月が綺麗だから何なんだ

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月が綺麗だから何なんだ

「月が綺麗ですね」 華のセブンティーンである桜井春彦は、公園のベンチの上に仁王立ちし、近隣の住民の迷惑になりそうな程大きな声でそう言った。 「月見バーガーが食べたい?」 同じく華のセブンティーンである赤坂秋紀は、ブランコを漕ぎながら聞き返した。 その表情には若干の殺意が感じられたが、春彦には全くと言っていいほど通じていなかった。 「別に食いたくねえわ!どんな聞き間違いだよ!俺は『月が綺麗ですね』って言ったんだ!」 春彦がベンチの上で地団駄を踏みながらそういうと、秋紀は眉間のシワを限界までギュッと寄せた。 「……やっぱり聞き間違いだろうか。現代文の成績万年1のお前の口から、まさか『月が綺麗ですね』なんて言葉が出てくるはずがないもんな。」 「うるせえわ!現文の成績は今は関係ないだろ!」 秋紀は『本気かこいつ』という目で、春彦の猿のような顔を静かに見つめる。 そして大きなため息をつくと、子供を宥めるかのような声色で話を続けた。 「春彦、『月が綺麗ですね』って誰の言葉か知ってるか?」 「はぁ!?知ってるもなにもないだろ!」 「そうかそうだよな!流石のお前もそれくらいはわかるよ……」 「だってこのスーパーモテモテイケメンスペシャルの俺が考えたんだぞ!?」 「……な。」 2人の間に沈黙が流れる。 秋紀は一筋の汗を頬に流しながら、恐る恐る聞き返した。 「……あの、今なんて言った?」 「スーパーモテモテイケメンスペシャルの俺だ。」 「……は?」 「だから、スーパーモテモテイケメンスペシャルの俺だってば。」 「大間違いだわ!!」 「大正解だろ!!」 そう言い放った春彦の瞳は少しの曇りもなく、晴れ渡った空のように澄み渡っていた。 「じゃあさ、仮にお前が考えたとして、『月が綺麗ですね』は一体どういう意味なんだよ。」 「アイラブユーに決まってるだろ。」 「なんでそこは大正解なんだよ!」 秋紀は思わず頭を抱えた。 春彦はドが付くほどの阿呆であるが、同時にとてつもない天才であるのかもしれない。 秋紀は10年の付き合いの末に春彦に対し悟りを開いたのだった。 「あのな、『月が綺麗ですね』はざっくり言うと、夏目漱石が発案したアイラブユーの日本語訳なんだ。」 「まさか俺の影響を受けて……!?」 「受けてないから。夏目漱石は僕らが生まれるずっと前にはもう亡くなってるから。」 「そうだったのか……きっと俺と漱石が出会っていたらソウルメイトになっただろうな。」 「魂だけにってか。つまんな。」 秋紀は春彦の発言を聞き流しながら、携帯でテトリスをし始めた。 しばらくしてT字ブロックを丁度良い穴に埋めたとき、ふと大事なことを思い出した。 「そういえば、なんで春彦は僕に『月が綺麗ですね』なんて言ったんだ。ハッ!もしかしてお前……」 「違うから。」 「そんなきっぱり言わなくても良くないか。」 春彦は秋紀の言葉を「何言ってるんだこいつ」という表情で完全否定した。 そして片手で前髪をかき上げ、渾身のキメ顔をすると、精一杯の渋い声で話を続けた。 「あれは、言わば本番のための練習さ。」 「本番のための、練習?」 「そう!既にスーパーモテモテイケメンスペシャルな俺が、彼女とデートで夜景が綺麗なところに行くとするだろ?そのときに『月が綺麗ですね』ってスマート言えたらめちゃくちゃかっこいいだろうが!」 どうだ、と言わんばかりに、春彦は秋紀に下手くそなウインクを何度も投げつける。 秋紀は下手くそなウインクを手でペッと払うと、とてつもなく大きなため息をついた。 「……練習しないと言えないような愛の言葉に、果たしてお前の気持ちはこもっているのか?」 春彦の下手くそなウインクの嵐が止んだ。 それほどに秋紀の発言はかなり鋭く的確だった。 現代文の成績が万年1である春彦の頭上には宇宙が広がったようだった。 「カッコつけた言葉じゃなくて、どんなに下手くそでもダサくてもいいから、真っ直ぐに自分の言葉を伝えるべきじゃないのか。『彼女』ってそういう相手だろ。」 「秋紀……」 秋紀が優しく微笑みかけると、春彦はいつになく真剣な表情を浮かべた。 すると春彦ベンチから跳び降り、ブランコに腰掛けていた秋紀の肩に軽く手を乗せた。 2人の間には青春の香りが漂った。 しかしそれはすぐに春彦の大笑いで吹き飛ばされてしまった。 「俺もお前も、生まれてこの方彼女なんか居たことねえじゃねえか!!」 遠くの方でカラスが鳴いた。 秋紀は「そうだけど、そうじゃねえよ!」と言いかけて、やめた。 言えば、なんだか自分が惨めになる、そんな気がしてならなかったからだ。 そんな秋紀の思いもつゆ知らず、春彦は猿のおもちゃのように手をバンバン叩きながら大笑いをしていた。 秋紀は行き場のなくなった感情を落ち着けようと空を見上げた。 するとそこには大きく綺麗な満月が登っていた。 「……月見バーガー食べに行くか。」 秋紀がそういうと、春彦は狂ったように踊り出した。 「そんじゃあ、言い出しっぺの秋紀の奢りな!やっほーい!!」 秋紀は頭上の満月に、全てを諦めたと言った様子で微笑みかけた。
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