沈まぬ夕日

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 この夕日はいつからあそこで止まっていたのだろう。オレンジ色に輝く空を眺めながら、ぼーっと寝転がっていれば隣から鳴き声が聞こえる。 「にゃおーん」  この子と会うのも何回目だろうか。頭を撫でてやれば、満足そうに丸まる。猫の横で、ゴロンと寝っ転がって夕日を見上げる。 「君はいいねぇ。幸せそうで」  独り言が口から溢れるが、相手は猫だ。返事なんてにゃあーか、にゃうくらいなもんだろう。わかっていても、孤独感は止まずどうしても話しかけてしまう。 「にゃあーお」  耳元で聞こえた大きい鳴き声に、体がびくりと揺れる。自分の体じゃないみたいだ。手を夕日にかざせば、心なしか透けてる気までしてくる。 「にゃあーお!」  怒鳴り声のような鳴き声が耳元で鳴り響き、また体が揺れる。体を起こして猫の方を見れば、付いてこいと言わんばかりに尻尾を揺らして歩みを進めている。 「ついていけばいいの?」  そんなわけないか、猫だもの。それでも、猫は数歩歩き私を振り返る。やはり、付いてこいと言ってるように見える。 「わかったよ。行くよ」  猫の後ろを付いて行けば、どんどんと山の方へ向かう。山登りはしたくないなぁ、これから夜に向かっていく時間だもん。けれど私の予想は、運悪く的中していて猫はズンズンと山の方へと進んでいく。 「どこまで行くんだい。にゃんこちゃん」  声かければ、振り返りはするけれど猫は何も答えてくれない。それもそうか。猫だもの。  猫を追いかけて山を登り始めて、30分くらい。私結構頑張ったんじゃない? もういいかな? なんて思い始めたところで猫はピタリと進むのをやめる。  「はぁはぁ」  言葉をかける余裕もなく、乱れた息を整える。辿り着いたのは山の中腹であろうか、木々が開けた広場のような場所だった。 「にゃーお」  ベンチにスッと飛び乗った猫が一鳴きして丸まる。疲れ切ってしまった私も、猫の横にコロンと寝転がって鬱蒼と生える木々の揺らめきを見つめる。  こうなってしまった原因はなんだろうか。どこへ行っても誰もいない。夕日は沈みそうなまま、ずっと地平線をキープしている。夜が来なければいいと、確かに願った。黒々とした闇に飲み込まれる夜が嫌いだ。けれど、そんなのはいつものことで別段今日である必要性なんてないはずだ。  こうなった原因がありそうな今日の出来事を何度おさらいしても、答えはその中には無いみたいだ。ただ、この1人だけ閉じ込められた夕日の世界で何かを待っている。そんな予感がしている。私は、何を待っているんだろう。 「にゃお?」  問いかけるような猫の鳴き声に顔を上げれば、知らない幼い女の子がそこには立っていた。いや、私は彼女を知ってる。 「私は、もうやだよ」  泣き出しそうな声で、震える声で呟いた言葉を私の耳は聞き逃さなかった。さめざめと泣き喚きながらも、走り去りそうになる彼女を追いかける。 「待って」  私の制止も聞こえないようで彼女はものすごい勢いで山を駆け下りる。山登りだけでももう疲労困憊なのに。 「待ってってば!」 「もう、ダメなの?」 「いいから止まってよ!」 「ごめんなさい」  何度声をかけても、彼女の足は止まらない。私の息はもう上がっていて、言葉を出すことすらままならない。 「おねがい、待ってよぉ」  泣きそうになって声を無理くりに吐き出せば、伸ばした手が透けている。あぁやっぱり透けている。私は、どうしてしまったのだろう。  ピタリと止まった彼女の足。振り返る彼女の顔。あぁ、私だ。 「もうやめようよ。こんなこと」  ぐしゃぐしゃな顔をして、ポロポロと涙を零すのは私が捨ててきた昔の私。 「ごめんなさい」 「ねぇ、なんでこんなことになってるの?」 「ごめん」 「ねぇ、生きててよ。私のこと捨ててまで生きようとしたのに、どうして死のうとするの」  その言葉でふと気づく。私は死のうとしていて、まだ死ねてなかったのか。  どうして、なんて質問には答えがない。いや、もしかしたらあるのかもしれない。どうしてなんだろうか自分自身でもよくわからない。 「夜になる前に帰ろうよ」  泣きじゃくる彼女を抱きしめれば、じんわりと今までを思い出す。これが、走馬灯なのかなぁ。お母さんお父さん、どうして私は愛してもらえなかったの。でも、私も私自身を愛してあげれなかった。愛せず捨ててしまったのが、この子だ。 「生きてよ」  切実な彼女の一言に息を呑む。それでも、この子の思いを汲み取れば出せる答えは一つしかない。 「生きるよ」  疑い深そうにぐしゃぐしゃの顔で私を見つめる。何回も捨ててきた。辛いことがあるたびに私は、私を捨ててきたのだ。信用ならないよな、そりゃあ。 「本当に?」 「本当に」  何回も捨てて、何回もやり直してきた。ここからだってやり直せる。たぶん。 「もう死のうとしない?」 「約束はできないなぁ」  正直な気持ちだ。私は、強くない。色々な物を手放して、生まれたての小鹿のように震えた足でなんとか立ってるくらいだ。どこまで、頑張れることやら。 「約束してよぅ」  か細い消え失せそうな声に私の涙までつられて出てきそうになる。 「ごめんね。出来る限りは、がんばるよ」 「頑張らなくていいから、生きてよ」  頑張らなくていいの? 本当に? 今まで頑張ってきたのに? 「世間に馴染もうと頑張らなくていいよ。苦しいことと向き合おうと頑張らなくていいよ。何も頑張らなくていいから、生きてよ」  あぁ、私は頑張り疲れていたんだなぁ。ふと、肩の力が抜けてポロポロと涙が土に染み込んでいく。へたり込むように地面へと体が引っ張られる。 「ごめんね」  ぽつりと出た言葉は、普通な言葉でそれでも彼女はぐしゃぐしゃの顔を少しだけ微笑みへと変える。 「生きてくれれば、なんだっていいんだよ」 「うん。生きるよ」  決意のような言葉に彼女の涙も私の涙もピタリと止まる。 「私も一緒にいきたいなぁ」  彼女の言葉に涙がまたこぼれそうになる。私自身を愛せずに捨ててきたのは私だ。私が、私を苦しめていた。わかっている。  力強く、それでも優しく抱きしめれば彼女と私は溶け合う。 「うん、ずっと抱きしめてるから一緒に生きよう」  いつのまにか夕日は沈み切っていて、あたり一面真っ暗になっていた。あれほど怖かった夜が、今はきれいに見える。空にはきれいな星が輝いていた。
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