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4話
野瀬がこなくなって、また二週間くらいが経った。
町内会長は警察に相談はしたが、あの夜以降奴らが現れないから現状放置。それどころか、この界隈でみかじめ料を取ろうという輩はいなくなった。結局全体の被害は他店でワインが数本、グラスがいくつか、椅子が数脚。そして俺のスマホと現金二万円だけだった。
野瀬が手を回したとしか思えない。でも、そのわりには静かだ。オヤジがもみ消したにしても、あんまりにも何もない。
昼起きて、俺はずっとスマホを見ている。野瀬の番号は知らないが、オヤジの番号はしっかり残っている。「何かあったら連絡しろ」と言われ、保険みたいに残していたやつだ。
気になって仕事にならない。どうにも気持ちが悪い。
考えて、俺は番号をタップした。考えたって答えなんてでないなら、そしてうやむやに出来ないなら、早めに確かめる方がいいんだろう。
それでも、五回コールで出なかったらやめよう。そのくらいにはヘタレだ。
だが、三コールで相手は出てしまった。
『おう、久しぶりだな畑』
「ご無沙汰してます、オヤジ」
電話の向こうの声は相変わらず元気そうで、落ち着いているのに気力に溢れている。俺の方が余程よれよれだ。
『なんだ、戻ってきたくなったか?』
「まさか。現役離れて何年になると思ってるんですか。四十も過ぎてやれませんよ」
『育てて欲しい奴もいるんだがな』
「勘弁して下さいって」
お互いに前置きにとこんな会話をする。でもこれ、いつ切っていいんだ? そしてオヤジ、案外本気っぽいのが怖い。
『で、京一の事か?』
「…………はい」
頃合いを見て、オヤジから声がかかった。ってことはやっぱり何かやらかしたんだろう。俺は自然と背筋を伸ばしていた。
「あいつ、どうしてます?」
『自分の仕事してるよ』
「……俺がボコられて、あいつ相手の組になんかしてませんか?」
言いづらい。が、言わないと意味がない。俺の問いかけに、オヤジは溜息をついた。
『心配すんな』
「それじゃ心配でしょ。あいつ、しつこかったのにあれ以来来てないんすよ」
『あぁ。実はな、お前をボコったのは最近ウチの傘下に入った奴らなんだ』
「はぁ?」
申し訳なさそうなオヤジの言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を出す。
だが、少し冷静になれば分かる事だ。この家は元々、オヤジの叔父さんって人が一人で切り盛りしていた店だった。そういうのって普通は、自分のシマに置くだろう。他のシマで商売するとなれば結構面倒だし。
「え、じゃあ……」
『野瀬がシメたが、内輪の話だからな』
「あいつらの上の奴はなんて?」
『指示はしてない』
「なんだそれ」
随分いい加減な解答だ。多分だが、好きにさせてたんだろう。下っ端が金欲しさに勝手にやった。だが上手くいくなら上前はねるつもり満々だ。
オヤジもそれを感じているんだろう。苦い声だった。
「殺ってませんよね?」
『その辺は心配するな。病院送りだが、喚くだけの元気はある』
「そう、ですか」
やっぱり、大人になったんだろうな。
でも、それならどうして顔を出さないんだ。
思って、俺はなんとも言えない気持ち悪さに胸焼けする。顔を、見たいと思っている。迷惑だとか言ってたのに。
『……京一な、お前をずっと待ってたんだぞ』
「……」
そんなの、分かってる。あいつがきて、分かった。
『お前がしょっ引かれて、荒れてな。プライドの高い奴が泣いて喚いて当たり散らして。ありゃ、見苦しいな』
「……っ」
そういう無様を、見せたくない奴だった。弱さとかを見せたくない奴がそんなに荒れるほど、俺に価値なんてあったのかよ。ただ面倒を見ただけだってのに。
『お前が帰ってきたら自分の所にちゃんとポジション作って、償いをしたいって言って頑張っててな。ガキみたいに、楽しみにしてたみたいだ』
「俺にそんな価値ないですよ。よれたおっさんですよ、今」
『言ってたな。小汚くなってたって』
「失礼な奴だな。まぁ、否定もしませんがね」
『それでも、中身は昔のままだってよ。世話焼きで、厄介事は全部自分で引き受けて、押しに弱くて、甘っちょろくて』
「あいつ!」
『迷惑なのに、捨てずにいてくれたってよ』
「っ!」
違う、俺がちゃんとしてないだけなんだ。俺の事を、お前の事を、棲み分けを考えたら俺は切らなきゃいけなかったのに、懐かしかったり、慕われるのが心地よかったりして、アイツが言わないのをいいことにズルズル関係続けたんだ。
『なぁ、畑よぉ』
「……はい」
『お前は過去を切ったつもりだろうがよ、過去ってのは完全には切れねぇもんなんだよ。お前が切っても、相手が切りたくないと思って捕まえたら、逃げらんねぇんだよ』
「……はい」
『でもな、そうして残ったものは大事なんじゃないのか?』
「っ」
『薄情な世の中だ。義理も人情も時代遅れな世の中さ。それでもな、本物もある。京一が必死になって掴んだお前との縁を、少しは信じて繋いでやってはくれねぇか? こっちに戻れなんて言わないからよぉ』
「……っ! でも俺、アイツの連絡先知らないんすよ。頻繁に会ってたはずなのに、俺はアイツがどこで仕事してて、どこに住んでるのかも知らないんです。俺は……」
あいつを、捕まえていなかった。
この年でする後悔ってのは、でかい。取り戻す時間が若い時に比べて少ない。しかもじじぃになると頭が硬くて頑固で、動き出しが鈍い。俺は掴みたくても、尻尾すら掴めないんだ。
『それなら、多分大丈夫だろう。そろそろ周囲が何かやるころだろうし』
「はぁ?」
何を意味しているのか分からない。俺が声を上げた時、下でチャイムの音がした。
「あっ、すいません。誰か来たみたいで」
『あぁ。本当に困ったらまた連絡しろ』
「すいません、抜けたのに」
『なに、気にするな。お前は今でも俺達のお気に入りだ』
笑って言ってくれる、オヤジの気持ちが嬉しかった。
尚も鳴るチャイムは野瀬が押しかけてきた時の事を思い出す。下に降りてドアを覗くと、デジャヴかって奴がキッチリと立っていた。そして多分、あいつの関係者だ。
細くて背の高い男は長い黒髪を真っ直ぐ下ろし、手には白い手袋を嵌め、その手に何やらお菓子っぽい箱を持っている。色が白く面長で、鼻筋が通った狐目の男はのぞき穴をジッと見ている。
「畑智則さんですね? 野瀬京一のお使いで参りました、鳥羽凌と申します」
腰からきっちり会釈をする相手は、やぱり堅気ではない。だが俺はもう、拒むつもりはなかった。
ドアを開けると、男は思ったよりも背が高い。野瀬と変わらないだろう。
「あぁ、良かったご在宅で。少しお時間を頂きたいのですが」
「あぁ、構わない。上がってくれ」
「お邪魔致します。あぁ、こちらお口に合えば良いのですが」
差し出されたお菓子の箱はお高いデパ地下のシュークリーム。今の俺には高級品だ。
「あっ、上げ底とかないのでご安心を」
「んな心配してねーよ!」
野瀬か! アイツならやるな! 結局何だかんだと大金を俺の家に忘れていくからな! アイツの忘れた現金二百万、預かりっぱなしだぞ!
「……あー、アイツの忘れ物引き取ってくれないか?」
「二百万ですか? 貴方に差し上げると言っておりましたし、予定では後……」
「後ってなんだ! いらねぇよ! 第一、こんな大金どう処理すんだよ! 確定申告が怖いぞ!」
「おや、税金対策が大変でしたらこちらで処理いたしましょうか?」
「俺は堅気になったの!」
こいつらことごとく俺の言うことを聞かないな!
鳥羽は面白そうに笑っている。多分こいつは性格悪い。この反応を楽しんで遊んでやがる。
「お困りでしたらお預かりいたします」
「あぁ、助かる」
「でも、綺麗なお金ですよ? もったいない」
「俺の店で小汚ぇ金使ったらぶん殴るぞ」
「おや、口の悪い。平気ですよ」
クスクス笑う鳥羽に、俺はドッと疲れた。
鳥羽を上に上げて、シュークリームを皿に乗せてお茶を出した。お茶って言ってもペットボトルだが。
それにしても、野瀬といいこいつといい、俺の部屋にマッチしないな。
鳥羽の正面に座った俺は早速、鳥羽に視線を向けた。
「野瀬は、その……元気か?」
「は? 気持ち悪い事を聞きますね。そんなに余所余所しい感じなんですか?」
「あぁ、いや……そう、だな」
こいつ、口悪くないか? というか、性格悪くないか? え、何かした俺? 記憶違いじゃなければ初対面なんだが。
だが、鳥羽は表情が崩れないままで俺に胡散臭い笑みを浮かべた。
「生きてますよ」
「え? あぁ、そりゃ」
「三十分に一回以上は溜息をつくウザい感じなんで、いっそ息の根止めてもらえないかと最近思い始めてはおりますが」
「え!」
「ウザいんですよね、辛気くさくて。それにあの方、面倒くさいんですよ。自分で『会わない』と枷を嵌めただけで、誰も『会いにくるな』とは言っていないのに律儀に頑固に守っていて。それで苦しんで不幸そうな顔をするのです。ね? 顔面はっ倒したくなるでしょ?」
すっごくいい笑顔で言いやがる。こいつ、ヤバい奴か?
でも……酷く胸が痛むのは俺が絆された甘ちゃんだからだろうか。これで「会いたい」なんて、どこの恋する純情乙女だ。そんなもの、とっくの昔に捨てたってのに。
「貴方に止められたのに、言いつけ守らず雑魚を半殺しにしたのを気に病んでいるんですよ。あぁ、違いますね。怒られるのが怖いガキ状態です。かっこ悪くてたまりません」
「さっき、オヤジに聞いた。そっちの傘下だったんだろ?」
「えぇ。シメたのも許可とっての事ですし、むこうのボスにも警告出しての事です。なので、これも仕事でした」
「それなら……」
「貴方との約束を破った。あの人にとってそれは、何よりも怖い事なんでしょうね。その結果、貴方が身代わりに捕まったので」
ズキリと胸が痛む。そんなに、あれはアイツのトラウマなのか。
あの日、他所の奴らが入り込んで好き勝手をしていると連絡を貰った。俺はその時違うトラブルに対応していて、手が空いている野瀬に出て貰った。様子を見ろと、指示をした。
が、俺が急いで処理して行った時、その場に立っていたのは野瀬だけ。複数いた奴らは全員地面に転がって、そのうちの一人が死んでいた。
状況はすぐに分かった。面倒見切れなかった俺の責任だ。この時あいつはまだ若くて将来は約束されている。経歴に傷を付けるわけにはいかない。そう、思って動いた。
アイツは、あの出来事をどれだけ後悔していたんだ。俺が、アイツを傷つけたのか。
「野瀬に、会いたいんだが」
「おや、話が早い。そのつもりでお話をさせてもらっています」
「じゃあ」
「あっ、でもちゃんと場所を整えてが宜しいので、明日。定休日ですよね?」
「あぁ」
場所を整える? どこか店に呼び出すってことか。確かにここに呼んだところで来ないだろう。それなら誰とは言わずに店で待ち合わせの方が上手くいく。鳥羽は参謀でその辺の調整もしているだろうから、仕事っぽい感じで自然にやれるだろう。
「じゃあ、それで」
「畏まりました」
丁寧に頭を下げた鳥羽は用事は済んだとばかりに立ち上がる。そしてさっさと帰っていった。残されたのは痕跡のみ。一瞬封筒が置かれていないかと警戒したが、それはなかった。
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