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恋のはじまり
「行ってきます」
同じ時間帯に仕事に出掛ける父親にそう声を掛け玄関のドアを開ける。
通勤ラッシュを避けるため朝早く家を出ているのだが、冬のこの時間外はまだ暗く、駅までの道程は人通りが殆ど無い。
しかし、会社へ着く頃には日が昇りいつもと同じ日常が始まる。
ロッカールームに荷物を置き着替えを済ませ自席のあるフロアに入るが、この時間はまだ所々しか電気が点いておらず薄暗い。
取り敢えずメールチェックするか…
自席のパソコンの電源を入れ、毎朝つい飲んでしまうコーヒーを買うため自販機へ向かうと、エレベーターホールで見慣れた後ろ姿を見つけた。
「あ…先輩。おはようございます」
「あぁおはよう。お前いつも早いなお疲れさん」
振り返りつつ挨拶をした人は自販機に小銭を滑り込ませている。
「珍しいですねこんな早い時間に…何かあったんですか?」
「ん~まぁな~」
軽く欠伸をして返事をしながら購入ボタンを押す。
朝が苦手なのか会議など重要な予定がない限りは『こんにちは』に切り替わる頃にやってくる人が、こんなに早く来ているということは何か問題でも起きたのだろうか。
「眠そうですね…」
「まぁこれだけ朝早いとな…お前もコーヒーか?」
まさか……
「はい…そうですけど…」
この流れに心当たりがありすぎて思わず複雑な表情を浮かべてしまったが、相手は特に気にした様子もなく出来上がったコーヒーを取り出し、再び小銭を自販機へ滑り込ませている。
「お前にちょっと話があんだよ」
で…でたー!!いつものやつか…!!
購入を促すランプが点灯すると相手は押せと言わんばかりの視線を向けてくる。
「――ありがとうございます」
『奢られる』=『なにか面倒なことに巻き込まれる』が定説のようになっているこの一連の流れに、思わずため息が漏れそうになるのを堪えつつも有難くコーヒーをいただくことにした。
「で…話って何です?」
出来上がりを告げる音が鳴り響く自販機からカップを取り出し尋ねる。
「まぁそう焦るな。今時間あるか?」
「取り敢えずメールをチェックしようと思ってただけなんで…」
そう返事をして後ろについて自席へ向かい歩き始めるが、フロアの中央通路をしばらく進んだところで前を歩く人が足を止めた。
「じゃあ…ここで話すか」
通路から数歩離れた場所には電気が消えドアが開放された会議室が見える。
所属している部署の近くには予約制の会議室が2つあるが、8時までは使用されていなければ予約なしで利用が可能だ。
それ以外にもフロアには点々と会議ブースが設けられているのだが、わざわざ会議室で話すということは他の人間には聞かれたくない話なのだろう。
先輩は会議室の中に誰もいないのを確認すると一番奥の席に座りコーヒーで暖を取り始めた。
二人で話すのに離れた場所に座るのもおかしいよな…
コーヒーを机に置き隣に座り、メモを取るべく胸元へ手を動かしたところで声を掛けられた。
「メモを取るような話じゃないから出さなくていい。お前の気持ちを聞きたいだけだから」
なんだその意味深な言い回しは…
発せられた言葉に考えられる要因を探り始める。だが最近の業務で問題を起こした記憶も無いし、私生活においてもそれは同様である。
「お~い大丈夫かぁ~?」
声を掛けられハッと意識を戻すと、目の前で手がヒラヒラと揺れていることに気がついた。
「す…すみません」
俺の謝罪の言葉を聞いた相手はと言えば、お前聞く気あるのかよと言わんばかりの表情をしている。
「どうせお前のことだからアレだろ。何かしでかしたか?とか思ったんだろ」
なんでそういうところは鋭いんだよ…
図星を指され気不味いなと思ったが、隣に座る人は満足げな表情をしたと思ったら声を立てて笑い出した。
「すまんすまん。お前らしいなと思って」
「すまんと思うなら笑わないでくださいよ」
誂われたことに思わず悪態を吐いてしまったが相手はそんな態度を気にする様子も無い。
「お前可愛くないな~…まぁ見た目も可愛くないけど」
可愛いなんて思われたく無いんですけど…
「さて…一日のお楽しみ時間を終えたところで本題といこうか。岡野君」
「そんなところで楽しまないでくださいよ」
思わず口に出してしまったが毎回重要な話だろうが誂うところから始まるのはどうにかして欲しい。スキンシップのつもりなのだろうが、付き合わされるこっちの身にもなって欲しい。
「まぁいいじゃないか。そうでもせんとやってられん」
珍しいな先輩の口からそんな言葉が出るなんて。今まで泣き言というか文句はあまり聞いた事がない。今から話す本題と何か関係があるのだろうか。
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