3話

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3話

 野瀬が店に来るようになって二週間くらいが過ぎた。居酒屋メニューにサツマイモの煮物と栗ご飯が加わった。 「京くん、ひやおろし入ってるってよ!」 「あっ、本当ですか? 畑さん、俺それで」 「はいはい」  すっかり常連おっさんズと仲良しになった野瀬は、席も四人並んでが多くなった。そして、俺の言うことを少し聞くようになった。  「スーツで来るな」と言ってから、仕事帰りはしかたないが余裕があれば私服でくる。今日もジーンズに白のVネックニットにジャケットというスタイルでいる。シンプルなのにやたらと決まっているのは、おそらく肉体的なものなんだろう。なんだあの胸筋、引き締まってやがる。多分腹筋も割れてるんだろう。  俺も多少鍛えてはいる。だが、健康と体力維持が目的だからボディラインとかは二の次だ。 「はい、ひやおろしと銀杏。野瀬は鯖の紀州煮」 「よ! 待ってました!」 「有り難うございます、畑さん」  四人分の酒と銀杏、野瀬は鯖の紀州煮も。綺麗な仕草で梅と生姜で煮込んだ鯖をつつき、口に運んでほんの少し笑う。その顔を見たいがために、俺は最近更にレパートリーを増やした。 「最近畑くんの料理が美味しくなったな」 「なんだよリョウさん、今までが不味いみたいだろ」  先に出していただし巻き卵をつつきながらリョウさんが感心したように言う。俺が返すと、彼はもの凄く慌てて否定した。 「いや、前も美味かったって!」 「あー、でも確かに前より美味いよな」  ガクさんまでそんな事を言い出すから俺はドキドキだ。まさか、野瀬が食ってくれるようになって改良したりし始めたなんて言えない。  が、これに気づいているおっさんもいるわけだ。 「京くんが来るようになったからだろ?」 「え?」  たっちゃんがクピリと飲みながら言うものだから、野瀬は驚いた顔をして、俺はぎくりと背中を向けた。 「お、確かに!」 「なんだ畑くん、後輩にいいとこ見せたかったのか?」 「うっせーなぁ」  あぁ、そうだよ! 恥ずかしいから止めてくれ。  チラリと背中越しに見た野瀬の頬はほんの少し赤い気がする。黙って、でも意識はしている。そういうこいつの顔を見ると、酷く落ち着かなくなるんだ。 「ちなみに京くんは、何が好きなんだ?」  ガクさんが茶化すように聞く事に、俺はひっそり聞き耳を立てる。ちょっと知りたいと思っていた。  野瀬は少し考えてから、何故か恥ずかしそうに笑った。 「ハンバーグとか、オムライスですかね」 「お! 意外だね」 「親父が和食派で、実家じゃ和食ばかりだったんで。洋食とかイタリアンに憧れみたいなものがあるというか」  そういえばそうだった。若頭はとにかく和食が好きだったし、オヤジも年齢的にそっち派だ。俺もそういう流れがあったから和食を作っていた。  でも……そうか。子供ならハンバーグとか、オムライスとか、そういうの好きだよな。子供の時にあまり食べられないと、この年でも憧れ込みの好物になるのか。 「あっ、でも口に合うのは和食なんですよ。畑さんの煮物、俺好きですよ」 「あぁ、うん。……今度ハンバーグ、作ってやるな」 「本当ですか! 楽しみにしてます」 「っ」  子供みたいな嬉しそうな顔のあと、トロッと蕩けるような笑み。そういう隙のある顔を見ると、何故か俺は落ち着かなくてたまらないんだ。  こんな感じでわりとのんびり、平和な時間が深まった夜の九時過ぎ。突如乱暴に店の戸が開いて、人相の悪い二人組が入ってきた。  明らかに客という様子ではない。一人はあまり背が高くなく痩せ型で、インテリ気取った感じがある。まぁ、気取ってるだけで本物が目の前だ、迫力も器も小さい。  もう一人は体がデカくて、何か格闘技でもしていた感じの筋肉の付き方だ。腕も太いが首も太い。  そいつらは狭い店内に入ってくると、おっさんズと野瀬を睨み付けてゲスな笑みを浮かべた。 「いらっしゃい」 「客じゃないんですよ、おじさん」  途端、野瀬の空気が明らかにピリついた。入って来た段階ではまだ様子見だったのか静かだったのに、一気にスイッチ入れやがった。  俺だってこいつらが客じゃないのは分かってる。要求だって想定済みだ。だが予想がつかないのがお前なんだよ野瀬。頼むから静かにしていてくれ。 「じゃあ、何の用で?」 「俺らのシマで商売してる店をね、回らせてもらってるんだわ」 「……裏、行きましょうか」 「おい、畑くん!」  驚いたようにたっちゃんが止めようと声を上げたが、直ぐ後で背の高い男が睨むと黙った。野瀬は動かないが、不穏な空気は更に濃くなっている。ここで話をするとこいつが何をするかわかりゃしない。  カウンターを出ると、背の低い男がニヤリと笑う。そして素直に表に出てくれた。  流石に飲み屋街の店の前は目立ちすぎる。俺としては静かな方がいい。店の裏側は細い路地で人通りもまばらだ。そっちに促すと、奴らもこれ幸いという顔をする。  こりゃ、多少の痛みは我慢だろうな。  裏路地は点々と薄暗い街灯があるだけで暗い。人の通りもなかった。 「言っとくけど、金はないぞ」  俺は先制パンチと言わんばかりに言った。そして哀しい事にもの凄く事実だ。 「客入ってるだろうが、おっさんよぉ」 「お前ら店の単価見たか? 場末の常連だけのボロ居酒屋だぞ。高くても七百円程度だよ。ギリだ」  商売っ気がないと言われる。誰を雇ってるわけでもない、俺一人の店だから価格設定だって低い。そのお陰か常連さんが入れ替わり立ち替わりきてくれる。安く楽しく飲んで、それが俺も心地いい。 「大体、アンタ等に払う金があったらこのぼろ家なんとかしてるだろ」  言っちゃなんだが、地震に耐えきれる気がしねぇ。  男達は建物を見て言葉をなくした。そして、金がないことは理解したっぽかった。うるせぇ、放っといてくれ。  だが、今度は違うものを要求しだした。 「人のシマで商売してんだ、タダって訳がねぇだろ」 「出せる物なんてないって」 「ここ、立地がいいよなぁ」 「……あぁ?」  思わずドスの利いた低い声が出た。下から睨み付けた俺に背の低い男は多少怯んだみたいだが、それでも下がらなかった。 「金がないなら借りて払えって話だよおっさん。いいとこ紹介してやるって。担保なら、この建物と土地の権利書あるだろ」 「どうして俺がそこまでしなきゃいけない」 「だから……」 「みかじめ料、今は警察も五月蠅いんだよな」 「!」  低い俺の声に、男達はようやく顔色を変えた。怒りを見せる表情に、俺はニヤリと笑う。 「これは立派な恫喝と恐喝だ。警察、呼ぼうか?」 「ふざけんなよ!」  背の低い男が怒鳴り、デカい方の男がすかさず前に出て俺の肩を掴む。そして挨拶と言わんばかりに腹に一発膝を入れてきた。 「っ!」  久々に痛いかもしれない。いや、分かってたから力は入れていたがちょい気持ち悪い。そして案外バカでもない。これで顔でも殴ってくれりゃ、直ぐにでも警察にかけこんだってのに。  地面に転がされた俺のズボンからスマホを取り出した男が地面に叩きつけ、更に踏みつけて画面を粉砕した。見事な蜘蛛の巣を見て、俺はちょっと哀しい。古かったし、ガタもきてたけれど、もう少し使えたってのに。  ついでに財布も引っこ抜いて、中に入ってた二万を抜いて罵声を浴びせて去って行く。姿が見えなくなったのを確かめて、俺は体を起こした。 「あーぁ、俺のスマホと小遣い」  まぁ、これで今夜は穏便だ。ちょっと暴れて、小さいが報酬も得て、面子も保てただろう。こういうことをして連日はこないだろうから、その間に警察さんに連絡だな。 「いっ……つぅ……」  腹はまぁ、予想の範囲内だ。だが意外に腰だ。乱暴に地面に転がされた時に打ったんだろう。  さて、早く店に戻らないと。立ち上がった俺はふと、凍てつくような殺気を感じて固まった。目線を向けると影になった場所に野瀬がいる。眼鏡の奥の瞳は冷たく据わっている。  焦った。こいつを止めるのはあんなチンピラどうにかするより面倒くさい。腰が痛いがアイツが立ち去るよりも前に捕まえて言わなきゃいけない。背を向けた野瀬を追いかけ、俺はどうにか腕を掴んだ。 「余計な事をするな、野瀬!」  押し殺しながらも強く言うと、冷め切った目がこちらを見下ろす。随分頭にきてる目はちょっと怯むが、止められなけりゃ大変な事になりかねない。 「余計な事って、なんです?」 「お前、あいつらに何かする気じゃないのかってことだ!」 「あぁ」  あぁって……虫けら見る目をするんじゃない!  正直、冷や汗が出る。昔ならいざ知らず、現役じゃない俺が力業でこいつをなんて勝てやしない。勘弁してくれよ、マジで。 「お前、分かってるのか。お前が他所の組の奴らに手を出したら、あっちだって黙ってないんだぞ。最悪組を巻き込んでの殴り合いだ」 「……貴方に手を出したんですよ。俺が、許すと思いますか?」 「俺は堅気だから警察だって動いてくれる!」 「元構成員の言う事を警察が真っ当に受け取るんですか! 過去の因縁だとかなんとか疑って、ろくに見回りもしない。貴方に何かあっても適当にこじつけて終わるんですよ!」 「だとしても手を出すな!!」  畜生、腹も痛いってのに大声ださせるなよ。ちょっと、気持ち悪いんだっての。  野瀬の腕を縋るように掴んだ俺は、下から睨み付けたままで続けた。 「俺が動くのと、お前が動くのとは訳が違うだろ。お前、もう下に人つけてるんだろ? そいつらも巻き込むんだぞ。店の姉ちゃんに手を出されたら? それこそ信頼がた落ちだ。商売とか、ちゃんと考えないといけないんだよ」 「……気が収まりません」 「お前……あの事件を繰り返す気か!」 「っ!」  言わないようにと、最後まで我慢してた。こいつの中でトラウマになってるのが分かったから。でも、言わなきゃ止まらないとも思った。  思惑通り、野瀬は止まった。凍り付いた顔で。 「あの手はきっと、他の店でもやってる。今はこういうの、五月蠅いから。俺だけなら動かなくても、他にも影響あれば警察は動く。ガクさん達も男等見てる。だから、お前は動くっ」  腰、痛い。腹も微妙に気持ち悪いのに無理に立ち上がって走って……俺の体は自然と前に折れていく。野瀬が慌てて支えてくれたけれど、地面に手をついて吐いていた。 「病院!」 「っ」  いや、その前にやる事あるから。 「とりあえず、店……」 「ガクさん達にはこんな状態だから帰るように言って、見送った。暖簾も降ろしてきたから」 「鍵」 「出して、俺がかける」  俺のポケットから鍵を取り出し表に走りながらタクシーを呼ぶ野瀬に任せて、俺は情けなくその場から動けなかった。
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