2人が本棚に入れています
本棚に追加
three second rule
「まだやってんの?」
がらんとした体育館に低い声が反響してダイレクトに聞こえた方向を探して振り返った。
掴んでいたボールから意識は削がれていく。
視界が彼だけを映そうと背景がぼやけた。
「はい」と声に出したつもりが思ったより喉の奥に引っかかって音にはならず緊張していた事に今更気づく。
練習終わり。
涼しげなその瞳はさっきまでの熱量が嘘のようだ。
右腕を左に伸ばしてストレッチしながら近づいてくるのを何かに焼き付けるみたいにじっと見つめていた。
「俺も今日はフリースローがなー」ボールを掴むとそう言いながらラインの前に立った。
だん、と一度だけボールが床を叩く音が響く。
顔を上げれば彼がいる。
後ろ姿を当たり前に思うようになったのはいつだろう。
ぴんと伸びた背中を頼もしいと、綺麗だと、好きだと思うようになったのは。
まるで知らなかった。
自分の中にこんな薄暗い感情がある事を知っていたら好きにならなかったかと聞かれても今はもう答えられないけれど。
そして誰にも知られずにひっそりと消えていけばいいと思っていた淡い恋は何処までも色濃くなって染み出した。
彼を汚してしまいそうで怖かった。
例えば世界で二人だけになったとしても僕は貴方の手を取らない。
そんなつまらない意地を張って何とか立っているこの場所で僕は我武者羅に藻掻いていた。
選ぶべき答え。
留まる事でしか保てない軟で歪なバランス。
「先輩」
腕を上げてボールとリングを重ねている彼の横顔。
短く息を吐いた姿を今度は確実に声にして呼んだ。
震えてはいけないと意識しすぎたせいかやけにはっきりとした声が出て、同時に頭に過った何かを振り切った。
正しさだけが救いなら。
僕は、僕達は。
「もし一つしかダメなら、僕はバスケを選びます」
「・・・・・」
「バスケしか選べません」
彼は前を見据えたまま、ふ、と軽く笑ってから真剣な目つきに戻ると瞬間ボールを放った。
綺麗な弧を描いてリングへ向かっていくボールを途中まで追いかけて視線をその姿に戻す。
ぱしゅ、とネットと擦れる音がした。
立ちすくんだ僕から離れ、重力に沿って床に弾むボールをゆっくりと迎えに行く。
両手で掴みそのまま綺麗なバックスピンをかけて僕の胸へと真っ直ぐ投げる。
そして黙っている僕の方を向いて今度は大袈裟に笑った。
「ばあか」
「・・・・・」
「俺だってそうだよ」
「・・・・・」
「自惚れんな」
嘘じゃなかった。
けれど自信もなかった。
自分に言い聞かせるようにバスケしかないそう言った。
強がる僕を臆病だと思っただろうか。
何もかもわかっているみたいにすべて受け入れる準備でもしているように伏せた目がもう二度と自分を見ないような気がしたけれど、三秒もしないうちまた彼は何でもないふうに僕を見た。
ボールを持つ両手がピリピリと痺れている。
明確な結論に抗った言葉。
衝動が僕の中の深淵を押し上げていく。
想像も出来ない泣いている貴方を。
「だけど好きなんです」
遠のく歓声。
呼吸が止まる。
自分の心臓の音さえ聞こえずに目の前の動きがスローモーションで送られて。
リングだけを見つめてシュートする。
期待していた。
もっとも正しい解答を。
彼を見つめる数秒がその一瞬と同じで僕がそれを選択する時を待っている。
おかしくなりそうだ。
貴方がこの先誰かをこんなふうに見つめるかと思うと、誰かをどうしようもなく好きになるかと思うと、それが僕以外だと思うと。
時間が止まった顔を見つめてどうにかもう一度「好きなんです」と言った。
期待したものとかけ離れたこの瞬間をあと何回通り過ぎればそれはやってくるのだろう。
例えばを繰り返すだけで今が続く。
ぐるぐると同じ場所にいる事にはとっくに嫌気が差していた。
彼の唇の動きを必死に追いかける。
「俺だって、そうだよ」
何かを待っているだけの僕を弱虫だと罵って欲しい勇気を振り絞れと導いて欲しい。
ボールを追いかけるみたいにただ許される限り長く貴方を好きでいたかった。
最初のコメントを投稿しよう!