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爺さんは台所にそろそろと近寄る。
視線は婆さんに向けたままだ。
「こんなに大きな桃があるはずないだろう。きっと別の果物だよ」
婆さんはそうかしら、と首をかしげる。
「でも、味は桃なんですよ。爺さんも食べてみれば分かります。手掴みが嫌なら、今切ってあげますよ」
てらてらと濡れた手から汁が滴り落ちる。
爺さんの鼻を芳しい匂いがかすめ、くらりと目まいがした。
意識が遠のきそうになるのを、頭を振って追い払う。
爺さんが台所に置いてあった鉈をつかむのと、桃から何かが突き出たのは同時だった。
桃から現れたのは人の腕だった。
「婆さん退け! その桃は儂が斬るッ」
婆さんも腕に気付き悲鳴をあげて尻もちをつく。爺さんが鉈を振り下ろす一瞬前、桃から何かが突き破って出てきた。
果肉をぶちまけながら飛び出したものは、大振りの鉈をかわし上がり框に降り立つ。
裸体に桃の肉片をへばりつかせ、ざんばら髪をしどとに濡らした男だった。
振り下ろした鉈を構え直し男をにらみつける。
「貴様、何者だ!」
爺さんの恫喝に怯むことなく、男はこめかみを伝ってきた汁を赤い舌で舐めとると、にいぃと口角を吊り上げた。
「俺は桃太郎。数多の屍の血を吸った桃の木の、その実に宿りし者なり。実が膨れるは亡者の怨念がこもるため。実に渦巻く恨み、憎しみ、悲しさ、絶望。それらが綯い混ぜとなって、この俺が生まれたのだ」
男ーー桃太郎は高らかに産声を上げた。
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