋を左手で取って立ち上がりドアの前まで行き、振り返り言った。
「カナセ先生、あなたは俺にアンネと親しくなれって言いたいんでしょうが、あれが俺に心を開くと思ってますか?」
諸手を挙げつつ、とても医者とは思えない無責任な態度でカナセは告げる。
「そうね、彼女をすくい上げて欲しいの、その上で八〇六と一緒に成長して欲しいだけ」
精神医ではないその点を考慮してもあまりに無責任だし、上手く行くとは思えない。
彼には人を救うことは出来たことがあったが、本当の意味で救えたことなど無い。
ただ、期待されていてこんな自分と仲良くしてくれているし、アリアを影から守ってくれているのだ。
それはウォルターにとって、命を懸けて返すべき借り。
「よく解りました、カナセ先生には一生分の借りがありますし」
真剣な表情から一変して、いつもの人をからかう時の表情。ウォルターは嫌な予感を感じ取った。早く出ようと踵を返すが。
「あら?嬉しいわね。それじゃ、あの子をよろしく。それとアリアちゃんをあんまり泣かせちゃダメよ?」
「…………なんで知ってるんですか、聞く気も起きませんけど」
背を向けたまましょぼくれていると、不意をついて追撃が襲ってくる。
「もう噂になってるわよー?アリアちゃんがいつもなら帰ってるはずの時間から生徒会室から出てきて、目を腫らして帰ってるの。
君の右頬が腫れてるのだって、何かふかーい理由があるんじゃ無いの?」
もうどうでもよくなり、無愛想に(いつも無愛想に見えるが親しい人には少しだけ明るく優しくなる)言った。
「カナセ先生が女子生徒にちゃん付けで呼び、男子生徒を呼び捨てにするのと同じで、深い理由なんてありませんよ」
すぐに出て行った。後ろから、そぉー?本当にー?と言う声が聞こえたがすでに答える気力はなかった。
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