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テッドの話では、港町ラサーナの診療所の医師は、まだ赤ん坊だったエディを診て、「この子は普通の子ではない」とはっきり断言したのだと言う。また「嵐を呼ぶかもしれない。船乗りには危険だ」と言って、エディを引き取ろうとしてくれたのだそうだ。テッドは当時、金になると信じたエディを取られまいとして、逃げるようにその診療所を出たので、医師にはそれ以来会ってはいないというが、医師の申し出が明らかにエディが普通ではないことを知っている風だったと聞けば、エディをはじめ、そこにいる誰しもがまずそこへ訪ねるべきだと信じて疑わなかった。
ただし、船乗りにとっては恐ろしい忠告を受けてもなお、それに動じなかったテッドの欲深さにはオズウェルですらも呆れていた。
『あの頃、まだ赤ん坊だったが、お前さんは本当に綺麗だった。お前さんがいれば、オレは絶対に一儲けできるって、そう思ってたんだ……』
だから、どうしても医者にエディを渡したくなかった。彼は申し訳なさそうにそう話していたが、エディはそれを聞いても、特に何かを思うこともなかった。テッドがどんな商人だったか、それはエディが一番よく知っているからだ。彼はちょっと欲深なだけで、決して悪人ではない。優しく、エディをとても大事に思ってくれている。何よりも、彼がここまで欲深なおかげで、エディはオズウェルという素晴らしい伴侶に出会うことができたのである。
「僕はあなたに拾ってもらえて、本当に幸せだったと思っています。そうでなければ、ここにいる誰とも、僕はきっと一生会うことはなかったんですから」
エディは彼にそう言った。その言葉に、テッドは瞳を潤ませ、そこにいる全員が深く頷いた。
ともかく、そういった経緯があって、ドラゴニア号は明け方、港町ラサーナに到着した。他の船で一緒に航海を続けて来たドラゴニアの商人達は、朝市に店を出すのだという。まだ太陽が昇る前から、港の船着き場には既に商人の船がたくさん並んでいて、どの船も商いの準備を始めているようだった。ドラゴニア号からは錨が下ろされ、船着き場には細い橋が渡される。エディとオズウェル、テッド、それに竜騎兵隊の隊長ウィリアムとギルバートと医師モーガンは、簡単に朝食を済ませると、ひとまず下船して町の様子を見て回ることにした。
「おお……。これが人間の町の市か……」
「食べ物が多いようですが……ドラゴニアとさほど変わりはありませんね」
「確かにそうだな……」
きょろきょろと辺りを見渡しながら話すオズウェルやウィリアム達を横目に、エディは頬を緩めた。懐かしい光景が広がっている。先にも言った通り、ラサーナを訪れたのはこれが初めてだが、どの町でも市の風景というのは、活気に満ち溢れた賑やかなものに変わりはなかった。きっとここは良い町なのだろう。客を誘う声があちこちで飛び交っているのがその証拠だ。市場を進んでいくうち、懐に入っていたテッドがそこから這い出して肩に上り、そこからさらに頭の上へよじ登る。
『ここは古い町なんだ。昔っから旨い魚と魚介が有名だな』
「へえ、ほんとだ。魚屋さんがいっぱいですね」
『それだけじゃねえぞ。野菜や果物もたくさんだ。それから――』
魚や魚介類、野菜や果物が並ぶ店の通りを進んでいくと、やがて服飾品や宝飾品の店が多くなってくる。緑色や深い藍色、濃いピンク色や赤の玉などがふんだんに使われた装飾品はどれも実に美しく煌びやかだ。
「わぁ……、綺麗……」
しかし、その値段は異常なまでに高価だった。王族や貴族ならまだしも、一般庶民が気軽に購入できるような金額では決してない。
「すごい……。宝石ってこんなにするものなんですね……」
「まぁ、物の価値というのは場所によって変化するものだからな……。しかしこれは――」
「オズウェル様!」
不意にある店の主人が駆け寄って来て、オズウェルに声をかける。彼はドラゴニア号と一緒に旅を続けて来た、宝石商の船の船長だった。名を、カリームといった。
「カリームか。客入りは――好調のようだな」
「ええ、おかげさまで」
カリームの店の周りは、多くの客で混雑している。他店と比べても、明らかに彼の店は繁盛しているようだ。
「どうやらここでは宝飾品はかなり貴重なもののようです。聞けば、この辺りに多くいた宝石商はここ数十年で激減しているのだとか」
「ほう……」
「何か理由があるようじゃな。どう見ても――需要がないわけではなさそうじゃ」
モーガンは、宝飾品が並べられたカリームの店に群がる女性客を眺めながら、顎をしゃくった。カリームは頷く。
「ええ。随分前のことだそうですが、鉱山まで向かう道の途中で落石があったようなんです。それで道が塞がってしまったらしくて――」
「なるほど。そのせいで鉱石を取りに行けなくなった、というわけか」
「でも、落石って……退かせないほど大きいってことでしょうか?」
エディが訊ねると、カリームは頷いた。
「どうやらそのようですね。まぁ、私達にとってはいいタイミングでしたが、それにしてもこんなに売れるとは思いませんでしたよ。こんなことならもっと品物を積んでくるんでした」
「ご主人、ちょっといいかしら!」
女性客の声が痺れを切らしたようにカリームを呼ぶ。カリームは返事をすると、申し訳なさそうに笑ってから店へ戻って行った。人混みの中へと消えていく彼の背中を見送って、エディはオズウェルと顔を見合わせる。肩ではテッドが笑って言った。
『こりゃあ、嬉しい悲鳴ってやつだな』
「僕らにとってはそうですけど、ちょっと気の毒じゃないですか? 落石――取り除いてあげられたらいいですね……」
『ふん、お前さんは相変わらずお人好しなこった』
エディの言葉に、テッドは呆れたように鼻を鳴らす。商人である彼には、商売敵を手助けするなど考えられないようだ。しかし、オズウェルは言った。
「エディ、私も同感だ。私達でできることなら助けになりたいと、私も思う」
「陛下が仰るなら、私達も力を尽くします」
「そうですね。せっかく呪いが解けたんです。我らドラゴンの力を役立てましょう」
ウィリアムとギルバートはそう言って、しっかりと頷いた。テッドは再び呆れたような顔を見せたが、それがオズウェルや皆の意向であるのならば仕方がない、と諦めたようだ。ひとまず、エディ達はさらに町の奥へと進んだ。その先には、土壁でできた家々が並んでいるのが見えた。
『確か……、診療所があるのはそこの角を曲がってすぐだ。さあて、エディ。どうする?』
「この先に診療所が……。オズウェル様――」
「うむ。行ってみよう」
エディ達一行はテッドに案内されて、角を曲がり、土壁で造られた家々が並ぶ建物の密集した道を進んでいく。すると、やがて一軒の診療所が見えて来た。赤茶色い土壁をツタの葉が覆った外観は、他の家屋とは明らかに様子が違っていて、木製の古めかしい小さな扉には、『診療中』の札が掛けられていた。どうやらそこには、今現在も医師がいるようだ。
『ここだ』
テッドが言う。するとオズウェルはすぐに扉をノックして、ドアノブを回した。
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