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「失礼するぞ。すまぬが、院長はいるか」
「あぁ……。院長は私だが――」
返事があって、受付のカウンターにいた男が立ちあがる。オズウェルはその男を見るなり、テッドに訊ねた。
「どうかな、テッド殿。彼がそなたの話していた、医師か?」
『おうよ、間違いねえ! こいつだ!』
エディの肩で、テッドが声を張り上げながらぴょんぴょん跳ねている。それを見て、オズウェルは目を細くした。テッドの声が届くのはエディだけ。オズウェルでさえも彼の言葉は聞こえない。だが、テッドが全身を使って肯定していることは理解できたようだ。
ところが、次の瞬間――。医師が突然「あぁっ」と声を上げて目を瞠った。医師はちょうど診療所へ入って来たモーガンをじっと見つめている。
「ちょっと、あなた……。あなたはもしやモーガン先生では?」
「ん……? そなたは――」
「やはり……! あぁ、なんてことなんだ……! モーガン先生がうちへ来てくれるなんて!」
「まさか、ブルーノか!」
オズウェルもテッドも、そしてエディももちろん、彼らのやり取りに呆気に取られてしまった。モーガンとこの医師はどうやら知り合いであるらしい。二人は微笑み合い、互いに握手を求め、しっかりと手を握っている。
「モーガン先生! お久しぶりです!」
「いやはや! ここはお主の医院だったのか! ――しかし、そなたがまだこの世に生きておるとは妙じゃの……」
モーガンの顔からはすぐに笑みが消えた。彼は眉をしかめて医師の体を確かめるように触りながら、「幽霊では……ないようじゃ……」と独り言を言いながら首を傾げている。一方で医師はくすくす笑いながら「もちろん」と答えた。
院内の壁を見ると、そこには一枚の肖像画が飾られている。描かれているのは――どこからどう見てもモーガンらしき老人だ。それを見るなり、エディはハッと気付いた。以前、ドラゴニアに医者の修行に来ていた人間がいたと聞いたが、その男こそが、このブルーノなのではないだろうか。
「もしかしてこの方……モーガン先生のお弟子さん……ですか?」
エディは訊ねるが、オズウェルがすぐにかぶりを振った。
「いやいや、エディ。彼が来た記録があるのは三百年も昔の話だ。いくらなんでも彼が生きているわけが――」
「そう、不思議でしょう? 私も未だに戸惑っているんですよ。でも、ドラゴニアを出て以来、なぜか私は老化がちっとも進まないんです。おかげでこの町の人には魔法使いだと言われています」
「じゃあ、まさかそなたは……」
「はい。わたくし、以前、ドラゴニアでは皆様に大変お世話になっておりました」
そう言ってから、ブルーノというその医師はエディやオズウェルにも順番に握手を求めた。
「ブルーノ・ダルシャンです。ようこそ、ラサーナへ」
「エディです」
「オズウェル・マリクシラだ。よろしく……」
オズウェルが名乗った途端、ブルーノはハッと口元を手で覆う。
「ちょっと待った……。オズウェルって……、まさかあなた……オズウェル王子ですか?」
「ブルーノ。この御方は今、ドラゴニアの国王だ」
モーガンが目を細くして言う。するとブルーノはたちまち感嘆のため息を吐き、頭を抱えたかと思うと、胸元で十字を切った。
「そうか……。そなたがドラゴニアにいた頃、私はまだ赤ん坊だったかな」
「赤ん坊どころではありません。まだ卵でしたよ……。あぁ、こんなに……ご立派になられたのですね……。メルキオール様によく似ておられる……」
目を潤ませながら言って、ブルーノは鼻をすすり上げた。感動して泣いているようだ。メルキオールとはオズウェルの父の名。ブルーノがまだドラゴニアにいた時、彼はまだ生きていたのだろう。以前、エディがその存在を知ったのは、オズウェルに彼らの墓前へ導かれ、プロポーズを受けた時のことだった。
「父を、知っているのだな」
「もちろん。私がドラゴニアを出てから、今年で二百九十年になります。あの当時、メルキオール様はドラゴニアの太陽のような存在でした。人間達はドラゴンを狩ろうと躍起になっていて……、中でも海に暮らすドラゴンの種族は多く狩られていたんですよ。メルキオール様は絶滅の危機に瀕していた海竜族を救おうと必死になられていて――。いや、本当にひどい時代でした……。あの時代でなければ、私はもっとずっとあの国にいられたでしょう」
ブルーノは目を潤ませながらそう話し、傍にあったちり紙を取ってちーんと鼻をかんだ。どうやら彼は、スレイヤー時代の末期にドラゴニアを去ったようだった。きっとそうしなければならないほど、人間とドラゴンの間で争いが激化していたのだろう。そうエディは推測する。だがしかし、卵の頃からオズウェルを知っている彼は少なくとも、オズウェルの年齢を超えているということになる。
「あのぅ、ブルーノさん……って、その――今、おいくつなんですか?」
「私ですか? 今年で三百三十歳になりました」
「三百……三十……」
「私より三十も歳上か……。驚いたな。そなたのような人間は初めて見た……」
エディもオズウェルの年齢を知ったのは最近になってからの事である。彼は今年の誕生日でちょうど三百歳を迎えていた。改めて聞いても自分の伴侶が三百歳というのは、彼の外見からしても信じがたいが、それでも納得できるのは彼がドラゴンであり、ドラゴンの寿命や老化のスピードは人間とは大いに異なっているということを知っているからだ。しかし、ブルーノは違う。彼はドラゴンではなく、人間である。いくらドラゴニアに滞在していた過去があると言っても、これは説明がつくものでもなく、本当に不思議としか言いようのないことだった。恐らく、オズウェルもエディと同じことを考えていただろう。しかし、その傍でモーガンは大口を開けて笑い出した。
「どういうわけかさっぱりわからぬが、おかげでわしはまたお前さんと出会えた! これは素晴らしいことじゃ!」
「えぇ、本当に! さぁ、皆さん、奥へどうぞ! 大したおもてなしもできませんがゆっくりお茶でも飲んで行ってください!」
ブルーノはそう言って、奥の部屋へエディ達を案内した。そこはリビングルームになっているようだが、丸いテーブルと椅子、隅には小さなキッチンがあるだけの質素な部屋だった。キッチンの傍には小さな窓があり、少し高くなった朝陽が差し込んでいる。窓際には鉢植えがいくつか置かれていて、淡い紫色の花を咲かせていた。
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