コイの季節 1 《晩秋》

1/1
前へ
/61ページ
次へ

コイの季節 1 《晩秋》

「バレーボール部の合宿は私には関係ないじゃん」  釣り雑誌を眺めながら、私、大磯遥は、気のない返事を返した。  現在私は、うちの店の「大磯釣具店」で、店番中。とはいえ、同じ高校の同級生でうちの常連の糸田亮のほかは客はおらず、暇をもてあましている。 「だから、合宿じゃないって。顧問の沼野先生の実家に行くだけだ」  いつになく、糸田が熱心な口調で続ける。 「それにしたって、バレー部のメンツで行くんでしょ? 女の子を呼びたいなら、女子のバレー部といけば?」  男子バレーボール部は、毎年、秋の連休に顧問の|沼野《ぬまの》先生の実家に出かけるらしい。  二泊三日のちょっとした旅行である。  先日、見事に地区予選を勝ち抜いたバレーボール部だったが、残念なことに県大会は準々決勝で敗退してしまった。今回、その慰労の意味もあるという。  私といえば、試合当日、応援に行く予定だったものの、高熱を出してドタキャンしてしまった。一緒に行くはずだった玲子には迷惑かけたし、糸田は試合後わざわざ見舞いをもってきてくれた。(ただし回復後、健康管理について説教された)  その合宿では、芋ほりやら、大根抜き、地元の秋祭りなど、とても楽しい体験ができるらしいが、バレー部には不義理をしたような気もするし、部外者である水泳部の私が参加するのはあまりにずうずうしい。  そりゃあ、男ばっかじゃ、ムサイだろうけど。 「それは無理。女子部のキャプテンの山梨と、うちの山倉が大ゲンカしてて、現在、交流禁止状態。誰も仲裁に入れない」  何やら複雑な事情があるらしい。 「女の子なら、マネージャーさんがいるじゃん。彼女が友達呼べば、それでいいんじゃない?」  至極当たり前な私の指摘に、糸田はふう、とため息をついた。 「正攻法じゃ、無理か……」  小さくそう呟いた。何かを諦めたかのように、糸田は首を振った。  そして、すっと、目を細める。嫌な予感がした。 「大きな沼があるんだ」  ぼそり、と呟く。 「沼?」 「ああ。先生の実家の裏に」  持って回った言い方。いかん。のせられしまいそうな気がする。 「デカい鯉がいる。面白いように釣れる」 「何で、それを先に言わないの!」  身を乗り出した私を糸田が笑った。 「行く?」 「もちろん」 「大磯は、ホント、単純だなあ」 まんまとのせられた私の頭を糸田がポンっと叩いた。 「道具は俺が貸してやるから、気楽にいこうぜ」  待ち合わせ場所の駅の時計前に、明らかに長身の男子たちがたむろっていた。 「おーい。こっちだ。大磯」  糸田が大声で手を振った。もともと声もデカいのに、長身の糸田が大きく手を振ると目立つことこの上ない。  やめてほしい。  思わずそのまま帰りたくなるくらい、恥ずかしい。  羞恥心に耐えながら、声の方に行くと、もうメンバーが集合しているらしかった。 「ごめんなさい。遅くなったみたいで」  謝りながら、周りを見渡す。ゴツい沼野先生がにこやかに笑っているそばに、バレー部の男子が五人。女子が私の他に三人いた。 「それじゃあ、紹介しとこう」  沼野先生が、口を開く。沼野先生は二十代後半。バレーボールの顧問だけあって、大きな体格をしている。体育会系だけあって、声がでかい。ゴツいけど、爽やか系で恐くはない。見ようによっては、ハンサムかもしれない。  しかし、こうして円陣? を組むと、合宿というよりまるで合コンみたいだ。こんな企画をして、沼野先生は教師として大丈夫なのだろうか。 「左から、キャプテンの神山(こうやま)、セッターの糸田、レシーバーの永沢、それとアタッカーの山倉。これが二年生。それで、唯一の一年の栗田(くりた)、サイドアタッカーだな」  ずらりと並んだ男子をいっきに紹介していく。 「それから、うちの女子マネの中野、ハンドボール部の白石(しらいし)。あれ、大磯はなんでそんなに荷物多いんだ?」 「先生、今、それをつっこみますか?」 「すまん。水泳部の大磯。以上が二年生。もう一人は、一年の手芸部で永沢の妹だな」  さすが教師だけあって、部員以外の生徒の名前も把握しているらしい。ちょっと感動する。  私は沼野先生は授業を持ってもらったことがない。  でも、水泳部の恒例行事、プール開きの前のプール掃除を手伝ってくれたことがある。その時、名前を憶えてくれたのだろう。すごい記憶力だ。 「先生じゃないけど、遥はなんで、そんなに大荷物なの?」  声をかけてきたのは、ダウンのジャケットをおしゃれに着こなした白石美紅(しらいしみく)。  一年の時のクラスメイトだ。ポニーテールがとても似合っている。  来るって聞いてなかったけど、彼女がいたことに少し私はほっとした。完全なおひとりさま状態は免れたらしい。 「釣り道具。釣りができるって、聞いたから」 「道具は、俺が貸すって言ったじゃないか」  不機嫌に横から糸田が口をはさむ。糸田の見慣れた釣り具入れがそこにある。そういえば、そんなことを言われた。忘れてたけど。 「別に大した荷物じゃないもん」 「人がせっかく、浮かねえように気を使ってやったのに」  ぶつぶつと、糸田が呟く。なるほど。私は、他の女子と明らかに荷物が違う。糸田は糸田なりに気を使ってくれたのだろう。  しかし、である。 「釣り具屋の娘が、人から釣り道具を簡単に借りたらダメでしょう」 「釣り具屋さん?」  目がパッチリした、とても美人なマネージャーの中野絵里さんが口を開く。糸田と付き合っているという噂のある女の子(糸田は否定しているけど)。女の私が見ても、めちゃくちゃ可愛い。 「うん。もっとも、うちの店は、海釣り主体だけど」 「……だから、そう何もかもベラベラ話すなって」  明らかに糸田がイラついている。なぜだ。 「大磯は釣り好きか。うちの裏の沼の鯉、めちゃデカいぞ」  沼野先生が、口をはさむ。  私たちは電車のホームへとゾロゾロ移動を始めた。 「六十センチクラスはザラだから。百行くのもあるぞ」 「ホントですか!」  声が弾むのが自分でもわかる。 「大磯は仕掛けも自分で作るの?」  沼野先生は、私が釣りをするのが意外だったのか、電車に乗っても聞いてきた。 「はい。でも、海釣りが主なので、鯉はあまり釣ったことがないです」 「そうか。オレは山育ちだから、淡水魚ばっかりだが……」 「海釣りもいいですよ。うちの店は釣り舟も出してますから、一度いらしてください」 「営業も上手いねえ、大磯は」  結局、沼野先生と釣り談義をして電車の中を過ごした。  先生の渓流釣りの話は、海釣り中心の私の釣りライフとは全然違って、すごく面白かった。  なぜか糸田が睨んでいる気がしたけど、気にしないことにした。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加