壱、

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 男の名を、源三郎と言うらしい。聞けば、黒町屋の妖狐太夫の友人との事。会わせてくれと仁が頭を下げれば、実は太夫と共に仁が走る様子を見ていたと言う。 「何事かと窓を覗けば、お前さんが変なモンに追われているじゃあねぇか」  其れで、助けに駆けつけてくれたらしい。  そうこうする内、源三郎の足が止まる。……先程通り過ぎた、「黒町屋」の看板。絢爛豪華な其の玄関を、客引きに挨拶一つで入り行く。話は嘘では無いらしい、仁も恐る恐る着いて行った。  二階へ上がり通されたは、質素な茶室。丁度、あの看板の真上にある部屋だ。源三郎が「帰ったぜ、」と声を掛ければ、其の向こうにて煙管を燻らす女がいた。 「嗚呼、助かったのかえ?其の男」  妙に低めの声。色香湛える眼は紅玉の如く、揺らす絹色の髪が美しい。促されるがままに彼女の前へ腰を下ろすと、ぐいと女が寄り、吐息と共に声が耳を擽った。 「……呪いの匂いがするのぉ」 「!」 「見ておったよ……あれは逢魔が時にのみ開く煉獄の扉じゃ。あの先に待つは鬼となった人ぞ。 ……お前さん、何をした?」  まるで全てを知るかの如き口振り。自分の罪をも知られている心待ちがし、震える声にて仁は答えた。 「母が、死にました」 「、」 「否、俺が殺めたんじゃあない。遊女を身請けする為に金を貯めていたら其の金を取り上げられ……あの女に近付くなと数日喚き続けた挙句、金を持って崖に身を投げたんだ」  俺はもう大人なのに……そう呟く仁に、女は「…成程、」と笑い零し、離れる。一口、煙管を咥えた後、其の視線は彼の後ろの男へと向いた。 「源、言うたな?お前さんが助けると。 真に誓うのじゃな?」  さすれば、源三郎も。 「嗚呼。乗りかかっちまったからな」 「良いのじゃな?」 「嗚呼」 「……なれば、」  すぅ…と、もう一口。紫煙が艶めかしく女に纏わり付き、ゆるり揺れて消えた。 「命掛けになるぞ。覚悟し遣れよ」  そう言った女の紅い眼が、しかし少しばかり面白そうに、つやりと煌めいた。
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