2話

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 その後、午後十一時に酔っ払いおっさんズは帰っていって、店は俺と野瀬だけになった。ビールから日本酒に切り替えた野瀬がチビチビと飲む。カウンターを挟んで正面に俺も座って、ビールを飲み込んだ。 「で、何の用だよ」 「飲みに来たんです」 「場違いだろうが。店間違ったくらい浮いてたぞ」  最初は、な。一時間もおっさん達と飲んでたら、いつの間にかこいつは馴染んだ。馴染めるようになったんだ。  その間にも常連な客が来て野瀬に驚いて、三十分くらい飲んで食べて梯子しにいく。そいつらとも野瀬は楽しそうにしていた。 「けっこう、人くるんですね」 「ん? あぁ、まぁな。殆ど近所の常連だ」 「……人がまったく来ないなら、俺の店とか誘ったのに。これじゃ、誘えません」 「…………」  なるほど、閑古鳥が鳴いてりゃ手元にと思ったのか。だがおあいにく様、これでもそれなりに売り上げはある。派手な事はしないが、地道に毎日頑張ってるわけよ。 「畑さんの人タラシ」 「人聞きの悪い言い方するなや」  拗ねたガキみたいな事を言う。溜息をついて切り返す俺はビールを飲み込んで、奥へと行って戻ってきた。手にはあの封筒だ。 「ほい、忘れ物。ドアの修理費だけ貰ったからな」 「全部あげます。そのつもりで置いていきました」 「貰えるかよ、こんな大金」 「……今日の売り上げ」 「売り上げてねーのにんな大金貰えるか! 実績伴う金しか受け取れない!」 「じゃあ、その分食います」 「おーい、現実見ろ? 無理だろ?」  こいつ、滅茶苦茶な事を言うようになったな。 「……」  封筒の中はまだぎっちり札束。でもこのままじゃ野瀬も引き下がらない。本当に面倒くさい頑固野郎だ。  考えて、俺はあいつの前で中から二万だけ抜き取り、暖簾を下ろして鍵をかけた。そしてどっかりとアイツの前に座って、日本酒の瓶を置いて残った料理を盛り付けた。 「お前の金で俺も食わせて貰う。お代は貰ったから、後は返す」 「いや、でも……」 「これ以上は譲らん! いいから食え、飲め」  空のグラスに酒を注いで、俺も飲む。野瀬は黙ってそれを受け取って飲み込んで、料理を口に運んだ。  野瀬は口数少なく飲んだ。そうして少し酔いが回る頃、俺をジトリと睨んだ。 「どうして畑さんは俺をなじらないんだ」 「あ?」  そりゃ一体、どういう意味だっての。訳が分からん。大体、俺はこいつを恨んでないし憎んでもいない。それでなじれって、どういう意味だ。それともこいつは俺を女王様かなんかと間違ってるのか。 「俺のせいで、人生棒に振ってるじゃないか。昔はいいスーツ着て、舎弟何人も連れて、若頭やオヤジと一緒にやってたのに」  確かに、そんな時代もあった。学のない俺だったが、オヤジ達は気に入って良くしてくれた。曰く、「お前は人当たりが良くて面倒見がいい」とのこと。将来は幹部の端っこくらいには置こうか、なんて酒の席の冗談もあった。  でも、今にして思えば俺にはそんな器はない。過剰評価だと思っている。もしくは冗談だ。 「そっちが幻影だろう」 「……俺も、畑さんはもっと上に行けると思ってた。腕っ節も強くて、面倒見がよくて、器用で」 「はいはい、お前酔ってるから」 「俺が、殴り殺したんすよ。シマに入ってきたチンピラに加減できなくて、止まんなくて……本当なら俺が」 「止めろよ、済んだ話は」  ちびりと飲む俺の前で、野瀬はだらしなくカウンターに伏せている。眠いんじゃない、愚痴り顔を見せたくないというこいつのプライドみたいなもんだ。愚痴ってる事に変わりないってのに。 「アンタが行くまで手を出すなって、言われてたのに。安い挑発に乗った挙句」 「事故でもあるって。殴って倒れて打った所が悪かった。三流シナリオみたいなオチだろ」 「それでもアンタが尻拭いして捕まる必要はなかっただろ!」  ドンとカウンターを叩く拳。ガタンと揺れた食器。それでも野瀬は顔を上げない。 「もっと下がいたでしょうよ……」 「現場を知ってる方が辻褄合わせやすい」 「……俺の親父が何かしました?」 「若頭はなんもしてねぇよ」 「マジか……俺、何かしたと思ってぶん殴った」 「おま! 命知らずか!」 「ボッコボコにされて部屋にぶち込まれました」  カラカラと自棄クソに笑う野瀬に、俺は「笑えねぇ……」と呆れる。ここの親子喧嘩は一般家庭のそれとは違うだろう。見たかねぇ。  野瀬のコップに酒を注ぎ足す。それに気づいて僅かに顔を上げた野瀬の頬は上気していて、目は僅かにトロッとしている。匂い立つような色気ってものは男にもあって、おそらく今のこいつがそれなんだと感じた。 「……沙也佳さんとも、別れたんですよね」 「…………あぁ」  その名は、正直まだ少し痛い部分だった。  俺には、妻と呼べる相手がいた。内縁で、籍は入れてないが二十代で一緒になって、娘もいた。お互いちょっと世間からはみ出して、知り合って、意気投合した仲だった。  ガチャガチャした女性だったが、結婚したら不思議と落ち着いて、娘ができたら母親になった。それを、俺は不思議に思って見ていたんだ。  でも、捕まるって時に持ってる金を全部渡して別れた。冷静に、考えちまった。職業だけで苦労かけてるのに、更に前科持ち。そんな俺についてきて、この後沙也佳も娘も幸せになれるのかって。事件で逆恨みした奴が襲うかもしれない。事件を嗅ぎつけたマスコミとかが騒ぐかもしれない。そう考えたら「待っててくれ」なんて、言えなかった。  俺から別れを告げた時、沙也佳はグッと拳を握って……凄く時間を掛けて頷いた。でもあの目は、俺を恨んだみたいに鋭かった。  『ヘタレ』と、出て行く俺の背中に呟かれた言葉。俺はそれに、返す事ができなかった。 「……やっぱこの金、置いていきます」 「あ?」 「ってか、足りないんでこっちも置いて行きます」  懐からまた新しい封筒。厚みからいって昨日と同額くらいある。 「いらねぇ」 「何でです。俺のせいで貴方、十年棒に振ったでしょ。大事なもの全部手放して、残ったのがこの店って」 「バカにするのかよ」 「……俺、ずっと後悔してたんだよ。なんで兄貴ばっか……」  クシャリと握られた封筒。「クソ」と呟く野瀬の声。澄ました仮面が剥がれたこいつは、けっこう知ってる顔をする。 「別に、十年棒に振ったなんて思ってねぇよ」 「……え?」  俺の言葉を信じてないのか、野瀬は訝しげに眉を寄せる。でも俺は本心から、そう言えるのだ。 「両親と折り合い悪くて高校中退した俺は、学がない。器用にしてたって、金を稼ぐ知恵はない」  今のヤクザは金が稼げなきゃ成り立たない。弱い奴を狙った犯罪も横行しているが、うちの組はそれを嫌う。言えない事もあるだろうが、真っ当にも稼いでるはずだ。  でも俺は古いタイプで、知恵はない。今の時代から置いて行かれている。そう、最近はひしひしと感じる。 「ムショにいる間、けっこう勉強した。今の高校生って、随分難しい勉強してんのな」 「え? いや……」 「それに、更生プログラムで手に職つけられるようにって、色々やった。お陰で調理師の免許も取れて、今はこうしていられる。出てきて二年、細々とだけど生活して、ガクさん達みたいな知り合いも出来た。そんな、悪くなかったよ」  手放したものは多かった。でも、新しく手にしたものも多い。だから、棒になんて振ってはいない。無理してしがみつくよりも、今の気ままな生活の方が俺には合っていると思うんだ。  野瀬は納得していない顔をしている。でも、目の前の焼き鳥にかぶりついて、一言「うま」と呟いた。 「……俺、また来てもいいですか?」 「まぁ、客としてなら。あっ、高いスーツ着てくるなよ」 「仕事上がりなんでそれは無理」  こいつ、仕事上がりかよ……。 「……貴方の邪魔、しませんから。今の生活壊そうとか、秘密をばらそうとか、しませんから。だからもう少し、いてもいいですか?」  泣きそうな声と顔で言われたら、俺はどうすりゃいいわけよ。ダメって言ったらお前、そのツラどうなんの。  結局は絆されるんだろうと思う。強引に来られると流される。甘っちょろくて、お手軽で。特に昔の知り合いとか、関わりたくないと思っていたのにいざこうなると懐かしくて……ちょっと可愛くもあって、許してしまうんだ。 「約束、守れよ」 「はい」 「あと、バカみたいな金置いてくのやめてくれ」 「融資ってことで」 「無利子、無担保、無制限、無期限なんて、お前の商売じゃないだろうが」  そして返そうとすると受け取らないんだ。そういうのは融資って言わないで、譲渡っていうんだぞ。  野瀬はクツクツと笑って、だらしなくカウンターに潰れる。このまま寝てしまいそうなこいつの肩を、俺は慌てて叩いた。 「おい、起きろよ! 俺じゃお前を運べないっての」 「ここでいいです」 「いいわけあるか! 連絡先!」 「ここで寝ます」 「頼むから人の話を聞けっての……スマホ!」 「捨てました」 「バカか!!」  どうしても出す気はないようだ。  溜息一つ。俺はカウンターから出て野瀬の脇に腕を入れて担ぎ上げる。正直運動不足な四十代には腰にくる。が、まだ意識のあるうちじゃないとどうにもならない。幸い明日は定休日だ。  担いでどうにか狭い急階段を登って、布団に転がす。高そうなジャケットは脱がせて、ネクタイは緩めて。  背中を少し丸めて眠そうにするこいつは……ちょっと幼く見えた。 「ったく、なんなんだよ……」  刺激なんてない、お決まりな毎日。繰り返すだけの日常。の、はずだったのに。野瀬の出現ですっかりしっちゃかめっちゃかで調子が狂う。  でも、なんでだろうな? 懐かしくて、ほんの少し楽しい俺も確かにいるんだよ。  寝息が整ってきたのを見て、俺は後片付けに下に降りていった。
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